おうちでできる!ラビットファーの作りかた。初めての皮なめし
前回、新潟で獲ってきたうさぎの皮なめしに初挑戦してみました。
何年も前のこちらの記事が今でも沢山の方に読まれているようなので、ここでちょっと追記したいと思います。 まず、この記事には生々しい写真が含まれております。苦手な方は、この先はご覧にならないことを強くおすすめいたします。 それから私は今「自分の暮らしを作る」をテーマに、里山の小さな集落でシェアハウスを運営しています。畑、田んぼ、古民家の改修、太陽光パネル発電などに挑戦しながら、猪から自分たちの田畑を守るために狩猟免許を取得し、狩猟活動も行っています。 今、昔の記事を読み返すと、至らない部分があるなあと思う点がいくつもあります。それでも、初めて体験したことを素直に表現すること、それから、これらの経験が今の私を作ってくれたことは大切にしたいと思います。 自然の中にいると、いいことか悪いことかがあやふやで、見る方向が変われば価値観が逆転するような場面にも何回も出会います。草刈りしていて意図せずミミズを殺してしまったときや、台所を荒らすネズミが罠にかかってるのを見たとき、生きている昆虫や魚に針を引っ掛けて海の中をぐるぐる回して釣りをしているとき。 その曖昧な善悪の境目を行ったり来たりしながら、瞬間ごとに色んなことを感じながらそこにある命と向き合っています。だから、私には何が正しいのか、何が答えなのかは分かりません。それはひとりひとり違うものなのかもしれない、とも思っています。 私自身、まだまだ道の途中です。少しでも自分の答えに近づけるように、試行錯誤を重ねながらこれからも日々の暮らしの実践を続けていきたいと思いますので、これを読んだ方と一緒に考えていけたらと思っています。 もし良かったら、今の私の暮らしのこともあわせてご覧頂けたら嬉しいです。 ちはる //////////////////////////////////////////////////////////// ※この投稿には、一部生々しい写真が掲載されています。
猟師さんの暮らしを見て「すべてを使い切るかっこよさ」に本当に感動したわたし。 というわけで、今回はふわふわ、もこもこのラビットファーを自作します。
●なめしってなに? いきなりなめしって言われても分からないと思うので簡単に説明。 動物の皮は、一般にそのままだと固くなったり腐敗しちゃったりします。 (ざっくりwikipediaより) うさぎは毛皮がふわふわなので、今回は毛皮をそのまま使えるようになめしていきます。
●用意するもの ・塩
【ウサギの毛皮なめし】 私が挑戦したのは「ミョウバンなめし」。 ガッツリ強い洗剤とかも使うみたいだけど、 石けんなどを使ってしっかり洗いましょう。 (ダニ、なんか生理的に苦手。「ひい!」ってなる…)
きちんと洗わないとカビます。 そして、けっこう穴があいてるね…。笑
(2)毛皮に残ったお肉をナイフでそぎ落とします。 薄皮みたいな脂を取り除きます。
このとき、間違って数カ所破きました…がっくり。
(3)なめし溶液につけ込む。(一週間くらい) まずは焼きミョウバン100g、塩40g、水2リットルを沸騰させてなめし液を作ります。
冷ましたら、バケツにうつし、そこに皮を入れて密封。
毎日1回、毛皮を動かすといいみたい。 ウサギの皮ミョウバン漬け2日目になると、
そして、山の中で見た時はそんなに怖くなかったのに、 何だろうね、この異物感。 シェアハウス暮らしなので、(今は引っ越したので、前の家)
(4)毛皮の方だけ洗います。 一週間くらい漬け込んだら、一度バケツから皮を取り出し そうしないと、乾かしたときに塩分が出てきてばりばりになっちゃうんだそう。
一応自前のナチュラルシャンプーを使用。
(5)ヒマシ油を塗る。 皮を絞り、水分をとったら、新聞紙の上に広げます。
うさぎのもふもふの部分に切れ目を入れ、平べったくのばします。
手順(3)で作ったなめし液とヒマシ油、 ブラシを使って、しっかりごしごし塗りこんでください。
(6)乾かします。 毛の水分を雑巾などで吸い取った後、お肉部分を上にして
そのまま乾かすと皮が縮んでぐにゃぐにゃになるので、 釘の穴は毛で隠れちゃうので、
板でも良いみたいだけど、すのこの方が通気性良いかと思って 耳をすのこの隙間から出したら完成!
そして、陰干しします。
【おもて】
【うら】
(7)ヒマシ油を追加で塗る。 3、4日でだいぶ乾いてきます。 えっらいバリバリ!! 硬さ的には、ジャンベの叩くところみたいな感じ。 なので、追加でヒマシ油を塗ることに。
(8)裏返す。 脂を塗り、毛の方もだいぶ乾いてほわほわになってきたあたりで裏返します。
さらに陰干し。 (9)完成!
どれくらいで、完成!なのかよく分かりませんが
猟師さんのおかげで、顔はかなり綺麗に出来ていると思います。 柔らかさは、あんまり… ジャンベよりは柔らかくなったけど、 だけど、毛皮としてはなかなか良い仕上がりになったんじゃないかな。
空けちゃった穴もあんまり目立たないし! そのあと、福岡PARCOに展示して頂くチャンスが巡ってきたので
皮なめし、昔の人は噛んで柔らかくしていたみたいだけど、 チャレンジしてみたかったけど、頭を新潟においてきてしまったので ちなみに、よく「どこでそんな情報を仕入れてるの?」って聞かれるけど、 解体だって、一番最初はyoutubeで勉強したしなー。 なので、残念ながら「これが正解!」かどうかは分かんない。 誰かの参考になればいいけど。
▼私が参考にしたサイトはこちら(先輩方、ありがとうございます!) http://flytyer.exblog.jp/16198648/
しかし。 なめしという技術がもともと閉ざされた感じの技術だし 人に聞いてもバラバラだし…自己流という人がほとんど。 というか、皮なめしという技術自体がもう失われつつあるみたい。 そういえば、猪やシカの駆除の現場ではほとんど捨てられてたなあ、皮。 そんな、捨てられてるものがあるのであれば、 もっと地域の身近な素材を使って、自分でできるような方法を勉強したいし とりあえずは試行錯誤しながら練習あるのみです。
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なんていうか。 この記事を書くにあたって、毛皮や革のことを改めて考えてみた。 せっかくだし、このブログを読んでくれてる人にも 毛皮とか革製品ってやっぱり残酷なイメージあるよね。 革製品も好き。 よく動画とかで上がっている(あんま信憑性ないけど…) これは良くない。 でも、だからといって毛皮だけ過剰に反対しすぎるのもあんまり共感できない。 毛皮に限らず、食べものの工場だって同じようなことが行われてるわけだし 私は、自分の見えないところで何が行われてるのか この辺のことは、以下のリンク見てもらったらなんとなく分かるかも。 ▼NPO法人アニマルライツセンター ラビットファーの真実(グロ注意) ▼ 社団法人日本毛皮協会の方と、動物愛護団体の方のやりとり。
革のために動物の命を奪うのがどうしてもやだ!って人には ▼SLOW HOUSE レザー財布・カードケース 動物性のものを全否定するよりは、 で、残酷な作り方してる業者は淘汰されて無くなるような社会になればいいね。 そして。 👇こっちの記事も、よかったらどうぞ。 —————————————————————————————————- 私が新米猟師になるまでのエッセイ(ブログに書ききれなかったいろんなこと)や、動物別の解体方法、ジビエのレシピ集など、イラストを交えて紹介しています。 —————————————————————————————————-
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こんにちは
いつも楽しみに読ませてもらってます。
以前新聞の記事に猪の皮を活用して毛皮などの製品に加工しよう言う取り組みをどこかのNPO法人がやっていると言う記事を見たことがあります。この記事ではたしか捕獲されて肉に加工した猪の皮のことでした。上のうさぎもそうですが、こういった活動をもっと多くの人に受け入れてもらえるといいなと思いました。
初めまして、ブログの更新も毎日の事も楽しみながら頑張ってください。
ちはるさんがリンク貼ってくれてた動物愛護のサイトなど見てみて、ちはるさんの活動が一歩深くわかりました。
今は、大量生産、大量消費の時代で、いのちの現場がみえない。
このちはるさんの記事をみたら、ひとつの毛皮が出来るまでの、もしくは、そもそもうさぎのいのちがなくなるところからの、大変ないのちの大きさに気づけるから、今持っている毛皮商品は、汚れたり破れたりしても出来るだけ大事に、長く使おう、あたらしいものは買わないでおこう、と思えた。
食べることもそう。
いのちをいただくときに、どうしても必要な、いのちを奪う行為。
その恐ろしさ、大変さ、その動物のつらさ、そういったものを目の当たりにしたら、絶対無駄にしなくなるはず。
なのに、スーパーで切り分けられたものばかり食べてたら、罪の意識もいのちの尊さもわからないから、だから残すし、平気で捨てるし、平気で買えるんだとおもう。
いのちが奪われる瞬間を知っていたら、本当に必要な分だけを買って、無駄が出ないように調理して、いただくとおもう。
足るを知れば、動物愛護団体が必死にやめてと叫んでくれている、無駄ないのちを奪うこと、残虐なやり方で奪うこと、無駄にすること、そういうのは、なくなるはず。
それは、一切食べないこととは違う。
足るを知らないから、どんどん消費していくから、だから必要かどうかわからないくらいたくさんのいのちを奪って無駄にしてしまう。
キチガイみたいに、いのちを奪う現場をつくってしまう。
ペットブーム、毛皮ブーム、革ブーム、なにもかも。
みんながいのちの尊さに触れられたら、無駄ないのちは絶対減る。
食べる、食べないは自由。
だけど、どう食べるか、どれを食べるか、そういうことはもう少し言及されてほしい。
身の丈の分しか本当は必要ない。
それを、知らなきゃ。
批判されるべきは、知らずに当たり前だとおもってる消費者であって、いのちと真剣に向き合うちはるさんじゃない。
初めまして。いつもブログ拝見しております。私も牛の皮の靴を履いていて、色と質感がとても気に入っています。しかし、この皮はどこの牛から、どのようにして私の手元にやって来たのだろうと改めて考えました。とりあえず今は長く愛用して、10年でも20年でも履き込もうと思います。
やる必要ないことをしている…
ありえない
こんな記事を普通にアップするなんて気持ち悪い
まぢ猟奇的で笑った顔怖すぎ
あなたも同じことされればいーのに。
人それぞれと言うけれど…私とは真逆な人を見つけました。
ウサギ狩りからなめしまですべて自らの手でやり遂げ詳しく書かれ、
とても真面目な方だと思いますが・・・
完成した毛皮も美しいけれど、私は生きているうさぎの方が美しいと思います。
毛皮をはおるより、生きている子を抱きしめる方が心まで温まると私は思います。生きるため以外の殺生は受け入れられません。ごめんなさい。
次は趣味で毛を集めている人のために自分の頭皮ごと髪をはいでカツラを作る機会を提供してあげれば良いな。
命を考えるならビーガンになれる、ビーガンを増やすぐらいまで考えられるようになればな。
他者の命を守ることより趣味嗜好を優先してしまうかなやっぱり。
楽しいですか?
同じ人間とは思えません。
よくそんな笑顔で・・・
その子を殺さなければ、
今頃野原を駆け回っていたんです。
毛皮反対と訴える若者がいるのに対し、
生身から剥ぎ取った皮を横になめとてます。と笑顔の人もいるんですね。
考えられません。
子供達に見せたくありません。
自分の欲望の為に罪の無い動物の命を落とすことは間違ってます。
おかしいです。
あなたは立派な犯罪者。
毛皮の対象が人間以外の対象なら良いと思っているのでしょうか?
命の大切さがわからないのですか?
今まで何を学んできたのですか?
そんなに他者の命を落とすことが楽しいですか?
楽しいからこんなに笑顔でウサギやシカの遺体と写真を撮り、自分の趣味であるブログに堂々とのせることができるのですよね。
かわいそうですね、本当に。そうです。皮肉ですよ?
あなたは立派な犯罪者。
逮捕されるべき人間。
これからは動物たちに罪。償って今後の人生を歩んでいってくださいね。
報いは絶対に訪れますよ。
動物たち、私たちはあなたを絶対許しません。
完成した毛皮の美しさと生きている動物の美しさを同じ天秤にはかけられない。
つうか動物に過剰に感情移入している人が気持ち悪い。
かわいそうって、なんて驕った感情なんだ。
どこが動物愛護?生きるためにあなたは生きるために仕方なしにやっているのでもなく、かわいいと思ううさぎの命を奪って自分のためにファーを作る。
愚か者だよ。家族から引き離されて、生きたまま皮膚割かれて。
同じ目に合う想像してみたら?
真似する人がでてくるので、やめてほしい、こういうのをUPするのは。
いじめがエスカレートするのは、いろいろな残酷な場面がテレビやネットでUPされるから。真剣にやっているんだろうが、殺す事を真似する人がでてくる、そういう影響をかんがえたことがないでしょうか?
これをみた私自身、吐き気がするし、ぐったりします。
まったくおしゃれではないです。アパレルで勤めていますが現在は毛皮などは世界的に後退しています。時代錯誤な印象です。
あなた、頭イカレてるんですか??
普通の精神の方がうさぎさんの屍を晒すことが出来るでしょうか??
生活のために牛や豚を処分する方たち、やむなく犬や猫を殺処分しなければならない方たちは決してあなたの様に屍や命を弄ぶことはしませんよ。
何故ならその方たちは命の重さを知っているからです。
二度と新潟には来るな!
貴方のおっしゃることは一見正しいこと、深いように聞こえますが、人間の勝手で動物の命を使うことへの正当化です。これだけ行動力があるのであれば、少しでも命を使うことを減らしていく工夫や、より高性能なフェイクファーの制作などに費やせる日が来ると良いですね。
あと、動物愛護団体の方への返答に動物たちに恐怖心を与えないように即死をさせるというような一文がありましたが、実際には生け捕りしていましたよね。これは副産物と称した食肉用の屠殺の事実を物語っていますね。
命を奪って生きていくのが当たり前、毛皮がオシャレという考え方が恥ずかしい時代が来ているということをどうか気付ける日が来ますように。
アホ全開ブログ。
テメエのガキの皮でも剥いでろ!
楽しいですか?
Facebook、Twitterなど様々
拝見させていただきましたが、
ただのおかしな趣味ですね。
命のありがたみ?
…笑えます。
もっと勉強した方がいいですよ。
ただの趣味で死体などの写真を
大衆の前で堂々と見せるのやめてください。
恥ずかしいと思います。
たくさんの方が嫌だとおっしゃってるではないですか。
こちらの記事は衝撃でびっくりしました。
私は動物たちが食肉や革のために加工されていく過程を見て
肉や動物性のものを食べたり触れなくなってしまいましたので。
こういうことを知らない、出来ない人がきっと多い世の中で、
ある意味、こういうことができる人こそが食べることや、
身に着けたりするべきなのかもしれないなぁと考えさせられました。
私は、自分に明日があるように、動物たちにも明日があるってことは
本当に嬉しく喜ばしいことになり、奪うことが悲しくなってしまっただけです。
もちろん犠牲を100%減らすことはむりでも、
工夫はいくらでもあり、いかに近づけた生活をこれからできるかは
とても価値あることだと思いますので
その楽しさもいつか知ってくれると嬉しいなぁと思います
ウサギにとっては、殺し方や利用のされ方ではなく、殺されること自体が許されないことです。
動物を殺す。利用する。という趣味ではなく、動物を生かす趣味をお持ちになってはいかがでしょうか。
こんなの公開して残酷すぎます!
酷い! 何を促してるの?
勝手にやればいい。 毛皮なめして勧めてるのにアニマルライツとか意味わからない。 うさぎ解体して自慢ですか?
許せない。
「残酷な作り方してる業者は淘汰されて無くなるような社会になればいいね。」
こんなことが最後に書いてありましたが、猟師さんが毛皮を作ることと、
大量生産の毛皮とは大きな違いがあることをしっかりと伝え下さい。
毛皮は全て残酷な作り方をされているんですからね。
日本は毛皮を着なければ耐えられないほど寒いところはありませんし、
バッグやアクセサリーなどのために毛皮って、
これでも命の大切さを語る意味が理解出来ません。
ちはるさん、いい気になって皮について考える、なんてやってるけど、感覚おかしいですよ。
こんなんされて、さらされて・・・ちはるさん、うさぎのキモチ考えたことない、いろんな考えの方が見てどんなキモチになるか、想像力ない方なんですね。がっかりしました。
ファッションのため、知名度アップのため、ブログアクセス数アップのためこんな記事を載せてるあなたが、怖いです。
命の大切さを伝えたいのは充分わかりました。しかしあなたのやり方はまっこうから間違ってると思います。
プロでもないのに野性的なやりかたは違うと思います。
食肉用の動物たちはお金をかけてなるべく痛くないように殺されてます。
あなたがやってる野性的なやり方は生殺しです。
もし、そんな現場をみてもっと食べ物に感謝したいなら食肉用の解体屋さんになるべきです。
あの人たちは嫌な思いをしてお金をもらい感謝してお肉を食べてると思います。あなたみたいに笑顔でできるよーな簡単なことでもないですしましてやイベントを開催するなんてぶっとんだことはしないはずです。
もっと自分のできることがあるのでは?
子供に首を絞めさせるなどもってのほかで
こんなに簡単に鳥が死ぬんだ。なら人間も?
という犯罪につながる傾向もあるとおもいます!
子供の手をよごして勉強させることぢゃないとおもいます。
そんなに勇気のあるお方ならもっと素敵な活動ができるはずです。
あまりひとをかなしませないようにお願いします。
動物はblogをみません。
見るのは人間です。
よって貴方は自己満足blogをかいてるだけです。
ちはるさん
あなたは何が楽しくてこう言う事を正当化してやっているのですか?
このウサギさんをなぜ殺したのですか?
やってみたかった?
なぜでしょう?
今度は脳みそ溶かすんですか?
人間だからって
なぜそこまでのことをしていいと?
正々堂々としていられるのでしょうか?
昔の人にはそうせざるを得ない理由があったのではなかったですか?
そして大切に使わせていただいていたのではないですか?
現代人にそれが分かっていないからといって
やってみるって根本的におかしくないですか?
むやみに毛皮の為の殺戮を無くそう ってかんがえたらどうでしょう?
はっきり言って動物の革や毛皮は今の人間には無くても全然大丈夫なものなのだから・・・
自分がただしいと思わないでくださいね!!
リアルファーを見るだけでつらい気持ちになる人たちが
たくさんいることを知ってますよね。
ちはるさん あなた自身が
ある日うさぎになっていて
切り開かれて毛皮にされたって
考えてみたらいいですね
即刻やめてください。色々な考え方感じ方の人がいるのです。こんなに堂々と押し付けるのは、やめてください。吐き気がします。命の重さは、同じです。あなたの良識を疑います。
うさぎを飼ったことがありますが、思っている以上に誇り高い動物です。
こちらのブログを拝見し
自分が使っている革ブランドの財布を見てこれも生きていたんだなぁとしみじみしています。
さまざまなご意見をお持ちの方がいますが
人間は自分本位で見てしまう生き物なので自分から遠いものほど
価値がなくなっていくものじゃないかと私は思っています。
犬を飼った経験のある私は、うさぎは食べれても犬はおそらく食べれないでしょう。
だからと言ってうさぎを軽んじてるわけではなく
結局のところ自分がどう思うかが重要なのではないかなと。
自分が安らぐために動物を飼う。
自分が生きるために動物を食べる。
最近は生きるというよりは満腹感やおいしいという喜びを感じるために食べてる人がほとんどで私もそうでしょうが
食事がおいしいという思いをするためには動物なり植物なりの命が絶対に必要であり、それが今はとても遠く感じます。
食べ物を手に入れるためにはお金が必要ですが、お金だけみたいな感覚になってたりする部分もあるのかなぁと。
一度、私も命をいただくところから体験してみればもっとほかのいろんなものを大切にできるのかもしれません。
参考にさせていただきます。
私も最近、毛皮が生きたまままはがされているということを知りました。
ちいさころから動物が好きで、ケムシでもなんでも、助けてしまうような動物愛をもっているので、感情移入しすぎ。などという方もいますが、これは普通の人がみても酷すぎだとおもいますよ?食料のために豚や牛を殺してるところもあるしと、自分を正当化するような文章を書いていましたが、全く違います!!!食べるのは生きるため、仕方のない一面もあるとおもいます。でも、毛皮は違う。生け捕りにされて、、どうなるかも分からないまま皮をはがれ、、考えただけであなたのことを恨んでしまいます。毛皮づくりを趣味で家でするなんてあり得ない。きっと返ってきますよ?世の中そういうものです。
ただ殺して楽しむよりは、ちょっと毛皮の現状を勉強してUPしていれば、まともだと思ったのですか?何も分かってない、何も勉強していないから、そんなことが出来るんです。もっと良く考えて下さい。
私はアパレルで働いていますが、毛皮の商品は入ってきてませんよ?
社会も少しすつですが、変わってきています。あなたの考えもこのたくさんのコメントによって変わっていくことを願います。
ここのコメント見てると、暴力的だったり一方的で感情的な語り口にもやもやした気持ちになるけれど、
それってつまり、ここに人間が思わず反応せざるを得ない問題提起の力があるってことなんだと思う。
今これを見て不快に思う人が、いつか、ここに書き残されたコメントとか、記事そのもの以上のことを知ろうとして、自分で調べて学ぶようになるきっかけになったらいいだろうな、と。
とても興味深い記事だと思いながら読ませていただきました。
批判的なコメントが多いようですが…
今は社会でも毛皮を使った商品は減って~という現象は、ただ単に「流行り廃り」の問題でしょう、と思うのですが。遅かれ早かれまた流行りだすんじゃないんでしょうか。もしご高尚な動物愛護の精神に因って毛皮が減ってきているなら、本革の製品だって入ってこないでしょう。(よくわかりませんが)
問題はそこではなく、「動物を殺して革製品にすること対しての姿勢」じゃないんでしょうか。「うさぎを殺すだけじゃなく毛皮にするなんて!」では、毛皮はごみと一緒に捨てるのが良いんでしょうか?私はちはるさんのおっしゃるように、「すべてを使い切る」ことが、一つと一つの命が向きあうことにおいての「真摯な姿勢」であると思います。あくまで、私個人の意見としてですが。
菜食主義と宣う動物愛護の方々は、では野菜は命ではないとおっしゃる。植物は生きていないのですか?いえ。植物も生きています。人間は命を頂いて生きているんです。人間だけではなく全ての生き物は命をもらって自分の命を育てます。その事実をうけとめて、自分の糧になる命に感謝し生きることが重要なんじゃありませんか。
現代ではスーパーに行けば簡単にバラされた肉や魚がよりどりみどり手に入ります。果ては、調理済みの「食べ物」さえ。それゆえ、「命」と「肉」を別々に考える世の中になりました。ちはるさんの記事はそういった考えに対し「命を頂いていること」を、現代人に忘れかけられている(しかも学校ではなかなか教えてくれないような)ことを今一度自覚させてくれるようなものだと感じました。
ただ、こういったもの(血液や内臓など)はどうしても苦手に思う方もいらっしゃると思いますし、トップページに出てくる見出しの画像もなかなか過激なものが多いので、トップページの前にワンクッションを設けてもいいのではないかな、と感じました。
長文失礼いたしました。
これからの更新も度々見させていただきます。
なんで遊びで私を殺したの。
笑顔で見せつけてるところがまた腹立つ!お前生きる価値無いよ!そのうさぎ殺されるときどーいう気持ちやったんやろな!うさぎやったらまあまあ理解力あるやろうに!あなたは私達の言ってること理解できますか?しょーがないやんとかで済ませれるようなことじゃないからね!命なんですよ!?
時代に逆行しているだけでなく、大変不愉快ですね、これ。
うさぎの革鞣しの記事、拝見しました。
失われゆく技法、それをわかりやすくかつ詳細に記したこの記事、なるほどこういう風に皮はなめすのかと楽しく読ませていただきました。
残酷さと向き合わず残酷さを消そうとするのは、とても愚かしいことだと、私は思います。それは、経験の機会を奪い、偏見と傲慢さを生むばかりでなく、生存に対する思慮さえも失わせてしまう。
所詮、戯言です。どうぞお気になさらないでください。
命と向き合うというようなことをかいておられますが、
何度読んでも全く伝わってきません。
ウサギを生け捕りにするにしても、皮を剥ぐにしても
命をいただくということに真剣に向き合っているのなら
あんなヘラヘラ笑いながら写真なんかとるべきじゃない。
趣味で生き物の命を弄ぶな!
うさぎ殺し!
何の必要があって殺した?
命を頂く?。。。なら肉屋に売ってる肉をありがたくいただけば
わかることじゃないの!?
わざわざイベントで殺しに行く必要がある?
毛皮の必要がある?
こんなに嬉しがってアップする必要がある?
あなたみたいな人間がいるから日本は動物虐殺国なんて
言われるんです。
最低です!!
ちなみに私は肉、食べません。
自分でやってみたよ!って。
普通はやってみたくない事ですよ。
命を守りたいと思うのが心ある人間じゃないですか?
最低!!!!!!!!!!
この方は集落で狩りを生業とされているのですか?
それとも、自給自足で生活してらっしゃる?
畜産でもされているのでしょうか。
それも違いますか?
食肉文化を掲げてコメントしている方がいますが、この記事からはただの「趣味でお金を払ってウサギ狩りツアーに参加し、ウサギを殺し皮を剥ぎ、ネットで作り方を見て毛皮を作りネットに載せる。
どう?みんな私の趣味を見て」
こういった感じでしか読み取れません。
それでいいのならわかりますが、畜産や文化についての記事ならば、動物愛護からの観点での発言はやめて下さい。
こんな記事、動物愛護の視点から見れば反感を買って当たり前です。
笑顔で写真を載せるなんて。。。
動物どころか人の気持ちも考えられない方ですね。
何故ここまで反感を買うのか。
今一度考えてみて下さい。
あなた、バカですよ!日本中が、あなたみたいな猟して、殺して、笑顔でさばいて、残った毛皮でファーを作ったらどうなりますか?動物虐待なんて言葉なくなりますよね!あなたは、日本を野蛮に戻したいのですか?私はヨーロッパのような先進国、愛護出来る日本を望んでます。ファーを。あなたが身に付けてるファー見て可愛いなーー!私も欲しいなとなったらどうします?あなたが作ってあげるのですか?ファーは、時代遅れです!ダサいですよ!流行れば流行るほど。また、大量生産されるのですよ!あなたは、少しでも肉を食べる回数減らすとかできないですか?自給自足は勝手にやれば良いですが、笑顔キモいです!決して動物が苦しまないように最低限食し、ファーのための猟はやめなさい!!あなた自分着飾ってますよね!あなたが服脱ぐのと動物が毛皮とられるのは違いますよ!猫を殺して逮捕された人と同じことしてますよね!私はあなたが愚かで汚い動物に見えます。人間に産まれた事が間違いでしたね!あなたが。ウサギに産まれてたら私は可愛がります。よく考えて下さいね!
ありえない……
なにその笑顔。うさちゃんの剥がされた皮の画像より、あなたの笑顔の画像のが数百倍えぐい…
命をなんだと思っているの?
そのうさちゃんから剥いだ皮を身にまとい着飾るあなたに1つ忠告します。あなたも必ず同じ目に遭います。
それ、必要ですか?このうさちゃんの毛皮を身にまとわなければ、あなたは寒さで死んでしまうの?
よく考えてください。そもそもこれを見ている人の中には毛皮に批判的な人だっているんですよ。世の中あなたのよいかな考えの人ばかりではありません。公共の電波を使って、不特定多数の人の目に留まる場所で、、こんなの不謹慎すぎ。
頭冷やして欲しい。
このうさちゃん、あなたを呪ってると思いますよ。
命をありがとう。とでも言うつもりですか?狂ってる!
ののしってるだけじゃダメだよ。
とりあえず見えてるのはGIBIER・・
おいらのボロ」xpでは追い切れません(;_:)
あんた、自分やってる事わかってます?
ただの虐待、虐殺ですよ。
おかしなマニア増えたらあんたのせい!
ただちにやめなさい
こんな残酷な事しなくたって生きていけるじゃん。
服も着れて寒くなくて、生きていけるじゃん。
そんなにファーが良いならフェイクファーだってあるじゃん。
あなたの言ってることも
動物愛護の方が言ってることも
どちらも間違いでどちらも正しい。
どちらも過激すぎて、共感できません。
どちらもエゴです。
動物好きが動物嫌いをつくる。
どなたかに依頼して、ぜひ同じ目にあってみてください。命の尊さを実感するために・・。
はじめまして
私は動物の毛皮運動反対に関わったことのあるベジタリアンです
自分では毛皮・革製品は使用しませんし、肉食もしません
ですがちはるさんのブログをみてこういうのもありだなぁ…
という感想を持ってしまいました
理由はちはるさんが真摯に毛皮と向き合わせているからです
現代社会において人間は矛盾だらけです
加害者でない人間はいません
被害者でない人間もいません
ベジタリアンを選んだのはできるだけほかの生物に対し
加害性を減らしたかったからですが
ベジタリアンであっても究極的には何かの命や場所を奪って
生きています
「ヒトが生活する、ただそれだけで多くの種が絶滅に追いやられている。放射線汚染よりはるかにシビアに」
チェルノブイリ汚染地で、野生動物が、以前よりはるかに繁栄しているのをうけ、ヒトの営みが、いかにほかの生物を圧倒しているかを
かいたエストニア紀行という本の一文です
ちはるさんのブログを、動物愛護や残虐性で批判するのは
簡単ですが、ちょっと待てよ・・・と問いかける声が
自分の中から聞こえてきます
いつかお会いしてお話を伺いたい
そう思いました
またブログ拝見しにまいります
最近貴方の事を知りました。
まずは、命と向き合う事が何故?殺しなのですか?
一度やれば充分解るはずですよね?
何度も殺さないと感謝の気持ちが持てないのですか?
しかも何故?それを動物で証明しようとする?
貴方が極限状態の中で衣食住もままならない時代や国にお住まいならばまだわかりますが、見るからに何不自由ない環境で暮らしている現代人ですよね?
命の有り難みを知るのにわざわざ動物を屠殺しなければ出来ない事なのですか?
「命」って生きてる事の実感や躍動感のリアリティだと思うのですよね。
屠殺した動物が痙攣したり飛び散る血液や臓器を肌で感じる事にしか「命や生」ってものを見出せないのならば、それは単純に貴方がサディスティックな嗜好の持ち主だって事だよ。それだけのこと、違う?
貴方は本当に動物と向き合った事があるのですか?
動物とどんなコミュニケーションを取って動物ってものを知ったの?
動物たちは何て言ってる?
ファーはふわふわで可愛いから好きってゆう貴方にウサギは喜んで毛皮を差し出したのでしょうか?
で、駆除も、それってあくまでも人間目線の人間基準の勝手な取り組みでしょ?どうして、駆除しなきゃならなくなったのか?環境や生態系を壊したのって、誰なの?動物たち?それも人間でしょ?
増えたら殺すってゆう短絡的なやり方を都合良く正当化してるよね。
自然を動物たちに還して森を守ることはなかなかしないくせにさ。
動物の命を知りたいのなら、広大な自然を生き生きと駆け回るありのままの動物たちの姿をひたすら見つめな。
自然やエコって言葉を使うのなら、動物たちのテリトリーに勝手にずかずかと入って行かないでゴミ拾いのパトロールして森を守り貫な。
今は何でもナチュラルオーガニックの時代に変わってるんですよ。
毛皮だって今時、セレブやハリウッドでも身に付けないくらい時代遅れだよ。ご存知ないのですか?
他にもたくさんあるのだけど、ネットあるんだから自分で調べてね、5分あれば出来る事だから。
屠殺してる暇があったら、もっと世の中の移り変わりを学んで下さい。
根本的な次元で対等に議論出来るくらいの思考力を磨いて身に付けて欲しいね、同じ大人の女性としてさ。
でさ、これだけ多方面からも批判きてるんだから
もう、いい加減ブログは諦めなよ。
正直、向いてないよ。
社会人の大人なら解るよね?
表現の自由はあるけれど、秩序ってものがあるでしょ?
自分一人で生きてるわけじゃないんだから、
もっと周りの意見や反応を真摯に受け止めてちゃんと現実を見てから
自分ってものを表現すべきだよ。
大半の人達は、異常だと感じているみたいだよ、コメント欄見てて気づかないの?むしろさ、私の周りの動物愛護じゃない人達が貴方のこのブログを狂ってるって言ってるぐらいだよ?
自分じゃ、見えてないかもしれないけれど、
やってる事の重さと貴方の表現力の軽さがチグハグで幼稚なブログだよ。
皆はそこに違和感と異常さを感じてるんじゃない?
それでも、そんな自分を貫きたいのなら、
もっと周りを納得させて感心感動を与えられるほどのリアリティ溢れる内容を知性をもって上品に展開すべきだ。
それにはさ、こんな浮ついた感覚のブログ、うわべの言葉だけじゃ伝わらないよ。
それを表現するには、自分自身がまず自惚れを捨てて極限状態の中で生死に直面するぐらいの人生経験積んで人間形成してからじゃないと扱えないんじゃないかしら?こんな重いテーマ。
要するに、他者の命を奪うのなら、
笑ってる場合じゃないんだよ、自分も命を懸けて真っ向勝負の生き様を証明してみせな ってこと。
それは、屠殺に限らずだ、貴方の生き方全てに当てはまること。
殺しのテーマなのに表現、言葉、内容が軽過ぎるんだよ。
気をつけな、現代っ子!
PS.誠心誠意を込めて言わせてもらったょ、こっちはいつも真剣なんだよ
すみません先程2度文章が重なってしまいました
こちらが正式ですすみません。
わたしは原発爆発してからこの3年間毎月 福島に通い
放射能にやられ痩せ細り 食べるものもその日暮らしのイヌネコ達に
フードを与えるボランティアをしています。
飼い主に置き去りにされ 見知らぬ私のようなボランティアにさえ
必死に お腹すいたよ…とすがって吠えてきます
泣きながら ごめんね ごめんね 飼い主はこないんだよ…
と言いながら支援の餌を与えます
私も3年間被爆しながら通っています
たくさんの貯金は毎月福島に通いながら使い果たしてきました
結婚も延ばして 必死に生きる動物達にフードを与えています。
片方では 見捨てられいつ乾いた喉をうるおせる時がくるか
苦しみながら生きている生き物たちがいます
あの犬達の必死な瞳
。
居場所を知らせる枯れた吠え声。
首輪がちぎれそうになるくらい飛ぶ跳ねる痩せた足首。
感染症にかかりよだれをたらしながらも焼きかつおをくわえ
震える猫たち。
ちはるさんの 生き物を殺してくその力を
どうか 必死に生きたいと叫ぶ 生き物たちを 救う力に…
どうか 変えてみてください
貯金は底をついても 放射能に身体が蝕まれても
生かす喜びが 必ず あなたにも 沸いてきます
わたしはそうやって生き返るあなたを見たいのです
男の自分よりたくましいですね
自分も見習わなくては
肉を食べた後のうさぎの皮を利用しているのであって、生きたまま皮をはいでいるわけではないのでは?
勘違いして脊髄反射で叩いている方がいらっしゃるようなので念のため。
私達が生きるために毎日命を食べていることが悪でないならば、直接手にかけることも悪ではないし、無駄なく命を使い切ることはむしろ良いことです。
また、うさぎを食べるために殺すことが悪ならば、牛や豚、植物を食べることも悪です。
誰も食べられるために生まれてきたわけじゃない。
動物の命を頂くのは、食べるものであって
鑑賞や趣味で行うものとは、違うんでは無いでしょうか?
必要最小限の命を頂くんであって遊びや趣味では、殺しません。
今の時代着る服にしても毛皮を着用しなくても
いくらでも服があります。食べるものにせよ
いくらでも代替の食べ物があります。
わざわざ命を取ってまで行うものでは無いと思います。
まあ人それぞれ色々と考え思考は違いますが。
私はどれも否定、肯定は致しませんが。
ただ、動物だからダメ?人だからダメ?
うーん。。。じゃあ植物は?魚は?
どうなんですか?身近にいるから可哀想?
おかしくないですか?
植物も生きているんです!魚も生きているんです!
だから、いただく前に手を合掌して「いただきます!」って
感謝の念も含め言うんですよ!
その意味も皆さん考えてコメントしましょうね。
肉を食べない?じゃあサラダも、焼き魚も、米も食べずに生きていきましょう!
そこまでして初めて人を非難しましょうね^^
好き嫌いは自由。コメントも批判も自由。
そんな時代やからこんな意味不明な記事がアップできるんやろね。
だから言わせてもらいます。
バカな女
同じ人間としてはずかしい。
欲望のままやね。
いつの時代にいきてるん?
今の時代にリアルファーまじで恥ずかしいし。
そのうち毛皮を着てると指差され石投げられる時代くるし絶対!
趣味の楽しみの延長で屠殺や解体を楽しんでいる彼女のような狩猟愛好家が、生きるために苦汁の思いで屠殺という仕事に携わ
っている人が黙して語らないような事を、いかにも楽しげに語る資格があるのでしょうか?
見てビックリしました。あなた恐い。本当に恐ろしい方なのですね。大嫌いです。気色悪くて不気味です。やってる事に対して笑うな。品格がない…もっと勉強して下さい。知性の欠片もないです。子供たちに見せたくないし、馬鹿な変わり者が真似する可能性も…その笑顔…どうゆうつもりで記事upされてるんでしょうか((怒))
批判されている、という記事を読んで、はじめてきました。
もちろん、ペットを飼ったりする側からすると衝撃的なことだとはおもうけれど、この記事に、否定でも肯定でも、自分の意見を持つ事自体、
自分のなかでいろんなこと考えないといけないとおもう。
耐えられないからヴィーガンになるひとだっているだろうし。
死ねとか自分が皮をはがれてしまえ、なんて、よく安易に言えるなあ、と思いました。本当に、考えた?ちゃんと自分の意見が何なのか、時間かけて考えたの?感情的にただ意見かいてるんじゃないかしら。
私はいっぱい考えました。そして、ちはるさんが、総合的にいろーんなことを考えて、生態系の中にいる「人間」の立ち位置について自分の意見を持ってるひとだなあと思いました。
相対的に物事を考えられず、垂れ流しのテレビの情報だけで生きている、安易な考えで否定的な意見を書くのはもはやただの攻撃。
ほんとに、もうちょっと勉強してほしい。入って来た情報について10分検索するだけでいろいろわかるのに。
ちはるさん頑張ってください。
あなたも動物を食べるでしょ?
じゃあ虐待する人と同じでしょ?何が違うの?
虫だったらいいの? 魚だったらいいの?
これは、動物虐待を楽しむ多くの人が口にするコメント。
屁理屈です。
普通の人なら、殺すことを楽しんだりはしない。
虫でも魚でも、楽しんで殺すことはしない。
動物も、自分が生きるために必要な分しか買わない。(殺さない)
こんな風にネットで、殺している一部始終を載せるなんて、狂っているでしょ。
この人、明らかに、殺すことを楽しんでいるよね。
ネットでみんなの反応を見ることが楽しいんでしょ。
もう「普通」じゃないんです。
エスカレートする前に、やめてください。
模倣が広がることも、危惧します。
毛皮を反対すれば必ず返ってくる言葉「肉は?魚は?食物は?」
こういうの屁理屈っていうんですよ!
「私、お洒落でしょう?格好いいでしょう?お洒落でしょう!」
こんなものに動物の命を犠牲にするなって言ってるだけなんですよ!
これが分からないんですよね、こういうことをいう輩には!
人間は動物の命を恩恵として暮らしているが、
毛皮などに使って良い命などありません。。
日本は毛皮を着るほど寒くはありません。
皆、買う目的はお洒落というだけです。
ブログ拝見させて頂きました。とても興味深いブログだと思います。
いろいろな意見が書かれていますが、今の時代でそれを知らない人の方が多数なので仕方ないとも思いました。
代用品があると言ってたり、虐待だと言ってたりするけど、経済動物が屠殺される所なんて見てないだろうし、代用品と言うものの方が如何に自然を汚していることも知らずに、言ってるだけだろうなと見たことが無い人がいいます。
これからもブログを拝見させて頂くのを楽しみにしています。
個人の趣味に自分ら動物愛護者の理屈を押し付けてる件
ワロス
別段違法行為で無いのだから問題無いというのに自分らの理屈や感情論みたいな愚論を他人に押し付けないとやってけないんでしょうな
アホらし
ちはるさん頑張ってください
このひと自身は、幼稚であさはかな若者なだけなんだと思う。
論旨も薄っぺらくて、筋が通ってないし。
ただ、ことがことだけに、たくさんの方の議論を招き、
そのことがもともとはなかった「深みのようなもの」を、この人の行動に与えてしまっている。
一番いいのは、まるっきり相手にしないことなんですが、そうもいかないですよね。
大変な嫌悪感ですからね。スキャンダラスな内容だし。
私は、この人がこういう多くの注目を集めることで、勘違いして助長されていったり、かたくなに自分を正当化せざるをなくなっていくのが怖い。
軽率に批判するつもりはありません。ただ考えて頂きたいのです。私の意見を述べさせて頂きます。
私は少なくともあなたのやった事は間違っていると思います。純粋で本能的な気持ち(毛皮によってもたらされる効果などを一旦忘れた道徳的見地)で客観的に判断すればこのような行為が正しい事かどうかすぐに分かるはずです。
さらにはっきり言えば毛皮云々ではなく、
「自分の欲求を満たす為に他の生物の命を奪う」ということは許されることではないと思いました。
考えてみて下さい。その兎にも一生があったのです。
こうしてあなたがコメントを読んでる間にもその兎は生きていたかもしれません。家族と一緒にいたかもしれません。
そういったかけがえのない“個人”の時間を奪ったのです。考えて下さい。今後の一生ですよ?一生ですよ?とてつもない時間です。
殺す必要がありましたか?それにこれは飾っておくとのこと。
無駄な死ですよね。本当に残念です。あなたが法的に間違っているかは分かりませんが、道徳的倫理的に間違っているのは明らかです。
私たちはどうしてあなたを間違っていないと言えるでしょうか。
もうやめにしましょう。頼みます。お願いです。本当にお願いします。
(因みに、あなたはその兎を「作品」と呼んでいましたね。この表現にはさすがに憤りを感じました)
私個人としてはあなた(あなたの考え)には賛同しかねますし、もう間違っているとまで断定させて頂きます。
すべての人間がすべての命に「愛」を持てる世を願っています。
ハンティングってのは楽しいですよ。苦行じゃ誰もやらないって。解体も食べ物が手に入るんだからうれしいですよね。当たり前に笑みがこぼれます。作物を収穫してるのと何も変わらないもの。ただナメシは肉と違ってレザークラフトでもやるんじゃないと使い所が無いから初めて見ました。
何匹も自分の手で殺しているんだろうね。
だから、この人には、普通の事なんだろう。
一般人は引くわな。
批判してる人間全員が殺さずの精神なのは良く判ったけど
それだと何食って生きてるの?
ベジタリアン? 植物も生きてるよ?
魚くらいまではOK? 魚に止めをさす人は必ず居るよ?
全部生きてるよ?
まさか、天然モノの動物を食べた事がある人が書いてるわけないよね?
美味しいー!って思っちゃったりしてないよね?
もしそれに該当してる人がいるなら物凄く浅く、稚拙な主張ですね
魚釣りや山菜取りと何が違うんですか?
>ちはる様
とても面白く考えさせられる内容でいつも楽しませてもらっています。
これからもどうかがんばってください。
動物愛護の人ってどうしてこうも客観的にみることができないのでしょうかね。
嫌な部分から目をそらし文明の利を受けて生活してるくせして、目をそらさずに向き合うこの方を批判する資格なんてないですよ。
思想だけが肥大化してしまった頭でっかちの可哀想な人達にしか見えない。
このブログに批判コメント書き込む暇があったら保健所行って捨てられた犬猫を保護するほうが有益でいいでしょうに。
ほんとにわけのわからない人達です。
それと嫌なら見なければいいのに律儀に見にくるなんておかしな人達です。
ちはるさんは今のままでいいのです。
画像だけみたときはなんでこんなことができるのか、と思いましたが、記事を読んで、こういう考えでやっていたのかとあなたの考えも全て否定できなくなりました。そういう考えか…と。でもわたしはまず、毛皮は必要ないものだと。今のように服も服を作る技術も豊富でない昔は、寒さをしのぐため、つまり生きるために尊い命からの恩恵を受けていたわけですが、今は暖房もある、服もたくさんある、そんな時代にもう毛皮はいらないでしょう…。命が命を奪っていいときは、自分が生きるための必要なときだけですよ。あなたは毛皮がなければ死ぬんですか。死んでしまった動物を使った毛皮なら、無駄にしないために毛皮にするのはわかるのですが…。動物を大量に殺して生産してる工場の存在は、あれですか、食べ物の工場だってそうなんだから毛皮のこと言えないでしょ、って考えなんでしょうかね。あなたの毛皮への思いはわかるのですが、その毛皮を非難されてることについての考えが煽っているようにしかおもえない、考えが軽いとしか思えない。わたしが思うのは毛皮を手軽なものにしてほしくない。簡単にできるんだみたいに思ってほしくない。あなたも動物に人間の皮がほしいと言われたら進んで皮を差し出してあげてくださいね(^o^)と、これくらい言われることは覚悟の上でやってますよね!
せめて、これを見てベジタリアンやノンミートイーターが増えてくれることを祈ります。
なんか大変ですね、これからもこんな人たちに負けずに頑張って下さい
いるんですよね 牛や豚は殺してもOK
うさぎはかわいそうだからNGみたいな人
北米だと毛を内側にして帽子にしたりします。
パーカーのフードに縫い付けたり手袋や靴にも使えます。
植村直己さんも上手く活用したそうです。
はるか昔はともかくとして…
今の時代、毛皮が無くても何の問題も無く 生活できますよね。
信じられない。
生き物の資源を余すところなく使うための大切な技術だとおもいました。
また毛皮の工業生産の場では生きたままただ皮を剥がれていることもリンク先で知りました。
いま、人はいろんなものを忘れすぎているとおもいます。これらの経験や命への向き合い方を考えさせてくれる貴重なブログだとおもいます。応援しています。
これらが貴重なものでなく、皆が知っていることであればと願い伝えていくばかりです。
負けるなとか、頑張れとかこの人は何と戦ってるの?
自分はこの人の理解者だ!
とか思ってんだろうけど、ただただ悪趣味の集まりだからねぇ。
毛皮に限らず、食べものの工場だって同じようなことが行われてるわけだしって毛皮は必要ないからね。
狩ったからには無駄なく利用って趣味でうさぎ狩りツアーに参加してこんなブログ書いてるあんたを見て吐き気がするわ。
自然で生きたいならネットで調べまくってんなよー
自力で頑張りなよ。
必要最小限の肉を食べるという意見がありましたが、私達が店頭で手にする肉はg単位で量り売りされている最小限かもしれませんが、間違いなく1頭の命は失われていますよね。
目に見えている肉だけではなく、コンソメなどの調味料にも肉が使われている事を知らない人いるんじゃないのかな。チキンブイヨンとか、鶏ガラスープとか、鰹節とかも生物系の調味料ですよね。
私の実家は昔、鶏を飼っていましてね、祭の時とかお祝い事の時とかには、爺さんが絞めて食べてました。私は鶏の首を落とすとこを見た時は流石に鶏肉は食べれませんでした。
例えば肉が流通しなくなった場合、どうしても肉が食べたい時。昔みたいに鶏を自分で処理するか、猟をして何らかの肉を食べるくらいしか選択肢がなかったら、そこまでして食べるかというと、私は魚は食べても肉はたぶん食べないかもしれない。それは自分の手で処理できないからという理由。スズメくらいなら食べるかもしれない。
今は、誰も自分の手を汚さずにパックに入れられた肉を罪悪感も持たずに買うことができるけど、大昔は自分の食べるものは自分の手で手に入れなかったのだろう。可哀想だと言ってる人は肉も魚も調味料も使ってないのかな??
ウサギが可哀想だから、想像しろとかいうのもちょっとおかしな話でね。
野山で走り回ってたウサギなんかより、食べられるためだけに飼育された牛豚鶏の方が遥かに可哀想だと思いますよ。
Twitterで流れ着きました。
タブーにキチンと向き合ってる姿勢は大事だと思います。
コメントで批判してる方は単なるエゴイストにしか聞こえません。
食べるために殺し、残った皮は使う。それを否定したところで文化は生まれません。食物連鎖の頂点に立っている(この書き方自体エゴですが)我々なのですから事実を否定するコメントばかりが溢れるのはいささか意外です。
生き物を殺すこととイジメを論じられている方は本当にイジメられたこともイジメたこともなく、イジメをみて見ぬふりした方でしょう。
イジメは個を潰す現象です。他人との違いを認められない、や相手より優位に立ちたいというエゴが生むものです。
勝手な論旨を並べてブログ閉鎖を叫ぶ姿はいじめっ子のそれにしか見えません。
人間のエゴを考えずにこのBlogを批判する方々はさぞ崇高な精神性をお持ちなんでしょう。
否定的なコメントをみて本当に腹立たしく思います。おまいらはいじめっ子だなと思います。
食べものとリアルファーが同じ??
生きるために殺す家畜と、生きるために必要ないのにエゴで殺されて行くリアルファー‥どこが同じなのでしょうか。
そりゃ、動物達のファーで着るものを作らないといけない地域の方なら生きるために必要だと思うけど。
この街、日本国内ではそうじゃないでしょ。
リアルファーってなくても生きていけるとおもうんだけど。
少し考えてほしい。
賛成か反対かは置いておいて、食べ物もリアルファーもほんとのとこは同じでしょう。人間が生きる為に、も人間が楽しむ為に、も、別に人間という種族が生きる必要も楽しむ必要も無いですから同じ事の筈です。単に生きる事の方が優先順位が高いから、その為、食肉の為にだけは殺害は容認される、と思っているだけで。
本当にまともな動物愛護の方だったら、どの生物も特別生きなければいけないということは無いという見方くらいした事がある筈ですし、本当は取り立てて能力の無い個人単位では世界の動物愛護の為には買い控えるより自死した方が良いくらいのことは考えないのでしょうか。
普通の人間はそれができないからこそ、戒めとしての買い控えなのだと思うのですが、動物愛護に参加する割にその辺何にも考えてなさそうな方がちらほらいらっしゃいますね。なんであんなに、集団でまとまって偉そうなのでしょうか。おそらく、どの国でどんな生物が、人間に害を為すからという理由で殲滅作戦が行われ、それが顧みられない理由が別に見た目が可愛くないからだとか、そういうのも知らないのでしょうね。
ただ、「死ぬ瞬間」の事はさておき、情緒のある生物を一生涯劣悪な情緒の状態に置いておく、というのは非常に良くないと思います。どんなにか淀んだ空間であることか。みなさん小さい頃なんて、食べ切れなくて三角コーナーの中へなんて事や、無駄に奮発して肉料理を与えられた事や、あるいは親が裕福だったら買い与えられた毛皮製品を喜んだりどうでもよさそうに扱ったりなんて結構あったでしょうに。そんなどうでもいい事の為に、一生涯劣悪な環境に居なければならなかったのか、とは思います。かつてのように人間の数が減るべきだと切に願います。
自分はみんなが出来ないことが出来るんだ、
という注目を浴びたいようですね。
炎上すればするほど、こういう人は喜びを感じます。
趣味で殺し皮を剥ぎ利用するまでもなく飾るだけ?
こんなに沢山の批判をどう受け止めますか?
ろくな死に方しませんね、あなた。
「沢山の人に見てもらってよかったね、うさぎちゃん。」ですって。
それは人間のエゴであって、ウサギはそうは思ってません。ウサギは人に観られたいとも人に食べられたいとも思っていません。ウサギはただ、自然に生きたかったのに、自分の行為を正当化する野蛮人に殺されたのです。
「すべてを使い切るかっこよさ」…って。
かっこよさで命を弄ばれた動物たち。
こんな残虐なことを満面の笑みでできるのに、ダニに「ひい!」ってなるっておかしい。
もうよいでしょう。動物を殺すことに満足したでしょう。
貴方の文章や写真からは命に対する敬意が全く感じられません。
「若い女の私が動物殺して、解体したよ。変わってるでしょ。イエーイ」
「ラビットファーだって作っちゃうよ。イエーイ」
こんな気持ちに、正当化するような文章を上塗りしているだけにしか見えない。
動物を虐待することに快楽を感じている人間と、何も変わらない気がします。
あんたの好奇心を満たす為に うさぎは生まれて来た訳じゃないよ
しとめた命って うさぎは暴れたでしょう 苦しんだで もがいたでしょう
新潟から殺す為に 買って来たなんて あんたの神経 まともじゃないよ
あんた 自分の子供の皮でも剥ぎそうだな
動物も人間も この世に生まれた命は平等ですよ
命の重さを知りなさい
あんた セラピー受けた方が 良いよ マジで
動物愛護する方や批判する方々に言葉の汚さや、人格を否定するような加虐性が見られるのがちょっと怖いです。
今の物資がある時代に、態々生き物殺して毛皮のを取るといった行為に否定的な意見もあるのはもちろんでしょうが、人間じゃないとか最低とかあなたも皮を剥かれてみては?とは動物愛護する方々から聞きたくなかった。
この方達本当に動物愛護しているのですかね?こういう攻撃性のある方が動物愛護や博愛を謳っているのに疑問をもちます。
攻撃性の強い人達は動物虐待やいじめをする人の感情の持ち方とあまり変わりがないのでしょうね。
こーゆう人間は 沢山批判されようが、
改心しなさそう。
自分が正しいと信じて疑わないんだろ。
せっかく毛皮を自分で作る技術を
手に入れたんやから
極北の国へ移住してくれ。
エスキモーに
なればもっと『勉強』になるぞ。
使わない技術を身につけるのは
ただの娯楽と言われるからね〜⁈
それなりの生活すれば認めてもらえるやん。
なんだか、気持ち悪いです。
嬉々として毛皮をつくりブログにアップする貴方が。
不快になります。
なんの生産性もありません。
消えてなくなれ。you!
偽善動物愛護の方々へ
気持悪いとか、自己満だとか色々皆様言っておられますねー。
動物の身になってみる?じゃあ食肉の牛や豚や鳥の身になってみてください。
更にどれほど年に食肉を口にしてるか考えてから全てに関して批判しまよう。
ただの偽善動物愛護はやめましょうねー^^
って言うときっと私は肉嫌いですからとか言う方が出てくると思うんですが(笑)
批判する前に自分自身はどうなのか?それは愛玩ペットだけでなく生ける物全てに対してどうなのか?ってのをまず考えましょう。
無知ほど
怖いものは
ない
これを見て誰も良い気はしません。
気分悪くなった
自己満にすぎない
それをのせてやる人がいるの?
残酷
私はヴィーガンなので(になったので)(キリッ
とか言いながら管理人さんのことを非難している人は
タバコを止めたとたん嫌煙家になって大騒ぎする人と同じですね。
みっともないし、過去の自分の罪を管理人さんに転嫁してるのがわかりませんか?
動物の肉を食べなくなったからって、何なんですか?
あなたの体は、動物の肉を食べてきた過去があるから、今があるんじゃないですか?
ベジタリアンの賛否はどうでもいいですが、
私は肉食べないもん!と言って、管理人さんや非ベジタリアンを非難するのは「思考停止」だと思います。
命に対して真摯に向き合っているかどうかという意味では、管理人さんはきちんと向き合っている方だ、と私は思います。
うさぎをペットかのように語るべきではありません。もともとうさぎは自由に野を駆け回っていた動物です。人間が勝手に可愛い見た目のうさぎに所有欲を出して家に閉じ込めたのです。ドイツの市場では、うさぎの死体が山積みにされて売られていました。まるで魚のように。
ペットとして家に閉じ込められ育てられたり、食物として狩られたり。そしてそれを見た人間たちに「残酷だ」と言われたり。この時真の被害者はうさぎであって、全ての人間は加害者なのです。誰が正しくて誰が間違っているのか争ったとしてもその人にはその人の言い分がある。その人はその人の信念によって、下した自己決定によって行動をするだけ。私は、うさぎを殺しません。でも、ラビットファーの小物を持っている。それは間接的に殺しに加担している。でも自ら殺してまでとろうとはしない。それはある意味で卑怯な事です。ですがこんな卑怯な人間がたくさんいるから、毛皮業界は潤っているのです。人間はいつの世も科学で自然に打ち勝とうとしてきた。つまり頑張って不自然を構築してきたんです。だけどやっぱり、人間だって自然の一部。自然の悠久の流れの中から生まれてきたんです。人間が構築してきた不自然はいつまでたっても不完全な物ですから、自然の一部であるべき人間は神になることはできず、もう一度自然に還るか、不完全に抗い続けるしか道はないんです。ちはるさんはより自然な形に近づこうとしてる。自らの信念によって。狐がうさぎを殺すことを見て、鷹は残酷だとは言わない、そして思わないと思います。それが自然なのです。
賛否両論あるブログのようですが、巷に溢れてる下らないブログより
よっぽど興味深いし、考えさせられる時点、人から批判を受けている時点で
このブログは人に何かを伝えようとしている事に成功している、意味のあるブログだと感じました。
畜産業の方は笑って殺して自分の笑顔と共にブログに得意気にアップしません。
あなたが自分の好奇心?自慢?のために半殺しにして吊るされていた間のウサギの痛み苦しみが理解できないなら、あなたへの憎悪で虫酸が走ります。
ひとこと、あなた狂ってますよ
コメント欄で否定してる方々、感情的で頭の悪い人が多過ぎて唖然とした。
人が生きるという事は他の動物を殺すという事。
自分は残酷な殺生はしない、必要分しか殺さないなどと思いたいだろうけどそれは誤認識。
ステーキを食べようと思うのも、うさぎを食べようと思うのも同じ事。
行程を他人の手に任せて無自覚に甘受してるだけだという事に気づきなさい。
毛皮について賛否割れるのは分かるが
少なくともこのうさぎは食料の副産物であり猟師としてのマナーは果たしていると個人的には考える。
文書がコミカルで印象が軽く見られているのかもしれないが、
この筆者は命と向き合う事や加工技術を実体験を通して考えて共有しようとしている。
それを遊びで殺したと言うのは筋違いではないか。
野うさぎは狩猟鳥獣であってこの行為を犯罪者と罵るのもお門違いだ。
批判するにしても冷静な見解を持ったらどうなんだ。
とても素晴らしい経験をされてますね。
何万年も前から人間は狩猟をし、木の実や野草を採り暮らして来ました。人間は他の生き物を殺して食べなければ生きてはいけません。植物だって生きています。
幸い、と言うか今は自分が殺さずに屠殺も見ずに単なる「おにく」をスーパーで買い求めて食べられるようになりました。屠殺に関わって来た人達の歴史も知らずに。知らないという事は単なる怠慢です。知らないまま何かを言ってしまう事はとても罪深い事です。
以前、青山のCAYというイベントスペースでピーターバラカンさんを司会に「非差別の食卓」「日本の路地を旅する」の著者である上原善弘さんを招いて「レベルミュージックとソウルフードを探る」というイベントを開催しました。まあ簡単に言ってしまえば世界中の差別されて来た人達の食べ物とそれに密接に関わってきた音楽を探るというものです。
今でも残っていますが、屠殺、太鼓の皮のなめしなどを生業にしている方の多くはかつて、被差別部落民と呼ばれた方々です。この日本に差別があるなど知らない方が多いと思いますが、つまり誰もがやりたくない、でも必要とされている事を担って来た人達です。今では品川の屠殺場もとても清潔になり、外部に開かれていますが、かつては違っていました。誰かがきれいな食肉にしてくれるから単なる「お肉」を私たちは買えるし、牛の皮のなめしは作業工程がとても匂いがひどく街中では出来ません。今でも、和太鼓の皮などは山奥で作られています。そして私たちはそれらを利用する事が出来ています。
私は以前、目の前で車にはねられ死んだハクビシンに遭遇しました。既に動脈を損傷し、口から血を吐いてすぐに死んでしまいました。このまま土に埋めるかしばらく悩んだ末に持って帰って捌きました。捕らえたり殺したりするのは違法ですが、死んだものを拾うのは罪にはなりません。四つ足動物を捌いたのは初めてでしたが、両手両足に切り込みを入れて、全てペティナイフで捌いて、味噌鍋にして食べました。とても美味しかったです。で、残った皮を捨てるのが忍びなく、あなたと同じようにネットで調べてみょうばんを買い求め、なめしてみました。皮がすこしゴリゴリしますが、初めてにしては上手く出来たと思います。ゲームで無闇に生き物を殺してそのまま放置するのとは違って、あなたはマタギが狩猟したウサギを食べて自分の血肉にする体験をした後、そのままでは捨てられてしまう(穴があいた毛皮は商品価値がないので廃棄されてしまいます)皮を、かつて、と言っても本の100年前までは普通に行われて来た事を追体験しただけです。動物愛護の観点から見ても何ら問題はありません。むしろ命を最後の最後まで大事に活かしているとさえ言えます。これから狩猟にも挑戦されるとの事。とても素晴らしい事です。イノシシやシカなど駆除しなければ生活に困っている里山の人達が沢山います。里山と奥山の間の雑木林がどんどん伐採されて開発され、本来山奥で暮らしていた野生動物達が里山に降りて来て、人間の暮らしに関わらざるを得なくなりました。これらの現実も知らないで鹿を撃つのは可哀想などとは言ってはならない事です。私は東京西麻布に住んでいますが、春に、どこに行けば食べられる野草が摘めるか、港区内はほぼ把握しています。都会のど真ん中でも野蒜やイタドリ、土筆もヨモギも生えます。それを知っているか知らないか、何かあった時に、ただ救援物資に頼るだけでは生きてはいけません。何があっても生き抜く。とてもしたたかでしなやかで美しい姿勢です。知り合いのC.Wニコルさんが訊いたらとても喜ぶでしょう。ちなみに私はそんな事とは全く関係のない、音楽プロデューサーです。あなたがとても羨ましいです。今の仕事を辞められるなら、同じ事がしたいです。知らなくてもいいことは世の中に沢山あります。でも、自分の生活に密接に関わってくる「食」について、見たくないものから眼を背けるのはとても自分勝手だと言えるでしょう。
https://www.facebook.com/ShuryoForum
http://kari-girl.com/
http://inoshika.jp/
政府をあげて、みんなで野生動物を殺そうと言ってる時代ですよ。
人間がおこなった環境破壊を棚にあげて、増えすぎたから殺そう。
せっかく殺すんだから、有効利用しよう。
食べられないものは、他の使い道を考えよう。
今も昔も人間はそうやって生活してきてるんですね。
Pingback: 猟師になりました。あと、炎上のことも。 | ちはるの森
コメントみると、ブログ主を批判している人が、最後にブログ主の人格を否定するようなぐらい突っ込んでいることが人間行動として興味深い。
「動物」の中に殺されて良い動物と殺しちゃだめな動物の線引きをする西洋文化の問題点について、フランスの哲学者・ミシェル=フーコーがなんか、あっさり喝破してたような気がするけど、詳細忘れた。
記事に反応するコメントが非常に興味深い、良いブログ記事だと思います。
毛皮の有効活用の何が悪いんだ?
畜産副産物の利用と同じでしょ。
それに必要不必要は他人が決める事じゃない。
狩猟・解体の記事とても興味深く拝見しています。
大量製造・大量消費の世の中だからこそ、あえて自分の手で肉を狩る経験をする、という姿勢、素晴らしいと思います。
私は、フェイクファーってものがあるんだからわざわざ生き物殺して毛皮はがなくたっていいじゃない、と思っていましたが、
一頭屠殺すれば、当然肉だけでなく革や骨、爪や牙も手に入るのだから、それらをただ棄てるのではなく、綺麗に加工して使えるようにするほうがいいですよね。
皮なめしの技術は衰退していると聞いて驚きました。
ちはるさんは技術の継承者なのですね。
たぶん昔の人も思ったんだと思うけれど、自分はどこから来てどこへいくのか、自分は何者なのかということを考えざるを得ないのが人間ですよね。
それだというのに今の社会で暮らす僕たちは、自分自身を形作っているはずの先祖の事であるとか歴史的な技術や知識とあまりに切り離されていて、地に足がついていない感覚で過ごすしか無いのが実際です。これでは、未来のことを考えるのも、今の自分を実感するのもとても難しいものです。
もしそういったことを疑問に思わず現代的な環境を無批判に享受できるならそれもひとつの方法かもしれませんが、しかしそれでは過去の教訓を未来に引き継ぐ事が難しいだろう事は明らかですし、そういった状況で楽観的に今をすごせる資質があるとしたら、それは単に幼さという事でしょう。
私達の過去は全て忘れるべき汚点であるはずはなくて、敬意を持って接するべきものだと思うのです。さもなければ、今生きる自分自身も、すぐに汚点となってしまうでしょうし、そんなの喜ばしい人生とは思えないですもの。
もし現代社会が、そういった過去への敬意を実感出来る社会であれば安心して未来のために今を過ごせるものかもしれませんが、実際には多くの場面で、貴重な過去の知恵とは切り離されてしまっています。そんな状況の中で今ちゃんと生きるには、ちゃんと暮らすにはという事を考えた時に、ちはるさんがされた様に、過去の知恵に触れる方法を探すのはある意味で当然のことですし、また、尊敬できる模索だと思います。
また、こうやってネットワークに情報をまとめるということは、ご自身にとってのお勉強となるでしょう事は勿論ですが、同様の不安にさいなまれているひとにとっては、大変ありがたい交流となりっています。
過去の知恵に触れるといっても、実際にやってみなければ納得できないひともいれば、他に方法が無いからやるしかないという人もいて、また、今回のようにこうやって、まだ大丈夫だよと教えてくれる情報に接することが出来るだけで、安心して自分自身の暮らしを続けることが出来るという人も居ます。
今回ちはるさんがそんな交流の大事な一端を担ってくださったことには感謝です。
このような情報を野蛮で悪影響につながるものだと考える人も居るそうですが、皆がいちからすべてやってみなければわからないというのは、それこそ野蛮で現代的ではない事です。こういうのは不要な情報であって秘密にしておいて欲しいというのだとしたら情けない事です。
身の回りに知恵が足りない分、ネットワークを通じて交流して、また自分自身の生活を支えていくというのこそ今らしいのにね。
現代に生きる人らしいやり方で過去の知恵を大切にする事が、良い未来を実現する方法だと思います。
この記事はそれを実践されようとしているようで、大変、良いものだなと感じました。
あと他の方もコメントに書かれていますが、屠殺であるとか皮革であるとかは日本では非差別であるとか特定の立場の人達が担ってきた歴史がありますよね。だから個人向けの情報が少ないという事もあるのかもしれない。そんな中、屠殺や皮革に関することを簡単に野蛮と評してしまうコメントがいくつもみられたのは、アララという感じでした。自分がしているのは差別ではないからその事は今回関係ないと思って書かれているのかもしれませんけれど、単純に無知だったり無関心だったりした結果、屠殺や皮革に関連する様々をタブーとして扱ってしまっているのに気がついていないなあという感じです。これも幼さなのかな。屠畜であれば重要な産業とわかっているから差別じゃないよと思ってるのかな。よくわからないですけれども、はっきりした差別はなくても、タブーはあるのかなあと心配になってしまいました。
コメントされてる人にも色々いらして、色んな主義がありますが、個人の主義なら必要なのはご自身の実践を追求していく事だし、社会的な問題だと捉えているなら、必要なのは社会システムについての働きかけですよね。個人に文句をいう事はどちらの役にも立たない。なんだろね。
ま、幸アレ。みんなに。
全く同じ柄のウサギを飼ってるが
こんな見た目も頭もイカれた思想の女より
茶髪でフワフワした髪でフェイクファー好きの女子が
長くウサギを大事に飼ってる方が地球の為にいいに決まってる
ウサギは囚われの身になって幸せとおもってんだろうかね?
自己満足でウサギ幽閉してる奴が言う事じゃないと思うがな
何が地球の為にいいだよw
『茶髪でふわふわした髪でフェイクファー好き』の女性が使ってる髪を染める薬剤は、もちろん動物実験をしていない企業ですよね?
地毛なら別ですが・・・。
料理人です。
ちはるさんは、食用の肉になったウサギの毛皮を加工されているんですよね?問題ないのでは。
害獣の鹿については、
どの自治体も数を減らすために殺して、
肉や皮を商品化できるよう尽力しています。
ペット用の魚と趣味で釣って魚拓取って食べないで捨てられるが違うように、うさぎも、馬も、クジラも、食物連鎖のチェーンの中にいるのであって、食べるべきじゃない、というのは、感情移入の主観の違いだけなのでは?
卵を産む鶏なんて、郵便受けのような箱にいれられ、身動きできず、さんざん卵を生んだ後は、殺されるだけです。それと変わらない。
ブログの文体が稚拙なので、
伝わっていない部分が多く叩かれてお気の毒ですが、
扱われているテーマがセンシティブなので、
文章をチェックしてくれる有識者をいれたほうがいいかと。
ウサギのナメシてこうやるんですね、いい勉強になりました。
自分も象革の財布を持ってるので、こんな感じで作られたんだなーと感じます。
批判してるバカも多いですが、頑張ってください。
日本のどこかに、まだ職人さんがいるのだと思いますが、
独学だけで行うよりは、技術を持った人を訪ねてみるのも、
技を深めるためや技術の継承や普及には良いかも知れません。
頑張って下さい。
これ程想像力もない人達が、たくさんいたと知りませんでした。そういう人達は、何か食べないと生きていけない体で生まれてしまってさぞかし罪多き人生を悔やんでいるんでしょう。
とはいえ、私も生きていた動物の肉を食べているという感覚があるわけではないので、自分の子供が産まれる前には、自分で生き物を〆て食べる経験をしておきたいと思っています。
主さんは良い経験をされているなぁと羨ましく思い、自分の行動力のなさを反省します。ありがとうございました。
みんな頭おかしい。見たくないならインターネット止めればいいんじゃないかな。
普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたお話
の、コメント欄をお読みください。
ちはるさん(ブログ主さん)の語尾や写真が煽るように感じられるかもしれませんが、この記事をみて、またうさぎのことを考えてください。
ちはるさんの考えにはぶれがあります。
はじめは、食べるための命。ありがたくいただく命。
毛皮にするウサギの殺害は、必要のないものです。
命の線引きとは、そこにエゴがあるかどうかではないでしょうか。
他の動物がやるかどうかも、大きな要素だと思います。
ちはるさん、読者の皆さん、
人間も動物としておなじ動物を殺す必要があります。
しかし、おしゃれで、殺す動物はいません。
ちはるさんどうか、
うさぎから生きたまま剥ぐのでなく、痛み無くファーを得る方法を考える等してください。
ちはるさんの観点は痛みではないのかもしれません。
では、犬のしつけについて考えてください。
いぬが悪さをしたとき、たとえば飼い主が、(本当は良いしつけではありません)
犬をぶったとします。
これを繰り返すと、犬の目の前で手を挙げるだけで、
首をすくめるようになります。
どうか、広い視野、視点、観点をお持ちになってください。。。
そして、コメント等をご覧になって、傷つき、憤りを感じているひとがいるのは、お気づきですよね。
それならば、
(笑)
だよ〜
などという表現はお避けになられたらいかがでしょう。
ちはるさんの主張は、
分かる部分と理解しがたい(どう考えても考えが浅い、想像が足りない)部分がありますが、
表現の「福祉」
とは、
おもいやりの上に成り立ちます。
どうか、ご検討ください。
>毛皮にするウサギの殺害は、必要のないものです
以前の記事をちゃんと読めって。マジで。
このウサギは肉を食べるために駆られたウサギで、猟師さんは骨や脊髄を食べることもあるし、内蔵はキツネやトンビが食べて、そんな風にして最後に残ったのがこの毛皮なんだってば。
毛皮を捨てちゃうのはもったいないから、毛皮まで利用する。ウサギの体を余すところ無く、捨てること無く、全部使いたいっていう気持ちからの行動なんだけど。
肉だけ食べて残りは全部捨ててるアンタとは大違いだね?あ~もったいな~い。動物愛護団体によれば、特に毛皮は絶対に利用しちゃいけないんだよね?アンタらよっぽどゴミを増やしたいんだね~。
そうやって真実を調べもせず、自分の妄想だけを根拠に人を非難するアンタなんかには、真実なんていつまでたってもわかんないよ。
手始めに「動物愛護団体 詐欺」とかで検索してみたら?アンタら末端構成員が信じてやまない動物愛護団体の闇が見えてくるだろうから。
この記事批判してるやつみんな偽善者だね
お前らだって自分の手を汚さず肉を食ってるくせに
人間生きていくには動物を殺さなくてはならない
それは人間に生まれてきたからにはしょうがないこと。連帯責任
みんな動物を殺して罪をかぶってる
衣食住のため寒い地域ではアザラシなどを〆て余すことなく食べたり寒さをしのいでる
この人はうさぎを虐待してるわけじゃないし、命の重さを理解してるからこういう作業が出来るんじゃないの?
自分の手を汚さずに文句ばかり言うお前らのほうがよっぽど立ち悪い
可愛いから殺すな?ペットだから殺すな?
じゃあ保健所で明日殺されるかもしれない動物たちが生きられるように全て引き取ったりしてみろよ、出来ないだろ?
人間はみんな自分勝手
だからちはるさんを寄ってたかって責めるのはおかしい
お前らは卑怯者だ!!!
笑いながら写真晒してって非難してる奴いるがそういう奴もBBQや焼肉のときとか笑顔で写真とってフェイスブックとかにUPしちゃってるだろ。
うさぎは食したあとに毛皮にしてるし生命すべてを無駄なく使うっていうのはとても共感できる。
ライオン狩りの記事から、辿り着きました。
なんか、凄い!
命を頂くって こぉゆぅことですよね。
みんな、スーパーで解体されてパック詰めにされたお肉しか見てない。
そぉゆぅ人に限って 草食獣が肉食獣に食べられてるとこ見ると、可哀想・・・とかいうんだろうなぁ。
アタシは、食べ物は みんな自力で手にいれる時代が来れば良いと思ってます。
そうすることによって、食べ物のありがたみや 残された皮なども、残さず大切に使おうと思うんじゃないかな。
無意味な殺生は良くない。
でも、生きるためなら否定は出来ないと思う。
ヴィーガンの方たちは凄いと思うけど、草は痛みを感じないから食べていいとか
そこに同意は出来ない。
将来的に、技術が発達して 痛みのない殺しかたが出来たら お肉を食べるのでしょうか?
多分~食べないと思います。
アタシもファッションの為のファーは反対しています。
あんなもの、必要ないですからね。
マイナス30℃や40℃じゃあるまいし、あれこそ残酷極まりないです。
でめ、今回の狩りから 解体方法~料理など
余すところなく活用されて、良かったと思います。
これこそが、命を頂くということです。
死んでしまったウサギの生活は絶たれてしまったけれど
見る度に、思いだし感謝するのではないでしょうか。
必要性云々で言ったらペットを飼う事ほど無駄な事無いしね。
それに狩られたウサギは批判している人らが飼ってるウサギそのものではない。
畜産批判したり狩猟批判したり鬱陶しいったらありゃしない。
初めまして。あまりにも批判のコメントが多かったのでびっくりしてコメントいたしました。
掲載内容が衝撃的なことで反感を買いやすいのだと思いますが、いかに、普段自分達が都合よく生き物が死ぬ現場を見ずに、その恩恵だけを受けているのか、改めて考える切っ掛けになりました。
銀の匙という漫画で、主人公が大切に育てた豚を出荷時期に屠殺してもらい、その肉を自分で買い取ってベーコンにする話を思い出しました。
わたしも兎やフェレットなどの小動物は好きですが、このブログの叩かれ方は過剰だなと感じました…
風当たりは強いかと思いますが応援しております。
私は今、都内のペットショップで
トリミング中のウサギを見て、可愛いなvvv
と思い、そのあと駅前の雑貨屋さんで
安価なラビットファーのバッグを買って、
それを膝に抱えてスマホからこのコメントを打っています。「ラビットファー つくりかた」で検索しました。
すごく反省しました。
うさぎもうさぎの毛のバッグもすごくかわいい。
でももしかしたら、このバッグを作った人は、私がバイトで稼いだ三千円を手に入れるために、わざわざうさぎを殺して毛皮にしたんだから。わたしが気まぐれでかわいいもこもこのバッグを買ったせいで、うさぎを死体にしてしまった人がいる。
わたしみたいに思慮の浅い、気まぐれでかわいいものを
ほしがる女の子のせいで、生き物を殺すことを仕事にしている人がいるならとてもつらい。
もっと自分がしていることの意味をこれから考えないと
いけないと思いました。
でも今品質表示を見たら、ポリエステルでした!
よかった!ポリエステルでも同じくらいかわいいです!
はじめまして。
私も311以降色々なことを考える様になった一人です。
このブログはとても面白いと思います。
もちろん今まで気に留めていなかった大きな時代の流れに逆らって行動するのですから、初めから全てがうまくいくわけではないと思います。
この記事を読んで批判的な事を書いている人は水道水は使わないのでしょうか?
シャンプーやボディソープは使わないのでしょうか?
メイクや美容液は使わないのでしょうか?
パーマやカラーはしないのでしょうか?
洗剤、ガソリン、石油は使わないのでしょうか?
これらは使う事によって環境破壊に繋がり多くの生き物を殺すことに繋がるという事を理解したうえで批判しているのでしょうかね?
私たち人間はもはや生きていく事自体が地球やその他の生き物に対して優しくない事を考えているんでしょうか?
それらを理解したうえでそれとどう向き合っていくかが大事だと思います。
お金を払ってスーパーで買う事が無駄な殺生をしないことと言いますがそのお金を稼ぐ事、買い物をする事が無駄な殺生を行う事そのものかもしれない事を考えるべきだと思います。
この記事を批判する人達は見えない殺害には無頓着で見える物だけを重要視してる様にしか見えません。
このブログから考える人が増え、そういう人達が集まり地球、動物、人間、命を本当の意味で考える事が出来る様になればいいと思います。
無知は罪です。
人間は皆、罪深いです。
しかし『無知の知』を知れるかで生き方は変わると思います。
お金が価値の無い世界がいつか訪れれば良いと心より願います。
その一歩がこのブログに表現しているのではないかと思います。
はじめまして
最近動物愛護に興味もってる学生です
このコメント欄で、ありえないって書いてるひとも
リアルファー使ってたりするんやろなっておもいました
リアルファーなどは反対ですが、自分でとって、自分でなめして、自分で身につける。北極とか行ったらそうですよね?
作られる過程が全部分かっていて命ありがとう、ってしたものなら身につけても良いと思いました
私はベジタリアンになりたいと思ってます
でも、自分で魚を釣った場合食べるでしょう
話まとまってないですが、自分で、命ありがとうってしたものは良いと思います
動物の屠殺にまで大量生産方式が適用されるシステムというか、動物を殺しているという実感もなしに、代金を支払うだけでお肉が手に入ってしまうシステムに、私もこの頃疑念を抱きはじめたところでした。
毎日動物を殺して食べているという簡単な事実を直視するのは、きっと難しいことですよね。鶏の首を自分の手で締めるのは、想像するのも辛い。コンビニでフライドチキンを買い、ファミレスでステーキを頬張り、その口で動物愛護を叫ぶのは至ってお手軽なことだけど。
避難されている方々の中に、『 社団法人日本毛皮協会の方と、動物愛護団体の方のやりとり』の全文を読んでらっしゃらないかたが多いのに驚かされました。
革工芸を生業としています。自分なりに皮革を勉強し、テキストとしてブログなりツイッターなりに残すうち、わたしも愛護団体のかたやその思想を啓蒙する方々に厳しい批判を受けた事もありましたが。
そういった、自分とは異なる思想で批判をされる方々に対し、どう言えば「自分も同じように生き物を愛している」ことが伝わるのかを考えては悩む事も多くあります。
ただ、ちはるさんのこういった取り組みによって、明らかに間違った知識からの批判が少しでも減り、動植物とのより良い付き合い方が発展すれば と願って止みません。
革の鞣しには興味ありつつも、生の皮革を手に入れる機会が無かった(勉強が及ばず、ないと思っていた)ためこれまで挑戦した事がありませんでしたが、狩猟体験などでウサギ一枚くらいは入手可能なようですね、是非、食とともに全て体験してみたいと思います。
せっかくなので、そうして一個人が造り上げた毛皮を作品にし、販売できれば、ひとつの取り組みとして面白いかもしれません。
もちろん、ここのコメント欄のような批判を受けるのは覚悟の上で という事になりそうですがw。。。
ハンターじゃないから4つ足は捌かないけど、田舎なんで鶏くらいなら〆て美味しく頂くことに抵抗のない人間ですが。
>沢山の人に見てもらってよかったね、うさぎちゃん。
↑これはちょっと理解できないなー。
ハンターブログとかいっぱいあるし読むの好きだけど、ここが叩かれてる理由ってこういう押し付けがましいとこじゃないのかな。
革剥がれて展示物になって
うさぎ「うれしい!幸せ!」とな、ないってw
ファー作成自体は別に悪いことじゃないと思うし、ハントも自分は否定派じゃないけどさ。
野生動物を殺して、命をいただきましたとか表向き自然派の自分カコイイ☆臭が文章からにじみでてるように感じるわ。
色んな意見があって、無理、賛同できるとぱっくり分かれるのはよくわかります。
私も手で画像を伏せながら、見れるだけ確認をしました。
昨日、志村動物園で食用牛を愛情もって育てて、出荷する農業学生たちの映像が流れてました。私は、どう心をもっていけば正解なのか分からず、涙がずっと止まりませんでした。
しかし、これを見た後なのでこのページのことは批判しようと思いません。私たちは、綺麗事ではなく一動物で、動物を殺して食べるし、寒さから身を守るためや色々な用途で革を必要とする、本当に動物なんだなと思いました。
今でこそ合皮などあるのでその観点では、どう発展していくべきか悩まないといけないのかもしれませんが、ご先祖様たちは、確実に動物を手にかけて、さばいて、革を剥いで、生きてきたから今の自分たちがいるんだと、つくづく思うようになりました。
長くなってしまいましたが、、うさぎを飼ってらっしゃる方にはあまりにもショッキングな内容だったと思います。。。
ペットは家族という気持ちも知ってますし、動物の命を、余すところなく大切に思うからこそ使う、この方の考えにも、私は共感しました。
考えさせられます。命をモノのように考え、効率性、利潤だけを求める人、業界があるということ、今後購入するものについてその事も踏まえて、お金を使おうと思います。
猟奇的と書いてる方おられましたが、人間はそうして発展してきたという事実や、普段口にしているお肉は、大切に育て出荷して下さった方がいると思えば、少し考え方が変わったりしませんでしょうか。。目的が違うと思います。
押しつけがましく書いてごめんなさい。
最後にこのページをお書きになった方、ワイルドだなぁと思います(笑)私は、応援も否定もすっきりとし切れない、まだ未熟だなぁと思うのですが、人間のために殺されてただ捨てられる革を使いたい、というのは応援したいなぁと思います。
しかしパルコにこの革があって本物!!!と書かれていたら、きっとトラウマだったと思います。やはり、考える機会も普段ない事柄なので、免疫がまったくないのですね、考えるきっかけを与えて下さったこと、綺麗事でただ選択肢を狭める考え方はたくさんありますが、違う観点での考え方、ありがとうございます。もう少し、向き合って考えてみようと思います。
愛媛のペーパーわな猟師です。
今車にひかれたうさちゃんの死体を目の前に、
解体に挑戦するか悩んでます。
わたしもふわふわファー欲しいーでもダニがいやですー。
猪の解体なら何度も補助してるんですけど、
うさぎちゃんはやったことないからなあー、うーんと悩んでます。
ちはるさんのファーのピアスがかわいくて、真似したくて書き込みました。
年齢も名前も似てて、いつもブログに注目しています!
>避難されている方々の中に、『 社団法人日本毛皮協会の方と、動物 愛護団体の方のやりとり』の全文を読んでらっしゃらないかたが多 いのに驚かされました。
もっとも。
すごい言葉で批判をする方は今見えているものだけに反応する人
真意はもっとその奥にあるものだと思う
全てのことにみんなが「同意」すると思わない
けれども表現をしている上ではどうしても様々な意見がくると思う。
自分はchiharuを応援する
こんなに気持ち悪い笑顔初めてみました。。。
自然とともに生き、食べるために動物を狩るくらしをしている人になんの文句もありません。彼らは自然や動物に感謝し、また敬愛し共存しているからです。そしてきっとこんなことを、自慢することもないでしょう。でもあなたは違います。
都会で生き、必要のない命を奪っています。さらにそれを正当化し、みんなに自慢する。頭おかしいです。
負のオーラ出まくってますよ。
必要のない命とありますがそれはいったい誰の視点からみたものなのでしょうか
私は命を奪う必要のあるなしは太陽さん一人で判断するべきものではないと思います
貴重な体験を報告してくださりありがとうございました
命を簡単に捨てないで無駄を残さず使い切る姿勢は素晴らしいと思います
ちはるさんのレポが楽しそうなので自分も皮なめしやってみたくなりました
ちはるさんは、猟師ですか?
あなたは、毛皮がないと命に関わる様な暮らしをしているのですか?
オシャレの為だけに毛皮を良いと言うのは大量生産している人間と何も変わりませんよ。
そんなに毛皮を着たいのなら、そういう暮らしをしている民族にでも入ったらいかがですか?
そうしたら、生きる為に必要な毛皮を作れますよ。
この様な安易な考えで記事にするのはやめて下さい。
この人はオシャレで毛皮を着たいなんて言ってないのに・・・
そういう一方的な解釈が誤解を生む。
これは問題ないと思う。
猫の首切って公園に置くとかじゃないんだから。
まあ、若さゆえなのか表現に「ん?」という部分もあるけどね。
これを批判する気持ちが、昔の皮なめし職人等に対する差別につながっていったんではないのかと思う。
個人的にはこのウサギの肉を食べていればいいんじゃない。
食べた後の副産物の有効活用。全く問題ないと思うし、むしろ有効活用しないと、と思う。
毛皮欲しさ(特にステータス的な)の殺生はどうかと。
皮なめしをやりたいだけで殺したのでは、ちょっと腑に落ちないけど、いずれは自分も皮なめしはしたいね。
もちろん肉もおいしくいただく方法も勉強してからかな。
いろいろな意見があるねえ、自分には素敵な笑顔に見えるけど。
人はビーガンになれるけど、自分がビーガンだからって動物園の肉食獣に対しても動物性の餌は残酷だから与えるな、ビーガンにしろって言う人もいるからね。人間中心に考えているから肉食獣も野菜だけで生きていけるという稚拙な意見が出てくる。それって本当に動物のため?!肉食獣は生きるために肉を食べてるんだよ。食肉目はセルロース他を分解できないんだよね。それをやめろって・・・極端な事例だけど、本当にこういう人がいる。
人も雑食なので、肉は食べても良いと思うし、繰り返すけど食べた後の副産物でなめすなら問題ない。
人って本当に千差万別ですね。
ここに書かれてるコメントは賛成も批判も様々ですが、書き込まれてる方々は皆さん同じように動物のお肉を食べ、毛皮を着ることもあると思います。私もそうです。
こちらの管理人さんがやってらっしゃることは、普段私たちが知らない場所で、私たちのために行われていることです。
こちらを見て爽やかな気持ちになる方はいないかもしれませんが、我々の日常では隠されてしまっている部分をネットで見せてくれる人がいるのは、ありがたいことではないでしょうか?
ファーになったウサギと、管理人さん。改めて自分の命が他の命の上に成り立つものであると感じさせてくれて、ありがとうございます。
ブログ拝見させていただきました。すごいですね、よくこんなことが嬉々としてできるもんだ。
なぜ必要のない命を奪ってる?あなたは猟師で生活してる人なの?あなたが生きるのに必要不可欠なものなんですか?
私たちが生活する上で動物の命を頂くのは避けれない問題ですが、必要以上に命を奪うのは正当化できません。なぜあなたのお洒落のために動物が命を奪われないといけないのですか?
世の中には動物の命を自分の手で奪う人もいますが、彼らは自分の生活のためにやっています。じゃああなたわ?
動物は彼らだけではないです…私たちも動物です。なぜ人が死んだら悲しむのに森に住む獣たちには悲しみすら見せないの?アクセサリーのため、技術のためならやめてほしいです。必要のない命を奪わないであげてください。生きるために必要な分だけ感謝をこめて頂いてください。彼らの命の叫び、理解してあげてください。
おしゃれのために狩られいつか捨てられてしまうその悲しみ、わかりますか。
う~ん うちも兎を飼っているけど。
肉も食べるし、毛皮なんかも着ることはある、
家にある製品だって沢山の命の上に成り立っているし、
意識しなくたって薬物も動物の犠牲になりたっている。
動物実験をしなければ、色んな製品は世に出てこない。
家の衛生環境を保つという前提を盾にして、
気持ち悪い虫やネズミを殺すために毒もまく。
カラスやノラネコが近寄れば追い払ったり、
本当に迷惑している人は殺すことも考える。
人間っと言うのは基本的にそういう身勝手な生き物だと思う。
確かに無益に動物を殺すのはいけないことだし、
自己快楽の為に命を奪うことは許されてはいけない。
でも無益かどうか、利害と言うのはあくまで人間の視点で、
同時に「命に感謝しながら」なんて言葉も同時に、
本人にしかわからないことなのだとも思う。
兎は可愛いから殺しては駄目、雉は殺しても良い。
そういうわけにもいかないと思いますしね。
例えばこのブログの作者のご家族が森の中で迷った時、
ヒグマに襲われて陰惨な死を遂げたとする。
でも、それだって作者が人間として狩りをして、
兎の毛皮を作ったように、熊が人間を殺すのだって
自然の摂理なのだと思います。
この記事を見て残酷だ!っと感じる人も多いと思います。
そういう方は作者を叩くのでも、
こういう狩りを非難するのでもなく、
ご自分の身近な方やご家族に対して、
「我々は命の上に成り立っている、だからこそ、
一つ一つのことをきちんと考え感謝して生きないといけない」
っということを教えて行って欲しいと思います。
「いただきます」という言葉を教えない社会になってきた。
お金を払えば「お客様」になる「残してもかまわない」
そういう精神がどんどん増えている。
本当に問題にしなければならないことは何か。
その辺をしっかり考えて貰いたいと思います…。
率直にいろんな意見が聞けて良いブログだと思う。
全体的にチャラいブログですね
屠殺をネタに自身の女子力アピールにしてるでしょ?
なんでも女子つけたらセンスよくてオサレになるとでも思ってんだろうか
こんなに生命と向き合ってるアテクシ最高www
アテクシが猟師について世の中に教えてアゲル☆
とか本当に勘弁してください
ありえない
あなたみたいな、人間死ねばいい
こんなとこに載せれる頭が
すごいですね。
同じ目に合わせたろって思うわ。
初めまして。
>猪やシカの駆除の現場ではほとんど捨てられてたなあ、皮。
>も、も、もったないーーーー!!!!!
同感です。
日本の武道の道具って、結構皮使う事が多いんですよね(特に剣道や弓道)。需要はあるんだから、有効利用させて貰いましょうよ。
>(あんま信憑性ないけど…)
あんまりどころか、全く信憑性ありませんよ。
僕もあの動画初めて見た時は「えぐいなぁ…」と思ってしまいましたけど、最後のテロップで「はぁ?」と思いました。
あの中国毛皮残酷映像に関与してるの、何と台湾の団体じゃあーりませんか。
中国と台湾の政治的対立を考えたら、どうやってあれだけ鮮明な画像を撮影できたのか。疑問です。
カナダのタテゴトアザラシ漁反対運動で、過去に反対派が「やらせ映像」を流して、それが暴露されて某国の議会で問題になった事もあり、そういう類の話は多いです。
何にせよ、ここでヒステリックに騒いでる人達は、そういう胡散臭い動物哀誤団体や環境反故団体の情報を鵜呑みにして、自分の頭で情報を吟味出来ない人達ばかりですから、相手になさらないのが賢明です。
カワハギの皮を剥いでるのと同じだろ。
魚のウロコ取るのと一緒。
しかも剥いでも有効活用されてないし。
サメなら伝統的なワサビおろしの道具になるね。
なんで哺乳類だと、こうまで拒絶反応が見られるんだろう。
ペットショップに売ってたやつをやったわけではないだろうし。
希少種なら問題だけど、トウホクノウサギだろ?!
ちはるさん、皮なめしの仕方は参考になりました。
自分は環境保護と農業をやっています。野生動物の被害をリアルタイムで経験します。動物が可哀想というなら、野生動物の被害で家業を廃業しなければいけない人間という動物も可哀想に思ってほしいと常々思います。日本だけでも農業被害が数百億を超えています。自然界も植物相の偏りが激しく絶滅危惧種が増えすぎた草食動物の食被害で影響を受けています。
増えすぎた草食動物は山を荒らし、自然破壊や水害や土砂崩れの要因になります。
ニホンオオカミが絶滅してから、草食動物の過剰繁殖は予測されていたことですし、嘗てのハンターのように「人も自然の一部として野生動物のコントロールを行い、山を守る」という概念はこれからもっと必要になっていくでしょうね。
皮の有効利用事例を出していただきありがとうございました。
自分も狩猟免許を取るつもりなので、勉強になりました。
「食べて食べて、活用して、自然保護!」
Wikiの脳漿なめしから訪問しました。
皮のなめしかた、とても参考になりました。ありがとうございます。
自分で作製した革で作る物はきっと愛着が湧くでしょうね。
いつかその様子も見せていただけたらと思います。
それにしても日本には菜食主義の方や霞を食べているような方が多いのですね。驚きました。
Pingback: 2013年総まとめ!&初獲物ご報告 | ちはるの森
ここにアンチ的なコメントを残されてる方々は菜食主義者の方々なんでしょうか?
少なくとも、菜食主義者で無い限りは皆さんが口に入れられてる動物性蛋白質はこの記事と同じようなこと、いや・・・これ以下のことを経て皆さんの口に入っていると僕は思います。
彼女は人間が昔から行ってきた、本来の『狩猟』というものを少しでも多くの人に「思い出してもらいたい」と思って書かれてる部分もあるのではないかと個人的には思います。
彼女は「命のあるもの」を少しでも大事に、少しでも必要の無いものを出さないために、それを工場のような所で作られた動物性蛋白質を喰ってる人々に、本来の人間の『生業』の一部分を紹介してるのではないかと僕は思います。
食肉工場ではゴミとして捨てられる可能性の大きい脂や皮まで、本当はこういう使い方もあるんですよと紹介してる彼女の記事に対して、人を愚弄するようなコメントを書く人たちは、自分たちが触れたことの無い「動物愛護」だとか「環境保護」だとかの『文字』を読んで、さも自分がそれに触れたような感覚に陥ってしまってる人たちなのではないかと個人的に思います。
あなたたちが食べてる食物の一つ一つがどんなプロセスを経て、あなたの前に並んでいるか・・・もう一度よく考えて・振り返ってみては如何かと思います。
前回のウサギ猟と合わせ私達が生き物の命を奪って生きている、生きることの大変さや、ありがたみが伝わってくるブログでした。
ただ、一言だけ失礼します。全てを使い切る事をモットーにしているのなら、練習用にファーにしたにせよ、どうか作品として飾っておくだけでなく、耳あてや襟巻きなどにして使っては如何でしょうか?毛皮は、一般の人口ファーよりも暖かく、ヨーロッパの冬では毛皮の防寒具が凄く活躍するそうです。
毛皮にするのは可哀想!と言っても、昔から行われているのは、やはり防寒具としてスグレモノだからだそうです。
そんな貴重なものなので、やはり飾っておくのはもったいないことだと思います。
一つの命、無駄にせず大切に使って欲しいと思います。
上記にも書き込んだ者ですが、そろそろこのコメントを読んだちはるさんの意見が聞きたいと思うのですが。
どう思われますか?
こんなにコメントが集まっているので、言いっ放しで傍観するのではなく、そろそろちはるさんに意見をするように求めたのですが・・・
削除とかするから、本意が伝わらず誤解されるんですよ。
このブログや福岡での活動など、肯定的に見ていたのですが、これでは趣味程度ととらえられても仕方ありませんね。
反対派はそういう所を敏感に感じ取っているのだと思います。
正々堂々と意見言ってる方かと思っていました。
非常に残念です。
コメントの復活をしてくれましたね。
いつでもよいので意見を聞かせてください。
よく読んだら、ちはるさん自身の意見はこの後のブログで書いてましたね。
自分のサーチ不足でした、すみません。
でも、直でこのラビットファーのページに飛んでくる人もいて、そこだけを読み、書き込んでいく人もいるので(自分みたいに)、ブログは続いていくと思いますが、このラビットファーのトピにも目的や続きがあることを伝えたら良いと思います。
それにブログに載せる表現方法やフォローも大切だと思います。
ちなみに自分は肉を食べているので、一度は自分で捌かないといけないと思い、鶏を雛から3羽を育て、絞めました。
「嫌なら見るな」でしょう?
殺生はしないというのも結構ですが、自分達だけでやってください。
偉そうに説教する前に、わざわざ覗きに来て喚き散らしているご自身を反省してください。
満面の笑みで写真を撮るのが恐ろしい。狂気を醸し出しています。
将来、あなた本人は勿論、あなたの子どもも同じ目に遭うといいですね。
面白半分で皮を剥かれた後、何やかんやと理由をつけて、立派な標本になってください!
愛護の人は感情が先立つ人が多いね。
それ自体は悪くないと思うんだけど、もっと視野を広げて見るべきでは?
可哀想とか思うのはいいけど相手に押しつけるのは間違ってるよ。
野菜だって栽培される過程でたくさんの虫や動物が死んでるし、それは農業をやる上で仕方が無いしね。野生動物の食害だってある。
シルクだって蚕がたくさんいて成り立つものだよね、アトピーで化学繊維が着れないひともいるし必要だとおもうよ。
もちろん何かを殺すことや、残酷なシーンに嫌悪感を抱いたり、可愛い動物を保護したい気持ちはわかる。けれど、自分が生態系の一員である以上仕方が無い部分もあると思うよ。ファッション化しているとか娯楽化しているっていう意見も多いんだけど、楽器、運動靴やスポーツ用品、服飾、嗜好品としての肉や魚、墨に使う膠、愛玩動物、寝具用品、釣り餌、色々なところに嗜好品として動物や虫は使われているんだ。そのどれも死んだ動物を使っていることに変わりはないし、死んだ理由も自分が使うためであり、そして元は可愛い動物や虫たちだった。考え方は色々あるけど、押し付けるのはよくないし、人格を否定するような言い方は最低限やめた方がいいと思う。
ペットでうさぎ飼ってます。
毎日うさぎに癒され幸せですが、一方で
うさぎ食べたことない、ファー買ったことないって思いから興味本意で読ませていただきました。
いい記事ですね。改めてうさぎって大切な生き物だなと思いました。
でもみんなのコメントも納得できます。グロいよね笑
整えられたスーパーの肉しか知らない私って本当残念だなーと思いました。そう考えると、主のやってきたことは命と向き合い、最後まで大切にされてて素敵だなと素直に感じました。
まぁ、ウチのうさぎが死んでもこんなこと絶対できませんがね。笑
くまさんに同感。ここのコメント、善人の皮を被った悪魔ばかりだ。
自分の偏った価値観を全開に人に押し付けて、人を否定しまくる。
あんた達が正しいなんてモノは何一つないのに。
傲慢過ぎるし
逆に狂ってる。
そういうお高くとまった人間のが逆に地球に対して残酷な事を次々とやらかしてたりするんだよね。
あのさぁ……
あーあもう滅茶苦茶だよ…
さすが動物愛誤先輩オッスオッス!
頭悪そうな感情論コメントばかり残すのやめちくり~
サイトのごく一部を引っ張って下品な誹謗中傷ばかり吐いてはいけない(戒め)
視野の狭さと頭の悪さを露呈していることに気づけや、馬鹿じゃねえの(嘲笑)
世間一般の人々がどう思ってるかはこれの下部を見るといいよ↓
http://togetter.com/li/571815
動物愛護()
ここに汚いコメントのっけてる奴は自分が動物愛護()団体の評判を落としまくってることを認識した方がいいよ
悲しいなぁ……
動物愛護のコメントをしてる人は自覚なき加害者。
現代社会が生み出した気持ちの悪い偽善。
趣味が釣りの人にも同じ事を言うんですか?命の選別ですよね。
批判する人、しない人。
人それぞれだと思います。
私、最初にこれ見たとき…
『え?公開する意味あるの?』
と思いました。
しかし、ちはるさんのブログを見てて、
命の重さを感じました。
私が住んでいる県では、いのちの大切さを知る、ということで
自分たちで育てた鶏を自分たちで殺して、食べる。
そんな授業をしている高校があります。
私は今、受験生です。
その高校に入りたいな、と思っていました。
それで、色々調べているうちに、
『命の授業』のこと。
このちはるさんのブログのこと。
知りました。
命の大切さを勉強するのは大切です。
ちはるさんのブログでも少し学びさせていただきました。
ありがとうございました。
最初に忠告があるのに、それなのに見たのですか?批判している皆さんは。こうやって批判するコメントを残すなら、見なければいいと俺は思います。どこかの国の人のように大量に殺害しているわけでもない。このようにブログを書いているということは、なにかあるメッセージを伝えるためかもしれない。なんの感情もなしにこのようなことをする方がおかしいです。『よく笑顔でいられますね』?逆に無表情の写真だったらもっと怖いだろ。書いている側の考えを、思いを無視して批判。こういうところですよね。
すいませんね、上からで。
命について考える話しをするならば、
もう少し重みの感じる書き方などをするべきだなと思いました。
楽しいと感じることは良いと思いますが、
まるで遊んでいるような見せ方は、命の尊さについて口先だけだと思われてもしかたないことです。
もちろん、肉を食べ、残された部位を利用するというのは良いと思います。
ただ、「沢山の人に見てもらってよかったね、うさぎちゃん。」というのは余計です。
あなたがどういう考え方なのかは知りませんが、食べるために殺されて喜ぶものも、毛皮を無駄なく利用されて喜ぶものもそうそう居るものじゃありませんし、それを見世物にされて喜ぶものもそういないでしょう。
それが私でも私の周りの人間でも嫌です。
もし何か言葉を書けるならば
それは犠牲になった命への感謝や謝罪ではないかと思います。
菜食のあなたへ
今日あなたが食べた野菜、果物、小麦、ライス
それらの怨念が聞こえます
彼らの種を、いわば子を食べてるわけなのですから
私が人間が食べたいと言えば、
あなた方は当然、自分の子を差し出せるんだろうね?
恨みますよ。植物を食べるなんてなんて恐ろしい
植物愛護団体として断固抗議します!
おいそこのお前!雑草踏むな!いてぇだろうが!!!
一つ質問です。
生きたままさばき始める必要はありましたか?
首に弾を受けながらも当たり所が悪く即死できず
恐怖と痛みで逃げようともがくうさぎを
生きたままさばき始める必要は、ありましたか???
せめて鳥をさばくように首を落とすなりして
完全に死なせてから捌くのではいけないのですか?
うさぎの頭をなぐる程度で留めた理由は何ですか?
朦朧とした意識の中で腹をさばかれ
それでもなお動いている様まで綴られておりますね。
それをする必要性を教えてください。
某国のように、生きたまま殺す方が旨みがでますか?
狩猟については意義はありませんが
殺し方があるでしょう。殺し方です。
狩猟という仕事を選び、狩りガールなどという総称までつけて狩猟人口を増やそうとしている人たちもいるのですから
せめて、極力苦しませずに命を頂戴する努力を忘れないでください。
あなたのお腹を満たすために、あなたが生きるために
殺されて食われる命です。
使える部位は全て使うのはもちろんのこと。
殺したのなら肉も全て食し、毛皮もこうして使えば良いでしょう。
ただ
生きたままさばくのは問題だと思います。
ご本人にも、狩猟擁護派のお仲間にも伺いたいです。
どう思いますか?
人それぞれの思いがあるので何とも言えませんが・・・・・
狩ったならキッチリ全て使ってください。
皮を剥ぐだけではなく、食べられる所は全て食べ、だしがとれるならとれなくなるまで取りつくす。剥いだ皮はアクセサリーでもなんでも「使える」物にして、駄目になるまで使い倒す。
残ったもので畑の肥やしetc…
さすればその全てがあなたの糧となり、あなたの一部に形を変え生き続けます。
殺すときにも、生きたまま皮を剥ぐにしても、「一体どれほど苦しかったのだろうか?」と考えてみると、重さが少しだけ分かるかも知らませんね。本当のことは殺された当人にしか分かりませんが・・・・・
動物愛護を叫ぶ方々も、踏まれる草、刈られる野菜、切り倒される木々の痛みを考えながら食べたり使ったりしていますか?
「邪魔だ」と雑草をむしったりしていませんか?
石油も元々は「命」ですよ?
「お前も皮を剥がされろ」と雄弁を唱える方々、貴方達も草木のように胴を刈り取られてみたいですか?
万物は生きているのですよ・・・・・・
自分が普段持っている皮革製品について知りたくて、このサイトにいきあたりました。ホント皮のなめし方って思ったほど公開されていないですよね~。
ふだん何げなく持っている自分のブランドものの鞄が、ブランドによってどうしてこんなに値段差があるのか、
はたまた皮に差があるのか
技術力の差なのか
知りたかったのですが、
なんとなく同じスタートラインで始まっているのだなと思いました。
皮革製品を大切に扱っていきたいです。
命のありがたみを考えるならスーパーの切り身魚や肉を食うべし。
命のありがたみを考えるなら新たに命を頂くのでは無く、既に失われた命から食すなり身につける事を優先すべし。
魚を釣って食べる事はあくまで娯楽である。
不必要に命を頂く必要はない。すでに奪われた命から使うべし。
それでも狩りや釣りをするならば命など語らず、ただ娯楽でやっていると言うべしべし!
命は命の尊さを学ぶ教材にあらず!
人が生きることは食べること、即ち生命をいただくこと…
それを否定する人は,食べる資格なし!
皆さん、自分の食について今一度考えて!
みなさん(大方のコメント)を見ていると本当に地球にすんでいると言う事を忘れているなぁと思う。ぼくは子供の頃から自然の中で自分の命をかけて獲物をとると言う事をよくやった。いま30代前半です。
命をいただくという事は、嬉しい事だし、悲しい事だ。小さい時に自ずとそう感じるよ。
自分の命のさらして命をいただいたり、愛情を持って食べ物作っていけば、このブログを読んだら感謝できると思うけどなぁ。
こういう工程を見ると革靴や皮ベルト、皮カバンとかって本当に安いんだね
成人式でよく使うブルーフォックス(キツネ)のファーとかも安すぎますね
命を消費して作っているという感覚はなく、まさしく工業生産品って感じなんでしょうね
だからこそあの値付けというか