猟師になりました。あと、炎上のこともちょこっと。
みなさんお久しぶりです! 前回の投稿からかなーり時間がたってしまいました。 特にうさぎの記事、コメント欄がとんでもないことになっています。
テーマがテーマだけにしょうがないかなと思いつつ、 それは「命のことは答えがあるものじゃないので、いろんな考え方があって当然」ということです。何が正しいとか悪いとかは、ないと思っています。
たとえば、人が生きる上で、1つの命も奪わずに生きるのは不可能です。 大げさに言えば、今こうして呼吸することだって だからみんな、「ここまでならいっかな」という命の線引きを でも、命をどう区切るか。 その線引きが人と違うからといって、対立したり責めたりしても何も生まれないんじゃないかなと思います。今回のことでも、賛同、批判、色んな意見がありましたが、炎上というよりは色んな立場の人の色んな意見があるよねって分かったことが一番でした。 命の捉え方はひとつじゃない。
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あと、私が笑顔でうさぎを持っているということで
でも。魚を釣って笑顔で写真を撮る人がこんなに批判されることってあまり聞いたことがないです。本質的には同じなのに。 それもやっぱり、みんなが持っている「命の区切り」が違うからじゃないかなと思っています。 でも、自然と繋がる機会もなく、うさぎが「ペット」として認識されている今の時代、私が笑顔でうさぎを狩っている姿に狂気を感じるのは無理もないと思います。 なのでここで、改めてみなさんにお伝えしたいと思います。
私が狩りや解体などのいろんな場所で笑顔なのは、山菜を採る、魚を釣るのと同じように「自分で獲った美味しいものが食べられるという喜び」であり、「動物を殺すことそのものや、動物を苦しめること」に快楽を感じているわけではありません。
まだ経験が浅いので、自分の力で動物をしとめた達成感よりは、怖さの方が大きいですが…。 それでも、この笑顔を「殺すこと自体に快楽を感じる異常者」と誤解されることは悲しいことです。私が笑顔でいることに対して、こう感じている人が多かったのには驚きました。 ブログや写真では伝わりづらいかもしれませんが、現場の私は意外といっぱいいっぱいですよ〜。楽しむというよりは、まだまだ目の前のことをこなして吸収していくことで精一杯です。笑
そもそも、動物を殺す事とご飯を食べる事は繋がっています。 笑うことが命を軽んじている事になるのであれば、その繋がりのどの場面でも神妙に、悲しい顔をしなくてはいけません。毎日懺悔しながらご飯を食べるなんて、食べることが大好きな私にしてみたら辛く悲しいことです。
だから、何かの命を奪うことを罪として生きていくよりは、自分が何かの命なしには生きていけないこと認めて、感謝して、自分の手で絞めたものを食べる。 少なくとも、私はそう思っていて、そういう暮らしを実践しています。
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こうして動物を殺すことを、表に出すべきことじゃないという人もいます。
それでも。 食べものが食卓にやってくる過程が見えなすぎるから、その先が想像できなくて、食事に感謝できなかったり、食糧を無駄にしたりすることが普通になっていて。 だからこそ、包み隠さず伝えたいという気持ちが強いのかもしれません。 生きることは、もっと生々しいことだと思っています。
ツイッターでも佐々木俊尚さんが取り上げてくださって、大きな議論になりました。 ▼佐々木俊尚さんのツイートまとめ/人気ブログ「ちはるの森」から/みずから手がけた屠殺の様子をブログに描写することの是非をめぐって。
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そうそう、それでね。 だいぶ前になりますが、今年の1月に狩猟免許を取得しまして、狩りを始めました。 「どっかからもらってきた動物をさばいて食べるなんて、食べものの最初から最後までじゃない」 コメント欄でも指摘されたことがあります。 山で動物と一対一で向き合って、
まだまだ新人で先輩に迷惑をかけてばかりですが、
それともう1つ。
もう、めっちゃ可愛い。 写真も沢山とりすぎて写真集出せそうです。
「最後は絞めて食べる」という気持ちで育てているので それでも、毎日毎日この烏骨鶏を通じて学ぶことが沢山あります。 特に烏骨鶏を飼うようになってから、改めて、前回のうさぎの記事は 辛い気持ちにさせてしまった方、ごめんなさい。 それでも、基本的に発信のスタンスはこのままでいく予定ですので、
というわけで、この冬はまたまた解体づくしになると思います! どうぞよろしくお願い致します。ぺこり。
—————————————————————————————————- 私が新米猟師になるまでのエッセイ(ブログに書ききれなかったいろんなこと)や、動物別の解体方法、ジビエのレシピ集など、イラストを交えて紹介しています。 —————————————————————————————————-
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こんばんは。僕も今年から猟師さんの仲間入りです(´ー`)
四足で温かい生き物はかわいそうっていう人の感情は分かりますが、高級ステーキの神戸牛も飛騨牛も野生動物と同じ命ですから。
クジラを食べる日本人は、反対する欧米には「文化だ!妨害は許せん!」と言いますが、中国で犬を食べる事には驚愕したりします。
食文化ってそんなもんじゃないですか?
日本は農耕民族だけど、鶏〆て食べるのは一昔前は一般的だったみたいだし。
四足はちょっと…って地域もあれば、鹿や羊が一般的な国や地域もあるし。
カエルや昆虫食もあるし。
なので、僕は苦手で嫌がってる人に無理やり「しめろ」「食え」とか押し付けない限り自由でいいと思うし、非難されるいわれはないと思います(^_^;)
あと、炎上したっていいますけど自分が間違っていないと思うなら、炎上って表現ではなくて、様々な意見コメント頂きました位の大きな気持ちを持ってほしいです。
植物・動物に限らず獲物を自身の手で獲得する事に興奮や喜びを感じない人間はいないと思います。
それが美味しいものならなおさらです。
育てて食べるのも、酪農や畜産で牛や豚、鶏を育ててる人は愛情かけて愛でて育てていますしね。
日本は魚だけど、ヨーロッパではジビエとか肉食べてるんだし、べつにマネしたっていいじゃん位に考えて、あんまり思いつめて悩まないで下さい(*^。^*)
炎、上等〜。
応援してるよー!
生きることは殺すことだとは自覚していますが、その、目の前の動物を殺すことになんの意味があるのでしょうか。無意味な殺戮以外の何物でもないと思います。
あなたが命について考えるために、動物が殺される。なんの意味が?
どう考えてもレジャーでしかない。
絶対に、生きるために殺しているなんて自覚無いと思います。
だって、その動物を殺さなくてもあなたは死にませんから。
まったく無意味な殺戮です。
あなた達は、家畜を育てる人々、屠殺を職業とする人々とは、全く違います。
こういったレジャーで殺す人々がいることこそ、問題であり、考える必要があると思います。
無意味な線引きで相手を叩くのやめようよ、「だれかがあなたの代わりに殺してくれるんだからあなたは殺すな」というおしつけがましい立場は、「私の食い分はせめて私が殺したい」を打ち消すものではないよ。
ちゃんと全文読んでコメントしましょうよ。
彼女の行動を「レジャー」だと取るかどうかはあなたの観念でしょ?
「彼女自身が生きるために」殺してる、なんて一言も書いてないんじゃないですか?
そういう書き方すること自体、読まずに自分が言いたいことだけ書いてる証左でしょう。
主観的決め付けを前提とした批判合戦は不毛です。「レジャーである」が決め付けであると仮定した場合、あなたはそれでもちはるさんを批判し続けますか?無理ですよね、おそらく。残るのはただの感情論です。気に入らないからといって感情を他人にぶつけるのは実に見苦しいです。
こういう猟をきちんと行う人は、きちんと命に対する考え方がきちんとしてる人が多いんですよね。
他の生き物に対しての。
少なくともあなたのように、他の人間の事も考えず自分の中の意見が世界の常識のように錯覚して、偉そうに講釈を垂れてしまうような人間の方が私から見ると、どこかで他者の命を軽んじてみてるようにみえてしょうがないですよ。他者を正したいなら、まず自分を見つめなおすところから始めてみてはいかがでしょうか?qさんでよろしいんでしょうか?残念な方ですね。
全くもってその通りです。自分で育てたり、捕ったりする事で、命の価値を知ることができますよね。私もコメや野菜、川でカニ漁、海で釣りをして楽しんでいます。
はじめまして。
Facebookにシェアされたリンクから覗きに来ました。
「命を頂く」という考え、まさに今、忘れられている事だと感じています。
また、拝見させて頂きます。
楽しみにしています。
命を頂いていることに気がついていない、あるいは認めたくない人たちにとってはショックな出来事だったかと、思います。
しかし炎上させた人にとっても様々な発見や気付きが本当はあったとおもうのです。
これからも応援しています
こんにちは、ちはるさん。
狩猟免許の取得、おめでとうございます。
そして前回の記事で品性に欠けるコメントの非礼をお詫びします。
コメントの書き出しの部分です。
ちはるさんの表現方法を非難しつつ、自分の表現に礼儀がなかったことを反省していました。
アツくなってしまっていたんだと思います。
本当にごめんなさい。
これは僕の持論なんですが、
常々「美」を求める職業の僕にとって、「美」とは「命あるさま」なんです。
野に咲く花は美しく、「美」は萌えいずる命そのもの。
僕は女性の髪をカラーやパーマで傷ませて、鋭い刃で切り刻むのが仕事です。
しかしそこに出来上がるスタイルには「命が在る」ようにしたい。
糸島では今、牡蠣小屋が旬ですね。
僕も常連のひとりですが、生きた牡蠣を炭で焼いて食べる。
とても残酷な食べ方だけど、とても美味しい。
僕はうさぎを飼っているけど、うさぎを狩って食べる人を非難する気にはなれない。
機会があれば、うさぎの肉を食べてみたいとさえ思っています。
きっと美味いんだろうなと思います。
ただ、ちはるさんの表現の在り方が良くなかったとは思います。
残酷さを覆い隠す必要はない。
ただ、残酷な行為を可愛く表現したのは違和感を感じます。
そしてオープンな場所であまりに赤裸々に表現し過ぎたのでしょう。
配慮は、必要です。
アンチなコメントが寄せられるのは仕方ないとして、それに反論をする信者のような方々のコメントも炎上に油を注ぐようなもの。
僕は思うのですが、どちらのコメントも結局、狩る側からの目線でしか述べられていない。
人間が一方的に命を狩る側ゆえのコメントですよね。
もし、日常的に人間を狩る生物が社会に存在していたら、また違った意見が出るのかもしれない。
僕らはめったな事では、他の生物に食べられないからね。
ともあれ、狩猟に懺悔する時も、生きゆく事に生々しさを思う時も、
僕らが、ちはるさんが、そこに「命在る」美にもっと触れられますように、
心から願います。
と感傷的になりつつ、長文失礼しました。
はじめまして。
私はFacebookでフォローしている方の投稿から初めてこちらのブログを拝見しました。
私事ながら、私はうさぎを飼っていました。
と、同時にうさぎを殺したこともあります。
大学の実験で、動物を扱うものがあり、最後に塩化カリウムを注入して殺しました。
実験で同じ班だった人々がみな、嫌がったので、私が注入しました。
でも、実験をさせてもらったのだから、いつまでもその苦しみをむやみに長引かせることなく、速やかに殺すのも実験者の務めだと思います。
どのように生きていくにしても、生死の問題からは逃れることができないのだし、炎上は好ましくないことかとは思いますが、期せずして議論のできる場の出現ということもあるかとは思います。
長くなりましたが、これにて失礼します。
はじめまして。
今回のブログ大変興味深く読ませていただきました。
命あるものを頂いて我々は生きているという当たり前のことを思い出させてもらった気がします。
命を奪い自らの命を繋いでいることを忘れないよう、ちはるさんの行動を応援していきたいです。
こんにちは。
私はちはるさんの意見はごもっともだとも思いますし、動物は話せないのだから「経験のために殺すね」なんて言っても通じないから仕方ないかと思います。
炎上するのは、ちはるさんの文面かな?と感じました。
「普通の女子が~」など、わざわざおもしろおかしく書こうとするのは、やはり命を扱う内容に使うと勘違いされると思います。
これから大変だと思いますが、影ながら応援しています。
ちはるさん。
貴方は大丈夫。
身近に潜む闇に懐中電灯を向けているだけ。
怖がりな人がやめろやめろ言うかもしれないけど、貴方はその調子で前へ歩みを進めて!
ベジタリアンになったら可愛い動物を殺さずにすむよー。可愛いと思ってるのに殺すの?そんなこと続けてたら自分の子も普通に殺せるようになっちゃうよ。綺麗ごと言うならちょっとは動物の立場に立って考えてみたら?可愛いがってる人から殺されるってどんな気持ち?農家を悩ます害獣の駆除ならまだわからないでもないけど必要性のない殺生はやめようよ。別に動物の命がけ奪って肉食べなくても人間生きていけるのに…屠殺の時に笑顔になるほどの肉好きってちょっとヤバイですよ…
自殺すれば可愛い植物を殺さずにすむよー。綺麗事言うならちょっとは植物の立場に立って考えてみたら?農家を悩ます雑草の駆除ならまだ分からないでもないけど必要性のない殺生はやめようよ。別に植物の命がけ奪って(すまん意味わからん)に野菜食べなくても人間生きていけるのに…屠殺の時に笑顔になるほど肉食叩くってちょっとヤバイですよ…
自殺するなら海で頼むな、微生物の餌になるかもしれないし
結論
・プロ市民みたいでキモい
なんでもっと説得力持たせないの?
本当に文章を読んで書いてるのかな。ベジタリアンなら害獣だけしか殺さないからいいって好意的に解釈しても、だからそれが線の引き方の違いという話じゃないんですか?
僕は物を食べるって行為は、自分が慣れている物以外を食べる事は、気持ち悪く思うっていう、もともと理不尽な行為だと思いますね。
自給自足でベジタリアンなら説得力あるご意見ですが、スーパー等で購入されてるベジタリアンでしたら、野菜農家さんは、野菜を守る為にその野菜を食べにやってくる動物を殺していますよ。
貴方が口に入れている野菜の為にただ殺されている動物がいます。
そして、その野菜を供給している農家さんは普通に肉食ってますよ、きっと。じゃないと農作業なんて出来たもんじゃないです。
そんな人々が供給している野菜を食べられるんですか?
自分たちのテリトリーを勝手に削られて畑を作られた上に、
その邪魔になるからと一方的に「害獣」扱いされて、
いっぱしの命扱いもされずに「駆除」される
そんな動物の身にもなって考えてみたらいいんじゃないですかね?
貴方みたいに自分勝手な線引きに無自覚&無反省な人のほうが個人的には怖いですね。
そういうメンタリティの人はあっさりジェノサイドとかに加担しそうで。
鳥の血に悲しめど魚の血に悲しまず声あるものは幸い也。
つーか野菜育てるためには生き物を害獣と称して殺していいんだw
動物の命奪って育てた野菜は美味しいですか?
「害獣」って、「人間にとっての害獣」なんですよね。結局は人間の都合です。あれはいい殺しでこれは悪い殺しって、あるんでしょうかね。あるとして、それは誰にとっても同じなんでしょうか。
Aさんに賛成!
頭悪そうな文章の奴が多いな。批判的なコメント程頭悪そうな文章が多い。
植物は生物じゃないのか…
なんだかなあ〜スーパーでお肉買うことが悪いことみたい…。一から十までしなきゃ肉食べるなと暗に言われてるみたいで気軽にお肉買えなくなっちゃう。
別にスーパーでパック詰めされたお肉を買って食べることが悪いわけじゃないでしょう。
こうしていつも頂いているお肉がどのように私達の手元に届いているのか。それを少しでも意識して心を込めて命をちょうだいすればいいのだと思います。
いつも貴方の覚悟を自分に置き換えて考えます。
生きることは殺すこと。それは真理であり必然。
7才になる猫を飼っています。馬鹿げた考えかもしれないけど、食べ物がなくなったとき、この子をどうするか。
間違いなく食べます。死にたくないから。泣きながらでも吐きながらでも食べます。悲しいけど、正直な気持ちです。
多様な意見があるのは結構。しかし、貴方がここまで真摯に話しているのに、それを「狂気」の一言でかたづけようとする論調は看過できません。
猟師生活、体に気をつけてがんばってくださいね。またお邪魔します。
ラブアンドピースをこじらせたテンプレのような方ですね。
エコ()とかオーガニック()とかマクロビ()とかがキーワード。
世界放浪とかコミュニティとかシェアが出て来るともう最高。
うーん、久々にここまでテンプレな人を見た。大変わかりやすい思考だなあとニヤニヤしながら読みました。
自己陶酔香ばしい。
市民(笑)活動に親和性の高い人達の何が気持ち悪いかと言えば
擬似科学を平気で信じており(統計データの読み方を知らず、自然科学に疎く、情報リテラシーがなく、そういう教育訓練を受けてきてないから)、謎の正義感に溢れつつも、その正体は自分を含めた仲間がハッピーでさえいればいいという快楽主義なんですよね。
だから、人の話を聞かないというところまでとても典型的な感じ。
よくあいましたよ、こういう人。
批判する人は、ちはる氏の言う通り「嫌なら見るな」で正解です。
誰かのためを思ってやってるのでなく、ただのエゴなんだから。
社会的正義の皮を被ってはいるけど、何の責任も負うつもりもないから、真摯な忠告もスルーに決まっています。
ただ何が気持ち悪いかというと、そのエゴをラッピングしようとするのがね。ラブアンドピースクラスタの人間を信用しない所以です。
心ある人が何がまずいのか一生懸命言葉を尽くしてるの見るとため息出ます。
ムダです。経験上このクラスタの人間は聞きません。
数年後には自分の興味が満たされて止めてますね。断言。
社会正義に興味あって自分の考え★も広めたいけど、社会的責任は負いたくないという人種だからね。
同世代より
何となく言いたいことはわかるんですが、最後の社会的責任の意味が分かりませんでした。彼女がどのような社会的責任を負わなければいけないのですか?
応援してます!
っていうか、そうやって自分で生きていく姿が美しい!羨ましい!
インターネットって不思議ですね、うさぎの記事に寄せられているコメントをすべて読み、色々な考えの方がいるんだなって思いました。
これから先、「動物は自分で殺す以外食べれない」ってなったらどうするかなあと考えてみた時、自分は「出来ない」と思いました。
虫は平気で殺せるんです。食べないのに。おかしいな、と思いました。「自分で食べるための動物を殺せる」ちはるさんより「自分で殺してまで動物を食べたくない」という自分、「他人が殺した動物なら食べれる」自分の方が頭がおかしい、狂ってると思いました。
酷すぎるエゴにものすごい自己嫌悪しました。
この感覚が、ちはるさんを猛烈に否定している人との違いなのかな?
ここで疑問に思わず、「別にそれ普通じゃん?」って思うのが普通なのか?自分がここで疑問に思うことが異常なのか?
もしかしたら、最初から狩猟して食べるということが基本の生活なら疑問に思わないのかもしれないけれど。
先述したように「自分で殺して食べるしかない」となったらベジタリアンになるかもしれないけど、「他の人が殺してくれるなら肉食べます」という人間なので、もし本当に「動物可哀想!殺すな!殺してまで食うな!アホ!死ね!カスあほんだら!」って殺すなっていうのに死ねっていう人たちがいるなら「自分で殺して食べるしかない」という世界に逆戻りするのがベストなのかな。
でも、人間って進化はできるけれど退化はできないものだと思います。
個人としてはできるのかもしれないけれど、集団としてそれを行うのは無理だと思います。
人間は社会という群れを形成している癖に、個人というものを尊重する矛盾ばかりの動物だから。
だからきっと、「自分で殺すしか無い」世界に逆戻りしても、全員が「殺さない」という意見になるわけないし、「俺は殺すぞ!」「私は殺さない」と、また個々の意見が出て「何で殺すんだ!殺すんだったら俺がお前を殺す!」「きゃあ~やめてー!!」みたいに人間同士の殺し合いが始まるんですかね。そう考えると、今の世界でいいやって自分は思います。
何がいいたいのかよくわからないんですけど、色々考えるきっかけになるよい記事だなって思いました。
小学校の先生は道徳の時間にこの記事をプリントしてもらって「あなたは屠る派?それとも屠らない派?」みたいな討論したらいいんじゃないかなて思います。
烏骨鶏可愛いですね。飼っちゃったら自分はもう殺せないな。
親に殺されるようなもんですもんね。
自分は親に殺されたくないです。自分が親になって更にしみじみ思います。
人間同士ですらお互いの気持ちなんて100%理解り合えないのにどうしても動物の気持ちを察してあげなきゃとか、烏骨鶏の気持ちは「こうなんだろな〜」とか、想像しちゃうんですよね。
「こんなに慕ってるのにどうしてボク、殺されちゃうんだろう」
人間って不思議だなあ。なんで人間は生きるために勝手に殺して、生きるために勝手に飼って、生きるために勝手に愛して勝手に傷ついて辛いって気持ちを押し付けあうんでしょうか。
J-POPの歌詞みたいになってきたのでさようなら。
※コメント残すとこ間違えたのでもう一度
生きることは殺すことだとは自覚していますが、その、目の前の動物を殺すことになんの意味があるのでしょうか。無意味な殺戮以外の何物でもないと思います。
あなたが命について考えるために、動物が殺される。なんの意味が?
どう考えてもレジャーでしかない。
絶対に、生きるために殺しているなんて自覚無いと思います。
だって、その動物を殺さなくてもあなたは死にませんから。
まったく無意味な殺戮です。
あなた達は、家畜を育てる人々、屠殺を職業とする人々とは、全く違います。
こういったレジャーで殺す人々がいることこそ、問題であり、考える必要があると思います。
こっちにも書かれているので入れておきますが。
無意味な線引きで相手を叩くのやめようよ、「だれかがあなたの代わりに殺してくれるんだからあなたは殺すな」というおしつけがましい立場は、「私の食い分はせめて私が殺したい」を打ち消すものではないよ。
「レジャー」なんですかね?
↑印象でここまで思い込めるのはある意味幸せだろうなw
ベジタリアンって、植物を殺して食べることではないんですね。
野菜は自ら「痛い、苦しい」なんて言いませんもんね。
あと、スーパーで肉を買うことが悪いことと思ってる人、
被害妄想です。
動物を自分で殺すか、他人に殺してもらうかの違いだけですよ。
ここまで冷静に説明を尽くしても上から目線のレッテル貼りを続ける人はいるのだなあ、とコメント欄に目を通して暗澹たる思いです。嫌なら見るな、を認めておいて自分はだまってはいられないのかね。色々勉強になります。
批判の大半が、人は肉を食べなくても生きていけるというくだらないラブアンドピース思想、もしくは人格批判に終始してる視野狭窄なんで、まともにとり合う必要は無いと思いますよ。
それでも相手してるブログ主は人が良いですね。
ベジタリアンは殊更に自分の食生活を他人に押し付けようとしてますが、それは我々普通の人間がベジタリアンに肉を食えと押し付けてるのと同義です。勝手にやってる分には自由ですが、他人に押し付け喧伝した時点で害悪です。普通の人間社会にとって目障りです。
ここに現れてる日本の動物愛護家なんて動物を愛玩物としてしか見てない連中ばかりのようで、そんなのが日本が遅れてるだなんだと前回のコメント欄はなかなか笑わせてくれました。
忌み嫌う娯楽目的のハンティングこそ、その「愛護先進国」でもっとも盛んなのですがね。
真に動物愛護を訴えたい実行したいなら、何よりも保健所で殺処分されてる、人間の娯楽目的で生まれ殺されているペットをどうにかすればいいんじゃないですかね。どうやら批判されてる皆様は無私の心をお持ちのようなので、全財産で出来る限り引き取るなんて余裕でございましょう。
そこに自分の全てを割いてこそ、愛護の訴えは力を持ちます。海外の原理主義的動物愛護主義者はそうやってますよ。
スーパーに並んでいるパックに詰められた肉を見て、自分のしらない所でたくさんの命が奪われて、その上に人間の命は成り立っているのだな~って思います。
現代の生活は、死を遠ざけすぎているのでないでしょうか?
批判する人は、菜食主義者でもない限り、自分が多くの命の上に成り立っていることを忘れているのだと思います。
私は炎上した時の話はよく知らず、たまたま今回のブログだけを読みました。
ほかのコメントを残した方の言い方をかりるなら「興味深く読ませていただいた」そして、私自身に考える機会をいただきました。
私はきっと自分でうさぎを殺して食べると言う事は、少なくとも今の私の環境ではできないんだと思います。
かわいそうと思ったり、そして自分で直接殺すというプレッシャーを感じすぎてしまうんでしょうね。
要領を得ない書き方ですが。これがあなたの言った、私の中の命の一つ線引きなんだと思います。
でも、あなたのしている行いを否定するつもりはありません。
むしろ、人として好感が持てました。
目の前で、実際にしているところを見たらきっと驚くでしょうし、自分で食べるために鳥を育てる事などに、深く共感はできないかもしれません。自分にできないことをできるあなたに、こわいという感情を持つのかもしれません。
それでも、今回のあなたのメッセージは少なくとも私には好意的に響いたのではないかと思います。
こういった命についての考え方は、とてもむずかしい問題です。
けど、それで人間性まで否定されそうになり、その言葉にあなたが傷つくと聞くと、まったく知らないと人なのに私自身なぜかおこったような、かなしいような気持ちになってしまいます。おかしいですね。
私はこういったむずかしい、答えの出ないことに直面した時は友人に相談します。話を聞いてもらいます。
これ以上まとまりきらない考えを書いてもお目汚しになると思うので最後は簡単に。
たくさん悩んで考えているあなたはおかしくなんかないです。応援しています。
はじめまして
私も農家の出で、主に肉牛、イノシシ、鶏を飼っています
今の時代、命の大切さを唱えていながら本当の命の重みを知らずにいる者が多くなっていると私は感じています。
消費者たちは昔と違い、売られている肉が生命だったと理解していません。
「生み、育て、殺すのも私がやろう。解体し、不必要な所を処分するのも私がやろう。だが、殺したのは買い手だというのを忘れるな」
父に教えられた言葉です。
若い人には命というのをもっと身近に感じて欲しいですね。
狩猟、頑張ってください
up ありがとうございます。難しいテーマですよね、狩りって。自分も、屠殺場の写真などを見て、ベジタリアンになると決心した時がありました。一年くらい続けましたが、最近またお肉を食べるようになりました。私は今大学で人類生態学 (human ecology)を勉強しています。その影響もあって、地域に根付いた食文化と、その中に隠れている自然界への理解や、技術や知恵を伝えて行くことの大切さなどに興味があります。うさぎを穫って食べるのも、その地域で生きて来た人たちの生きかたであって、そこにあるものでどうにか生きて行く、というのは人間として当たり前のこと。そんな姿勢から生まれる生き方の多様性とか、食文化を通して伝わる価値観や倫理観など、本当に大切なものだと思います。ブログで写真を公開するというのは慣れてない人にはびっくりすることかもしれないけれど、狩りとはどういうことなのかを伝える、技術や伝統を伝えて行く面ではすごく有効な道具だと思います。批判に負けずにこれからも狩りを楽しんでください。
人間は生きてる限り命を奪っています。ここに書き込んだ人も全員。
今までも、そしてこれからも、死ぬまで他の命を奪い続けます。
ベジタリアンだからいい、なんてことはないのです。
植物も生きてます。命をつなげるために必死に。
ベジタリアンはその命を奪い、食べている。
葉や茎を収穫するのは、手足をもぎ取るのと同じ。
実を収穫するのは、子供を奪い取り引き裂くのと同じ。
全草を収穫すればその個体を殺すのと同じ。
でも、それは生きるために必要なこと。
不可欠なことであると同時に、おいしい食事は喜びのひとつ。
たとえばみずみずしい果物。食べたら甘い。満足いく収穫に喜ぶ。
たとえば脂ののった魚。大きさにも申し分ない釣果に笑顔がこぼれる。
これらって、根本的にうさぎの一件と同じ。
結果的に命あるものから命を奪い、喜んでいる。
おいしいものを食べたいという欲求は誰もが持つもの。
赤ん坊ですら、水と母乳が入った哺乳瓶を目の前にすれば、母乳の入った哺乳瓶を選んで飲むといいます。
生まれてから一度もおいしいものを欲したことがない人なんていますか?
相棒も趣味で猟してます。昨日は不発でした。
とった肉もきれいに食べてるとは言い難いし、皮も捨てちゃうし。
だけど自分の出来る範囲で活用していこうと思っています。
そちらは兎がいていいなぁ、と相棒が申しております。
お互い良い獲物が撮れますように。
一言で言うと浅くてつまらないんですよ。
「ぼくは猟師になった」の女性版でしょ?2008年の本だよ。パクリやって悲しくないの?
彼の本は読んだけどあなたよりもっと真剣にやってたよ。生活かかってるし。
あなたは自分が特別だと思ってるかもしれないけど、生き物の生死について考えてる人はたくさんいるよ。
というか、所詮動物相手のあなたと違って医者とか看護師、自衛官みたいに人間の生死を職業としている人達もいる(こういうとあなたは人間も動物!なんて言い出すだろうけど)。自分の手で人間が死ぬかもしれないっていう仕事をあなたはどう思う?想像したことある?
でもみんな別にブログなんて書かないよ。自分の仕事に誇りを持ったり嫌悪感を持ったりしながら一生懸命やってる。「見てみて!私すごいでしょ!」っていうあなたの精神が猟師という仕事を侮辱しているって言ってるんだよ。
ご立派ですなぁ
>「見てみて!私すごいでしょ!」っていうあなたの精神が猟師という仕事を侮辱しているって言ってるんだよ。
自慢できるってのはすごくいいことなのにね。
なんで「侮辱」になるのか知りたいです。
自分も『僕は猟師になった』を愛読していますが
ちはるさんと千松さんは違う人間
だからこそ描き方も違います。
それに、千松さんの場合はより原始的なレベルでの生き物との駆け引きであるべきであるという考えと共に、自分で食べる肉は自分で獲ると言う考えの下での狩猟で、収入は運送会社で得ていた筈ですから生活がかかっているかと言えば少し違います。
ちはるさんと同様に養鶏も挑戦されていますし。
あと自分の父も自衛官でだからこそ言えますが、決して自分の仕事に誇りを持ってやっている方のほうが職場には少ないです。
必要な期間勤務したらその後すぐに退職するつもりの人がどんどん増えているのが現実(特に若い人)。そして医師や看護師の方は分かりませんが少なくとも最近入隊する自衛官の人の殆どは人を己が手で人を殺す事になるかもしれないと言う事に嫌悪感や恐怖感を持つ方も少なくなっています。(幹部候補生や幹部の方は知りませんが)
逆に銃が撃てるし戦地で出来るなら格好良い面白そうという方もいます(直接聞きました)
別の職業や人のエッセイなどに重ねるのは勝手ですが、
今の世界で猟師を職業としてらっしゃる方は数えるほど
ちはるさんのように向き合った上で、このようなブログを開き様々な方の意見を聞こうという意思を持ってらっしゃる方は大変貴重。
決して侮辱に値しません。
それに実際あなたが書いている人がいないといっていたブログ探すとツイッターやなんやも含めて書いてる人いますよ?
命がどうという批判をされる方は屠殺場とか見たこともないんでしょうね。
ほとんどの牛や豚が鳴きながらトラックから降りてこないのでロープを引っ張って無理やり引っ張って降ろすのですが、
牛なんかは力が強いのでそう簡単にはいかないようでお尻にスタンガンを当てて追い出してました。
仕事をしている横でたまたまいつも閉じている扉が開いていて中を見ましたが、
締めてお腹を裂いて内臓が下にぶちまける、ホルモンですね。
そして解体し終わった肉を処理して自分達が食べる。
毛皮は処理して身の周りのものになる。
骨は細かく砕いて肥料にする。以前世間を賑わした肉骨粉ですね。
今でも骨粉を作らないと処分ができないそうで、
動物園で死んだ動物も持ち込まれるそうです。
当たり前の事だけれど今の人は死と向き合う事が少なくなっているので理解ができないのかもしれません。
ノイズは気にせず自分の生き方を貫いてください。
良いブログだなと思いました。応援します。
とても繊細な話題ですが、
自分にとっては非日常でありながら無関係でもない。
やはり思うところは多くありますが、
とても興味深く読ませていただいています。
お体に気をつけて頑張ってください。
今後も楽しみにしています。
あるさんに全く同意。
ブログなどに顔出したがる人はそもそもから自己愛のかたまりだが
非常に嫌な感じに強烈にこじらせているね、この人は。
なんだよこの自分の写真の撮り方は笑
なんだかんだ理由つけて
普通のラブ&ピースではないワタシをアピールしたいだけ。
要は、殺すのは目立つためのネタ。
だから好んでやるとさつの是非など尋ねても
ステレオタイプな答えしか返ってこないだろう。
目的は命を考えるとか何とかではなく
単純に目立ちたいだけだから。
あとまあ、やらなくてすむ狩猟をやる人は
嗜虐趣味があるのだろうと常々思う。
なんだかんだ理由付けて、根底に
ただ殺したい、狩ってみたいという欲求があるんだよ。
それは自覚したほうがいいね。
>ただ殺したい、狩ってみたいという欲求があるんだよ
欲求があっちゃだめなの?
合法だし、人間は欲求によって進化したみたいなもんだろ?
>ただ殺したい、狩ってみたいという欲求があるんだよ。
当たり前。
人間は欲求の塊だぞ。
人それぞれ何かしらの欲求がある。そのおかげで化学が進歩した。と、思います。
こういう生き方は人間らしいといえばそうだけど
単純にわざわざWebで公開して自己主張する必要ないでしょって話に着地すると思う。
今回炎上したのは冷蔵庫に入る人達と同じで自己主張の強さが招いたこと。
冷蔵庫とは違って、やってることは悪いことではないし人間として自然だけど
単純に鼻に付くってだけだと思うよ
暮らしや生き方を公開するのはロハスな自分を見て欲しいっていう自己満足でしょ
はじめまして、感謝すればいいんですかね。
私は動物を食しません野菜を少し頂きます。
楽しみのために食べるのではありません。
生かしていただくために食べるのです。
それを正しいと思うわけではありませんが、感謝というのは、言葉で表現するものではなく、そういう真摯な行動が示すものではないですか?
感謝すれば、殺された側は報われますか?子供や親を失った動物は喜びますか?
猟師さんという職業が、今の日本に世界に必要とは到底思えません。
googleで「日本 猟師 不足」を検索しましょう。
そうそう、ブログやってなかったら
狩猟トカやってましたかね、ってことだよね。
ブログやってなかったらやりますか?
誰も読んでくれなかったらやりますか?
こんにちは。
さっき初めてこの話を知って、ツイッターまとめを含め読みましたが
私はこの問題は命の線引きというより感情と論理の問題ではないかと思います。
例えば、遠く何処かの知らない誰かが死ぬのと、大切な家族が死ぬのとでは
論理的には同じ一つの命ですが感情的には全く違うものです。
客観的、論理的に努めるならそれはエゴなのですが、しかし違うものは違うというのが現実です。
それは誰もがやっている事で、やらなければ毎日沢山人が死んでいることは常識なのですから
一つ一つの死に嘆き悲しみ七転八倒してはついに気が狂うと思います。
ですから、感情を論理で説き伏せるという事にはどうしても限界があります。
正論だけど嫌われる事は世の中多いと実感しています。
個人的な意見で言えば、私はこのブログの内容は正論だし肯定したいですが、
あえて一点言わせていただくと、擁護なさっていた佐々木さんも含めて仰っていた
「快楽ではない」というのは少し疑問です。
可愛いウサギを殺して嬉しいとは思わないでしょうが、
ハンターとしての腕が上がったり、仲間との連携が深まったりすることには快楽を覚えるはずです。
快楽があるからこその写真の笑顔だとも思いました。
無理やりな作り笑いではないですよね。
その快楽自体は当然の感情であって否定されるべきことではないのですが、
そこに感情のすり替えや麻痺が起こる可能性には気をつけた方が良いと思います。
慣れとは恐ろしくもあるもので、いくら綺麗事を言っても
いつかはウサギを殺す事に何とも思わなくなる日が来ると思います。
というより、思っていたら続けられずいつか病むのではないでしょうか。
全く違う話に聞こえるかもしれませんが、戦争での殺し合いも同じ構図です。
良心の呵責に対して感情をすり替えたり麻痺する他は無い。
でなければ生き残れないからです。
生き物はどうしても自己正当化しなければ生きられない様です、残念ながら。
屠殺された動物が悲しい顔より笑顔で云々も単なる自己正当化です。
動物側からすれば、ただ殺された事実があるだけです。
ちはるさんは屠畜場で働いたほうがいいと思うよ。
ご自分の言ってる命のテーマとかなんとかを考えたいなら。
素敵な襟巻のための素敵な狩猟なんて童話の域。
リアルな屠畜の現場と流通とを知りたいならぜひそうすべき。
山より芝浦のほうが学べると思うよ。
自分で命を解体したことが無い子供が多いね
ブログ主さんは自分の考えをしっかりもってる人だから大丈夫だろうけれど
自分を曲げずに続けてくださいね
個人のブログなんだから何書いても何について載せてもokだと思いますよ。
つまんないと思ったことをわざわざコメント吐き出すのは理解できないですね
アホな煽りコメは気にせず行きましょう
批判してるような幼稚な脳みその持ち主は、
批判してる癖に「A5級の飛騨牛オイシィ~~^^」とか言って食べてるキチガイ共です(笑)
自分が何に生かされてるかも分からない最悪の偽善者ですから議論にもなりません。
「牛や豚は殺していいけど、ウサギはダメ~カワイイから~」とかいうだけのアホです。
ネットですから、自称ベジタリアン(笑)もたくさんいるでしょう
現実世界で上手く行かず妬んでいる人もいるのでしょうね(笑)
そういうアホはアホ同士で集まっていればいいんです。
生きる事と向き合ってるまともな人の中に入らず隅でネチャネチャ喋ってればいい^^
>批判してる癖に「A5級の飛騨牛オイシィ~~^^」とか言って食べてるキチガイ共です(笑)
>「牛や豚は殺していいけど、ウサギはダメ~カワイイから~」とかいうだけのアホです。
完全に同意すぎてビックリしました。あと表現が上手。
別に言ってることは間違ってませんが、言葉がいちいちレトリック巧みでこれじゃあ相手の気を立たせるだけですよ。議論を成立させたいならあなた方も言葉を選びましょう。「キチガイ」とか「アホ」とかじゃなくて「勘違いをしている人」という風に。
〉「命のことは答えがあるものじゃないので、いろんな考え方があって当然」ということです。何が正しいとか悪いとかは、ないと思っています。
開き直りですか?そもそも、その考えが間違っています。
殺人も考え方次第ではOKって事?
生きている物全てに命があります。
命あるものに重いも軽いもないんです。命に線引きなんかありません。
自分の手で生き物を殺して食べておきながら、その命を頂いた事に対する感謝の言葉が出てこないなら、狩猟する資格なんてないと思います。
スーパーで売ってる肉や魚を食べてる私でも、命あるものを頂く感謝の気持ちは忘れません。
考え方次第でOKになる殺人、それが死刑制度です。あくまで圧倒的多数がその人を抹殺することに賛成なために”事実上”OKになっているだけですが。
世の中の出版物、ネットの記事なんかもそうだけど、
結局世の中に発表するということは、どう肉付けしたって根幹には「自己満足」と「自己表現」があるわけで、
「わざわざブログ書いて発信してる理由あるの?」って人は椎名誠に同じこと言うのか、って思いますね。
ちはるさんの記事を拝見して思うのは、僕のように安穏と焼肉食べて喜んでる、「一般的な(敢えての表現)」とは違う感性をお持ちなのだな、ということです。
それが良し悪しではないですが、見習うべき部分は多いにあるなぁと。
その感性の違いを、短絡的に「異常だ!」と自分の尺度でしか批判できない方々は可哀想ですね。
このブログ、自分で考えた答えなの?ムツゴロウさんから理屈を拝借してきて書いてるだけじゃないの。そういうところが炎上を招いているんだと思うよ。いつもそれっぽい理屈を並べてるだけじゃん。
動物愛護というより、表現の仕方が非常に不快。農業高校じゃ普通の女子高生がフツーにしめてます。でも誰もヘラヘラなんてしてない。別にずっと神妙にしてろなんて言わないけど、上手いとは言えない仕留め方をされて、動物は息たえるまでの間苦しくて痛くてのたうち回ってるんだよ。想像力がない?相手の立場にたって考えるが苦手? そんなときに獲物が食べれるから笑顔とか。この日本でそこまで肉に飢えるものなの?? しかもわざと残酷な描写をキャピキャピかわいく、森チャックみたいな狂気じみた描写をして煽っておきながら、反論する人がいたら、いわゆる信者が「私たちは命を頂いて生きてるのだ!これが食物連鎖だ!食育だ!動物愛護なんて偽善だ!」と高尚なことを言って黙らせようとする。何だかもてあそばれた感がすごくある。本当に伝えたいことがあるのなら、もっと表現にも気を使うはず…これじゃいわゆる煽って注目を浴びたいだけの人となんら変わらない。
医療だって動物実験で支えられてる。でも誰も笑顔で実験してその様子公開してる人いないでしょ。「今日はこのお薬のためにこの子に犠牲になってもらいました♡ このお薬注射するとねとっても苦しそうにしてたよ☆すっごく可愛い子だったけどこれで人の命が助かるから嬉しいな☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆」なんて医者や薬剤師が書いてたらどう思う?明らかにマッドサイエンティストの烙印押さちゃうでしょ。ちはるさんの人格疑われて当然だと思う。
ずっと神妙にしてろなんて言わないよ。食べる時は笑顔で感謝していただきます。でいいよ。 でも笑う時にも時と場合がある。動物に苦痛を与えてる時、仕留める時はやっぱり真剣に向き合ってほしい。
それとこの日本で自分たちの経験や自己満足のために必要とは言い難い殺生をしてるんだから、ふざけた描写で煽るようなことはやめてほしい。それは命に対する冒涜だから。なんだかあなたたちはこうして生まれてきたんだよって言われてAVビデオをみさせられた気分。命ということを扱うにしても表現の仕方が違うだけでこうも不快に感じるなんて。煽って炎上させて注目集めておいて、ブログ読んでしまった人に嫌なら見るなて言い方は正直ないよ。私も見なきゃよかったとすごく後悔。注目してほしいのであれば、少なくとも表現の仕方に気を使ってほしい。
>必要とは言い難い殺生
こう言い切れる根拠が知りたかったりする。
何の件で炎上したのかはわかりませんし調べませんけど、
貴方が飲酒運転とか完全に法律違反してる場合以外、
9割以上無駄な戯言ですから。
仮に誰かの何かで嫌な気分になったんだったら、
7秒くらいで忘れていいことです
てかコメントするのにアドレス必要なブログのによくやるわw
色々な考えがあるなぁと読ませていただいてました。
でも、1つだけ言わせて下さい。
山で生活していると、冬場に山に入るハンター不足が地域の問題としてリアルにあります。理由は過疎化で若い人が少ない事をはじめさまざまですが。。。
ハンターは、猪やシカ、猿を狩ると自治体から1頭につき幾らかお金が貰えます。
なぜ自治体はお金を出すのか。
狩りをして頭数を減らさなければ、作物を荒らされてしまうから、山が森が無くなってしまうから。
もちろん、動物たちも【害獣】として狩られる事自体、人間が生活していくための人間のエゴと言われてしまえば元も子もないですが。。。
ただ、そういう観点から見ると、ちはるさんは貴重な若いハンターかなと。
初めてブログを拝見させてもらいました。
自分も同年代くらいだと思います。
非常に興味深い内容で、うさぎの記事のコメント欄も含め、いろんな考え方を持ったいろんな人間がいるんだなと実感させてもらえたのが今回は何気に大きいです
自分はチェーンの飲食店でバイトとして働いてますが、毎日ものすごい量の廃棄があります。
お客さんが残したもの、お店側が使わずに捨てるもの、ものすごい量があります。
最初は衝撃的でした。「今ゴミ箱に入れられたこの魚は何のために生まれてきたんだ?」って考えると胸が締め付けられていました
しかし人間、慣れてしまうのもコワイですね…
今では無表情で捨ててしまう自分がいることに気づきました。
今回のブログを読ませていただいて、現在日常的に淡々と行われている食文化に疑問を持つことが出来ました。
自分たちが普段食べてるものはどうやって成り立っているのか、今一度考えてみるようにしたいと思います
賛否両論ありますが、このブログを読んだことをきっかけに、命と食について真剣に考えることを一人でも多くの人が実践してくれたらいいですね。
応援してます!猟師頑張ってください!
肉食だの狩猟がいいか悪いか以前の問題。
この人が、生命がなんたらを考えたいのでもなんでもなく
ただ目立ちたいだけだというのが問題。
自己顕示欲の異常な強さは
自分が写ってる写真の異常な多さからもうかがえる
どんなジャンルであれ
これほど大量に自分自身の写真をアップしてる人はなかなかいない。
生命がどうの自然がどうのとかいうなら
自分よりもっとのせるべき写真あるんじゃないの?
タイトルも女子が女子が~~だからね。
引きのためのキャッチコピーという意味合いもあるが
そんな意味合いがあること含め、
私がこんなすごいことやってますっていいたいだけなんだよね。
ワークショップ系猟師 SNS系屠畜
しかし遊び半分でちょっと動物さばいた程度の人に生命のうんぬんを
学んじゃった人がこんなにいるのもすごいね。
再度聞くが、ちはるさんはブログがなかったら同じことをやりますか?
いったんここを閉じて、アピールなし目立つ可能性なしで
自分が本当に狩猟をやりたいのかどうか考えてみたらいいと思う。
また、ぜひ屠畜場で本気の屠畜をやってみてほしい。
あなたがやってるような猟は食肉の流通や現代的な問題からはかけ離れてる。
それほかのハンター系ブログや釣りブログみなに言って回ってくればいいと思うよ。
どこ行ってもキチガイ扱いされるだけだろうけどw
少なくとも自分は幼稚園ぐらいから小学生の頃には身の回りに全く狩猟関係者は居ませんでしたが、漠然と猟師又は漁師になりたいと考えていました
初めて投稿させて、もらいます。貴女のブログとても好きです。いろいろな意見がありますが、命に手をかけるとき、また食べるときに感謝の気持ちがあるか、無いかでただの残酷な行為になるのか。尊い経験になるのかの違いではないでしょうか。
人間はそんな感情が行ったり来たりする動物で同じ人でも時がたてば正反対の意見を言ったりするものです。この問題に正解はないし正解がない事を受け入れることも大切なんでしょうね。
話はそれますが、世界では犬、猫、ハクビシン、ねずみ等まだ多くの動物が食されております。海外でぜひ、やっていただけないでしょうか。 ブログでの報告楽しみにしております。
>世界では犬、猫、ハクビシン、ねずみ等まだ多くの動物が食されております。海外でぜひ、やっていただけないでしょうか。
それはこのブログの趣旨に反するのでは?
ここは「めざせ!熊ハンター!!」とかでしょwwww
私は、狩猟免許を持たずに親父から教わって罠で小さな頃から猟をしていました。
学生~社会人として三十路まで東京におりましたが子育てをするのに都会は向かないと独断でUターン。
そして、エゾシカまで罠で親父と一緒にとっていたのですが、その親父が肺ガンに負け。その後は、無免許での狩りに引け目を感じ止めています。
ただ、技術としては知っていて損はないと思うし。彼女のいない友人にはウサギの脚をキーホルダーにして進呈しています。
まあ、世の中、きれい事だけで済まそうとしている人も多数存在するし、きにしないのがベストでしょうね。
実際、そうしていると思います。
これからもスキルアップを目指してください。
世の中いろんな人がいますね。
僕のように猟を命の重みを思い知るいい機会だと考えている人もいれば、命を奪うことそのものを忌み嫌う人もいて当然でしょう。
お互い、分かり合うときは永遠に来ないかもしれません。
それぞれ生まれ育った環境が違えば、違う考え方を持つのが自然です。
だけれど、相手を滅ぼそう、屈服させて言う通りにさせようと、そういった姿勢からは憎しみしか生まれません。
相手のことは完全にわからないにしても、お互いの理解の助けになる情報を発信し、活発に交流できることを願っています。
少し失礼致します。
烏骨鶏を飼い始めた矢先にあれですが、なかなか薬臭い肉なので、烏骨鶏だけでなく、軍鶏も飼ってみては如何でしょうか。
潰す時は大変ですがとても美味しかったのでオススメします。
是非一度食べてみてくださいヽ(´∀`)ノ
前回のブログのコメントで福岡の美容師さんが言ってたこと。
本当そうだと思います。
ここまで不快に思うのに、みんなが気づきにくいところを代弁してくれてありがとう。
〉多くの一般の人たちに不快感と違和感を感じさせているのは事実。
他の命を頂いて生きていくことは否定しないが、
命をテーマにするのに、この表現方法は賛同できない。
釣り好きな人のブログやテレビ番組では釣った獲物を嬉々として紹介したり調理する様を流したりしてますが、それに違和感を感じる事もない。
ハントと屠殺、その調理を楽しく紹介するってならそれだけやってれば良かったのにね。
それをあえて、多くの人が「この人狂ってる」って思うような嗜虐的表現で紹介する必要もないのでは。
それでいて、最も違和感を感じるのは、そんなサイトでとって付けたように「命の重さ」を語っている事。
命の重さを語るなら、それ相応の真摯な表現で臨むべきだろう。
可愛い狂気を演じ、一部の好感度を上げながらも、どこか自分の行動を正当化しようとするところに偽物の狂気を演じている感を否めない、
恐らく・・・今僕がこの書き込みを読んだ時点で、あなたは日本で一番のハンターだと思います。
「魚と獣は別だ。」のような書き込みをしてる人も居ますが、一つの「命」にどんな境目があるというのかちゃんと答えて欲しいもんです。
「魚釣りました。 愛用の包丁で三枚におろして、身は刺身に骨や頭は荒炊きにして食べました。」って写真付きでアップしてるのと、あなたのうさぎの書き込みとなんの分別があるんでしょうか?
自信持て。
あなたは日本の狩猟文化「マタギ」というものの“何か”を自ら選んで受け継ごうとしてるんです。
日本の狩猟というものを正しく世間に伝えて欲しいです。
俺は猟はしないけど、日本の猟師の皆さんはすばらしいと思う。
それに関しては山好きの端くれとして何回も見て感じてる。
あなたが胸をはって猟師ですと言って、周りの誰もが認めるまで・・・がんばって「伝統」を伝えてください。
僕も一昨年狩猟免許をとりました。
同じ動機+農家として獣害と向き合う事が必要だと感じたからです。
ここに書かれている事はよくわかります。
とても真っ直ぐに向き合っていると思います。
不快な人は見なきゃいいんです。
そんな人でも、いつか自分の食卓の上に乗っかってる肉の命に向きあうようになるかもしれない。
魚を釣る時に、動物と同じ思いになれるかもしれない。
自然と向きあえば人は変わります
アンチの人全員に言えることだけどこのネットを使うための電力は発電所が大なり小なり自然破壊して生み出してるもので、結果生き物を殺しているわけでね、偉そうなことは言えないはずですよ。人間ですもの。肉食わなかったら偉い人間かなんてそんなわけない。
あと自己顕示欲云々はそんなもんない人間はそうそういないですし、目立ちたがりの人間が世界を動かすのはいつの時代でもありふれたことです。そのおかげでこうして様々な人がこういう話題に触れられるわけですし。
あと笑ってるのが~とか、表現が~とか言いますが、だから、本文にも書かれておられますゆえ、読まれていると思うのですが、釣りのブログ等には何も言わないのはなぜですか?根底に哺乳類とそれ以外の動物、あるいは植物と動物の命への差別を感じます。
この人とは感じ方が違うのだなあとブラウザを閉じればいい問題で、わざわざ人格まで否定するのは、あまりよろしいことではないと思います。
なにより、ちはるさんの年齢で何もかも全てを悟れるはずがありません。これから経験と年を重ねることによって、彼女がより成長されていくことを、私は願っております。
ちはるのブログに批判的な人には荒川弘さんの「銀の匙」を読んでみてほしいなーってずっと思っている。たぶん読んでくださらないだろうけど。
僕は野菜は大好きなんだけどベジタリアンにはなれないなーって思っている。お肉も好きだし。肉食は止められないけど、どこで殺されたかわからないものではなく自分の目の届くところでしたいと考えるちはるの考えをぼくは尊いと思うし、そこまでは自分はできないなって思ってしまったりもするのだけど、それを「異常だ」と感じてしまう人も一定層いてしまうんだろうね。
あ、あとちはるの顔ってデフォルト笑顔系の顔立ちだと思うのだけど、直に会って知り合いじゃないと、絞めた動物を持っているちはるの顔が「うわー、こんなことして笑ってやがる。」って思ってしまうのかもね。情報を発信するっていうのは怖い。
初めまして、記事拝見させていただきました。
コメントの中には、ちはるさんが記事にした内容ではなく、それを記事にした行為そのものについて突っ込んでいる方を見かけますが、彼らも気にする必要は無いと思います。
やはりちはるさんのような方が記事にすることによって、こういう世界を知らない人に考えるきっかけを与えられるんです。
自分はまだこの記事しか読んでいませんが、ちはるさんは非常に強い方だと思います。
心無いコメントも多く受けることになると思いますが、そんな物では変に折れたりしない方だとも感じました。
猟師生活、頑張ってください!!
>それは「命のことは答えがあるものじゃないので、いろんな考え方があって当然」ということです。何が正しいとか悪いとかは、ないと思っています。
強く同意します。宗教によっても命の考え方は違いますし、絶対的な答えなんてなく、各々が考えるべきだと思うんです。
このブログを読んで、反射的に反応してしまう人は命について考えることを避けてしまっているのだと思います。
それもそれで一つの考え方だと思うので、とやかくは言いません。
多くの人が命をより深く考えるきっかけになるブログだと思うので、これからもがんばってください!応援しています。
笑顔とか笑顔じゃないとかそんなことはどーでもよくて、生物の中で人間だけが私利私欲のために狩をすることに問題があることを提起してほしい。ほかの生物をよく見てほしい。トラだって、ライオンだって自分が生きるためだけに最低限の狩をして、その後は横に動物がいようとも襲ったりはしない。自分の趣味や金を稼ぐために、毛皮をはいだり、無駄な狩をする人間がいなくなるようにこのブログがソンナブログになってくれたらいいです。
インドに住んで4年になります。
車がばんばん走っている道で鶏とかヤギとか目の前で殺して売ってますよね。(工場で育ったものですが)
そして地域にもよりますが、菜食主義が前提の社会と言っても良いくらいきっちり分けられています。
親に「肉を食べたら勘当する」と言われたり、、、
人の考え方や習慣、文化って本当に様々ですよね。
インドはそれが法律になっていたり、日本より厳格ですが、
菜食の方が、そうでない方をののしる言葉は聞いた事がありません。
ご自分の信じる生き方を強い意志で実行されている姿はとても素敵です! このようなテーマを共有して下さりありがとうございます。
私も福岡出身ですのでいつか機会がありましたらお会いしてお話を伺いたいです^^
餌をたらふく食ってる飼い猫が家の外で狩をしないとでも思ってるんだろうかw
批判書く方々は
自分の価値観と合わない
不愉快だから批判する
それは本当の自分を生きていない
自分が思うように生きればいい
それが犯罪だったり、社会秩序を乱す行為であったりすることは
許されない
それだけのことであって
あとは自己を見つめて
望むように生きればいいだけの話でしょう
命は・・・確かに大切だよね。
だけど、だからって短絡的に見るのも考えもの。
カヌーイストの野田知佑さんは、著書の中で
住民が川を生活の糧として利用しなくなり、
川を見なくなると、川は汚れる。
と言っています。川の水を飲み、漁をし、
川で遊び、川を眺める。
この行為が、川の環境を守っていたのだと。
これを里山に置き換えたらどうだろうか。
人が猟に入ることで、里山の環境を知ることができ、
適正な管理をすることで、適正な生態系も守られるのではないのかな。
もともと昔から猟が行われてきた里山の場合、
人も、食物連鎖の一環となっていたわけで、
その役割を担わなくなってしまった里山の中には、
増えすぎた鹿による食害によって木々の樹皮が剥ぎ取られ、
山が枯れたりなんてこともあるわけで。
だから、若い世代が狩猟行為を引き継いで行くことは
とても大切で、有意義なことだと思うな。
北海道の狩人です、同じ事をしております鶏も飼育手いますよ、色々あるが頑張ってください。
北海道の狩人です、同じ事をしております、青い卵を産む鶏も飼育していますよ、あなたの言っている通りです頑張ってください。
皆さんと同じようにフェイスブックから
うさぎの記事も読みました
動物をペットとして飼ったことがないので、やんや言われる方の気持ちはなかなかわかりませんが、業ともいうべきものを背負って皆いきているので価値観が違うからと言って攻撃するのもな、と感じました
スーパーで並んでいるお肉はどうしてこうなったかと考えるべきですね。
初めまして、前回の記事を拝見させていただきコメントを書こうか悩みましたが今回の記事を読んで初めてコメントいたします。
私も狩猟免許を取得しようとしているものです。
自宅でも2羽ニワトリを飼っており烏骨鶏の可愛らしいと思う気持ち共感できました。
しかしひとつ気にかかることがあります。
やはり最近はウサギをペットにしている方が多いので「うさぎ かわいい」というワードで検索されてトップ写真に笑顔で死んだウサギを持った写真が出てくればそりゃ炎上するだろうと思います。
あの写真は断り書きの後に持ってくることはできないのでしょうか?
あなたはわざと煽るような編集をしていませんか?
今回の記事でも
『ちなみに、この写真のピアスは大炎上したうさぎの毛皮の切れ端を使って作りました』
わざわざこういう書き方する必要はないと思いますが・・・
意図的に炎上させてアクセスを稼いでいるように思えてなりません。個人のブログなのでどういう編集手法をとろうと構わないと思いますが「猟師」や「狩猟」に偏見がある人を煽って、よりアンチを増やすようなことだけはやめていただきたいです。
もし今後も狩猟をテーマにした記事を書くのでしたら前回の記事にありました解体の方法などもっと技術的な部分を細かく書いていただきたいです。
今後も事故がないように気を付けて狩猟生活をエンジョイしてください。
それでも所詮あなたのやっていることは
自分がいきるため、子供をいかすための殺戮ではないのですよね
自分の思慮を深めるため、ブログのネタにして他人を啓蒙する為の殺戮だとしたら、それはやっぱり、生きるために動物を狩っていた先人とはちょっと違うなと思います。
ここの人々は今時らしい人間くささを嫌いますね。可愛いものを食べちゃうことに抵抗感を感じる人間くささ。結局人間も動物を食らう動物なんだとでも言いたげですが、自己啓蒙や一種の成就感のために動物を殺すなんていかにも人間的ではありませんか。
ウサギを食べること自体に何かを感じるわけではないですが、その点に不快感というか、違和感を感じる人も少なくないんじゃないかなあと思います。
口が悪くなってしまったかもしれませんが、私は、ある人が可愛いものを食べちゃうことへの抵抗感が拭いされないのも、新しいコンテンツを使って生死について考え、人に考えさせるのも、動物になりきれない人間くささを偽善的であると感じるのも、全部不思議なことではないなあと思います。全部、今を生きる人間としてある意味健全なのではないかと。先人となんでも同じことをするべきだとは、思いません。
可愛い動物を心を痛めて感謝して食べる。これ自体に悪いことはなにもないと思います。痛みに鈍くなったスーパーでお肉を買ってる人達を悪いとも言えません。でも、自分の手で作ったお肉への感謝が慣れによって途絶えてしまったら、きっとそれはとても怖いことですね。
これからも、心を痛めるような優しさをもち続けていただけたらと思います
わたしもちはるさんの考えに全く賛同します。
実際に行動に移せることは非常に敬服します。
批判コメントをするだけの人はただ暇つぶしの一つにすぎない無責任な考えに過ぎないので、気にしなくて良いと思います。
是非色々な経験を積んで、それが出来ない多くの人(私も含めて)に伝えてあげて下さい。大変勉強になります。
可愛い動物(笑)
牛や豚や鳥は可愛いくないから抵抗なく食べられるわけね
そんな価値基準で動物を語る人間は性根から腐ってるよ
そういうバカは昔からウサギがスーパーで陳列していたらそんな価値基準を自分の中で生んでいない、生み出せるわけが無い
私は牛さんも豚さんもヒヨコちゃんも可愛いと思うよ!
その程度の連中の戯言
法律的に間違ってるわけじゃなし、自分のいただくものは自分で狩りたい、というのがなんでここまで問題になるのか不思議です。表現については、自主規制するほどけっきょく相手が付け込んできますし、あまり気にされなくてもよいのではないかと。
こういう「目に見える殺生」を一方的に断罪する風潮の中で、わざわざネット上で「ちゃらい狩猟女子」を演じられるのは、物好きとは思いますが、立場として応援しています。
ブログを読んで、炎上そのものについて考えさせられました。
炎上って嫌なものでしかなかったけれど、自分の主張を認めて欲しいって人たちの叫びでしかなかったことに気づかされました。
知り合いに元研究者がいます。
凶暴な動物を実験体にするには、愛情もって育てて信頼関係を築いてから実験に入るそうです。
最初の頃は気が狂いそうで、ご飯もろくに喉を通らなかったそうです。
それでもその人がその一線を越えられたのは、その感情を超えた先にどうしてもやり遂げたいもの、覚悟や使命感があったからなのでは?と私は思いました。
大切に育てたものを殺め、その命をいただく。
精神的にきつい経験とはなりそうですが、得られるものも大きそう。
何かと騒ぎ立てられる世の中ですが、挑戦してみたいものに挑戦し、敢えて包み隠さず情報発信していくスタイルを、影ながら応援しています。
多くの人の凝り固まった考えを動かした素晴らしい文章力。
若い女にアホみたいな偏見を持ってる人の多さw
これ書いたのが狩人の渋いおっさんだったらベジタリアンとかファッションとかブログのネタとか言われないんだろうな
20代女性です。Twitterから来ました。私は、ちはるさんのような生活もいいな〜と思いますし、ちはるさんのような人が好きです。色んな意見があると思いますが、心身を磨耗することなく、ご自分の決めた道を進んでもらえたら嬉しく思います。
命がどうのこうのおっしゃってる方々。
こんなことを書くのは反則かもしれないけどさ、衣食住の食の一部分だけキレイにしても偽善でしか無いでしょ。
あなたの着ているものはどこから来ましたか?劣悪な環境で働いている中国、インドネシアの方々が作っているものでしょう。どうやって運ばれてきたのか。港湾労働者の過酷さ知ってますか?
あなたの住んでいる家の木材はどこから来たんでしょうか。使っている原油は誰が掘った?その人達はあなたたちのような安全で快適な暮らしをしているのでしょうか。
グローバル経済の中で極端な貧富の格差の恩恵を受けてそれに気づかずに生活しながら、口に入るものの一部にだけ焦点を当てて「いのち」を語っちゃってる人たち、私には無知な偽善者にしか見えないし、非常にあまちゃんだと思う。
というかそういうの分かってて暮らしてるのだと思ってましたよ。
なんというか、ブログ主含めた自称「私はわかってる人たち」の上から目線が非常に滑稽です。
私はこういう田舎の暮らしが無理だと思い
田畑や河川や牧場や大きな家がある恵まれた家から出る為に
勉強と受験をクリアして、好きな映画映像製作の仕事をして
便利な都心のマンションでウサギを可愛がりながら暮らしています
こんな遊びと悪趣味なアピールをしなければ、
正しく育った肉や魚を食べて、よい野菜を選ぶ事は出来ないんでしょうか?
ネットで集めたにわかな知識を曲解して、流行りとして必死で発信したがる
オツムの緩いガール系のジビエに対する考えは、ただの猟奇趣味と同じで、
趣味で乱入して写真を載せまくるような部外者は迷惑な変人だと思ってます
凄く興味深い記事でした。面白かったです。
今度北海道へ行きます。そのとき友人のお父様が猟師なので狩りを体験させて頂こうと思います。
世の中にはおかしな人達が多いです。
管理人さんが自分で狩って捌いて美味しいと喜んでいると批判なのに、スーパーで肉を買い、調理して美味しいと喜ぶのは普通。
ここに批判的なコメントしてる人って可愛い動物を食べるなら心痛めて感謝して食べろと・・・牛や豚や魚のときは誰も言わないのに。そういう人って命を差別してることに気がつかないんですかね。
管理人さんには上から目線で「命の大切さを忘れるな 慣れるな」と説教する前に今までの自分の考えから改めたほうがいいのでは?何だかそういう人がちらちらいるように思えてなりません。
毛皮や革製品にするのだって別にいいのでは?動物からしたら食べようが毛皮にされようが一緒。殺されるんですから。それを偽善で「食べる分だけはいい」と正当化する人は結局自分のことしか考えていない。
自分は小さい頃から育てたうさぎを食べたりしてました。
いつも小屋にいたうさぎがいつの間にか居なくなってて「あれ?死んじゃったのかな?」と思ってたら夕飯にうさぎの肉を使ったであろう鍋が出てきて、そこで「あ、肉になったんだ」と気づきました。
他にも鶏やヤギなど、育てた動物を食べるということをしてしました。
確かにいつもいる存在が消えてしまうというのは寂しいし悲しいことだったけど、だからと言ってこれは悪い事だとは思いませんでした。これはほかの人からしたら最低だって思われることなんでしょうかね…。
牛や豚や羊や鳥はもはやメジャーな肉。でもイルカやウサギなどは可哀想と思う人が多いのかもしれませんね。そう思うことは別に悪いことではないと思います。人それぞれの感受性だと思ってます。
ただ、自分の言ってることが正しい、正義だと思って意見を押し付ける人が多い気がします。
命を奪うということは同時に責任というものがついてくると思ってます。一部のコメントに殺人も考え方次第では~とかただのレジャーだとありますが、殺人や殺戮行為に「責任」なんてあるんですかね?そこに疑問を感じました。
狩猟や漁猟など何かしらの猟には「命のありがたさ」「責任」があると思います。ちはるさんはちゃんと責任を背負って狩猟をやってらっしゃるので尊敬します。
ブログの書き方とかも別に嫌な気持ちにはなりません。だってこのブログはちはるさんのブログであって、私たち見る側のブログではないから。何かしらの事件に関係していない限りは見る側は指摘するべきじゃないかと。
ツイッターだって「そういう呟きや言葉使いは不快だからやめろ」なんて言われたって「そこまで気にしてたらツイッターの意味ない。ならブロックして見なければいい」って言われて終わりです。
自分もウサギ飼ってましたが、不快な思いなどはしていません。ペットと野生とでは存在意義が根本から違いますしね
ウチは田舎なのでイノシシに悩まされており、高齢化によってどんどん猟師さんが減っているなかで、なろうと決断されたことは頼もしく思います(地元は少ないままですが)
怪我には充分気をつけて下さい
父が猟師です。うさぎは食べたことありませんがいのししならよく食べてます。くれぐれも怪我のないように猟師生活を送ってください。
他の動物も、そして人間も昔から狩りをしてきたのになんで今更批判するのでしょうね。しかも魚はいくら狩っても怒られないのにウサギなどになったら途端に無駄な殺戮だのなんだのと言う。なんだかんだで酷い差別ですね。かわいいからダメとかなんなのでしょう。
個人的には、毛皮や革を目的に殺されている動物たちのほうがよっぽどかわいそうです。それこそ無駄な殺戮なのに。人間のおしゃれのために殺されるほうがずっと残酷です。
僕も若き者ですが狩猟免許を受け二年目になります。
有害鳥獣だけを捕獲しています。
実は僕もネット批判されました。
ちなみに僕はネットから消えました。
狩り頑張ってください。
少し前からお邪魔していますが
あまり他の方の意見とか気にしてなかったんで
「炎上」って聞いてみてみてはじめて呆気にとられました
そら受け取り方が様々なのはわかりますが
批判的な意見を態々書きこむ方の中の
「貴方が死ねばいい」的なものに
心のそこからゾっとします
かわいいから ダメっていう方は
かわいくないなら殺されて当然っていうこと?
かわいいか、わいくないなんて
そんな理由で命の重さを決めれるヒトなのね
よくイルカやクジラは賢いのにっていうヒトは
賢くない牛や豚は殺されていいってコト?
牛や豚が賢くないってホントなの?
誰が決めたの?そんな順位
そんな理由で生き死にを線引きできるヒトの方が
正直よっぽど怖いんですけどねアタシは
菜食主義の話しもそう
自分がスキでそうするのはかまわんけど
してない他人を否定ってどうなのよ
菜食主義者が世捨て人の様に
山奥で一人生きているならまだしも
人間社会で日常生活しているなら
その口にする野菜は貴方の口に入るまでに
肉食ってるヒトの力なしにしはありえないモノです
またその野菜を買うお金は
肉食ってるヒトから貰ってるんです
貴方が住んでいるトコロは
貴方が着ているその服は
貴方が生きている事は
「人間」以外の全ての生き物の命の上にあると思いませんか
あとねアプローチ変えるとね
このブログが「ちはるの海」だって
漁師になりたい女性が笑顔で写真をとって
船上でさばいて美味しく食べるブログだったら?
魚類がよくて動物がダメってのもまた不思議よね
アタシは思いますよ
趣味が猟師でも漁師でも
別にドッチでもいいじゃないですか
獲物を追いかけ仕留めていい笑顔
最後は美味しく頂き命をどうもありがとう
その対象が「人間」でない限り問題なしちゃいます?
いいじゃないですか
趣味が「猟師」の女性のブログ
命の有難さとかそんな難しい話なしでも十分です
いつかちはるさんが熊を仕留めるその日を
アタシは楽しみにしながら更新をまっております
このブログは記事も面白いですが、コメント欄も大変面白いですね
ウサギのイヤリング素敵です
やっぱり何度読んでも自分勝手なんだなーと思う。
人間て勝手すぎるね。
動物福祉論でも勉強したら?
反対してる人の考えわかるかもよ。
あ、わからないか。
わかろうともしてないもんね。
とりあえずそんな狩りして生きていきたいなら
もう、山にこもってればいいぢゃない?
いちいち命の大切さとかと無理矢理繋げて
人気取りしないでくださいなー。
あー、今日見た女子高生達は
殺処分された犬達の骨を泣きながら砕いてたっけ。
人間と同じ命なのにおかしいってゆってたなあ。
あの子達のほーが
よっぽど共感されるんぢゃないかなー。
こんなブログより
よっぽど命について考えさせられるね。
犬や猫たちは無駄に死んでしまったから悲しいと思うよ。
人間が勝手に捨てて野良になった犬猫を保健所が泣く泣く殺処分。
誰だって嫌な気持ちになるに決まってるでしょ。
でもそれと狩猟がどう関係あるのか分からない。
じゃあ狩猟して生活する人たちは命の大切さなんか知らないで狩ってると思う?違うでしょ?
必要な数だけしか狩らない。
狩っても有りがたく全部残さず頂くんだよ。
それが狩ったものの責任だから。
命を繋ぐための命をありがとうって。
でもあなたの言うこともとても考えさせられるし、すごく大事なことだと思います。
本当に、ここで このblogに対して批判している人のコメントを見ていると 怒りが込み上げてきます。
生きる為に 生き物を殺したこともない人には、このblogを残酷だ何だと言う資格はありません。
誰かが書いた通り、皆の代わりに 皆が食べる為に生き物を育ててくれている人、そして殺してくれている人たちがいます。
で、それは 必要だから仕方無くて 猟はレジャーだから すんな?
ふざけろですね。
家畜は 仕方ないと?
同じ命と言うわりには、自分勝手な線引きですね。
自分はベジタリアンだからと言ってる人、全ての化粧品や石鹸などを捨てて下さい。
それらの原料は、動物の死体や胎盤からできています。
その他の薬なども 全て動物実験を やりまくったのちに 人体実験をし、それで、まぁ 何とかなる程度の副作用で済むものが、皆様が病気になった時に 処方される訳です。
動物が可哀想とか 言ってる方々は どうか病気になっても 薬を使わないで下さい。
皆様が 薬を使う限り、動物たちは 動物実験で 殺され続けます。
とか、言っても ここで批判してる偽善者の人々は 何だかんだで自分を正当化するんでしょうがね♪
動物の犠牲無しに 我々は生きていけません。
命の尊さを実感するのに、猟をするのはイイと思います。
ここで 批判してる人に 猟をしろとは言いませんが
一度、食肉流通センターを見学するなり、自分で生きる為に 育てた動物を殺して食べてみて下さい。
そーゆー経験のない人は、いくら このblogを書いてる方が誠実に対応しても、決して理解できません。
私は動物保護をしているうちに、いつの間にかベジタリアンになっていました。でも、あなたの言う様にベジタリアンでも動物の犠牲のもとに成り立っているのであるなら、私は混乱の中に放り込まれた気分です。
しかも沢山の難病を抱えて大量の薬を飲まないと生きていられない身体です。薬については動物実験がとても気になっていました。今後はやめてほしいと思っていました。でも、今までに動物実験をして出来た薬を飲んでいるのが罪だと言われるなら、すべての薬をやめてもいいと思っています。私の死に様がもし何かの役に立つのなら、喜んで差し出しますよ。
あなたは、ベジタリアンであり薬を飲んで何とか生きている私の様な人間がすべてやめて抗議すれば少しでも聞く耳を持ってくれるのでしょうね!
こちらは命を懸けるのですから!
命をかける必要はありません。
そんなことは、何の意味もないから。
難病を抱えて生きているのなら、養生に専念し余計なことに首を突っ込まないこと。
このブログが、あなたの逆鱗に触れるのなら見なければよいことです。
お前ら二度と肉食うなよ?
炎上元の記事を拝見しました。
生きている状態で腹を捌いていましたが、何故完全に殺してから捌かないのですか?
牛のとさつの見学をしたことがあるのですが、拳銃で即死させてから解体していました。
命を頂く事は、人間に課された宿命です。
でも、人間には動物の苦痛を少しでも減らす知恵もあるのではないでしょうか。
兎は食べ物と捉えることを否定はしません。
しかし、食べ物だからその命を尊重しなくていい理由にはなりません。
あなたは、兎の事を「この子」と呼んでいました。
少しでも苦痛を減らしたと殺を願います。
主義主張は特に間違ってないと思うのですが
なぜか不快なんですよね。。
文章なしで写真だけ見せられると
かなり多くの人が矢ガモ犯以上の異常者だと思うのではないでしょうか?
やはり不快なのは楽しんでいる人物が
はっきり窺い知れてしまうからではないかと思います。
掲載なさる写真は人物の写っていないものにしてみたらいかがでしょうか。それで十分主張は伝わると思うのですが。
何故かを突き詰めてから書き込みした方がいいと思いますが?
無機物から栄養を得て命を繋いでると仰るなら筋は通りますが
あなたも命を繋ぐためにどこかの誰かが「殺した」生き物を
食べてるんでしょうに
殺すなとも食べるなとも一文字も書いてないのに。
かなしい。
血が綺麗とか、ワークショップとか
命と向き合っている体ですごくファッション的な表現を使うんですよね。表現だけではなくて、ころし方なんか見てても考えが浅はかだと思います。
あるがままを自然だとは私は思いません。
自分では、猟はしませんが、趣味でナイフを製作&販売をしています。
猟師さんから頼まれて猟用のナイフを製作などもしています。
本業で、日本酒を製造をしているので、物々交換で、お肉を頂きます。
そのおかげで、肉はあまり買わなくなりました。
趣味のナイフ制作で、鹿角を使ったり、鹿角・猪&熊牙・熊爪などで、ペンダントトップ・イヤリング・ストラップなども制作しています。
仕留めたからには、隅々まで有り難く使わないといけないと思います。
知人は、頭骨で骨格標本を制作して学校に寄付しています。
まあファッションですよね
性癖みたいなもんでもあるし
人が生きていく上で動物にしろ植物にしろ、多くの命を食べていかないと生きていけない。
しかし例えば、一匹の熊が生きていくために人を襲って食べることは絶対に許さないだろう。
だから身を安全な場所に置き、圧倒的な殺傷力をもつ銃を人は手にし、罠をはって獲物を狩る。
それでいて人は死んでも火葬をし、その身を自然に返そうともしない。
自然の命のサイクルから外れてしまった人間が、命の在り方を語るのはフェアじゃない気もするし、滑稽でもある。
自分たちは生かされている、と言う事を本当の意味で理解している人は、僕を含めてほとんどいないのではないだろうか。
そんな事をこのブログの記事やコメントを見て、思ってしまう。
それでも自然は傲慢な人間にも寛容で優しい。
世界は限りなく美しく、命の輝きに満ちた光景を見せてくれる。
それを感じる事のできる人間の感受性を、
とりわけ四季の美しさを知る日本人の感性を、
まんざら捨てたもんじゃないと思いたい。
人様の飯にいちゃもんつけるな。というのが自分の感想です。
もちろん他人に迷惑をかけないことが前提ですが。
迷惑というのも感情論で語ってくる分には知りません。
食肉処理された食べ物しか見たことない想像力乏しい人間が無知を振り回しているだけです。
スーパーに並んだ肉を見て「おいしいそう」とだけ考えて、それが一つの命だったと想像すらできない方が残酷です。
↑泣きながら犬の骨を砕いてる女子高生達は笑いながら肉を食べてるだろうね♪動物を守りたいとか言ってるお前らが一番自分勝手だろww
目の前の動物を自分で殺して生きるために食べることと、
スーパーで売られたすでに殺された動物を買って生きるために食べることと、
本質的には変わらないと思う、わたしです。わたしも遠いところでは動物を殺して、食べているのです。
もちろん、殺すこと自体が目的の動物虐待快楽犯などには強く執拗な怒りと殺意を覚えますが、ちはるさんは基本的に自分でしとめた以外の肉は食べないと言っているのだから、いいのでは?(という意味で、うさぎの毛皮はちょっと・・と思いましたが、わたしもラビットファーの襟付コートを持っているので、反論する権利はありません。)
あまり関係ありませんが先日、カナダの山で遭難したハイカーの男性が、自分の飼い犬を殺して食べたという記事を見ました。
http://blog.livedoor.jp/news_keywordtoday/archives/33778301.html
生死に直面したら、可愛がっている飼い犬でさえ殺して食べてしまう人間もいるのです。でも彼は責められない。「生きるために仕方なかった。むしろよく決断した。」という意見が大まかなようです。
自分が趣味の旅に出るときに飼い犬を連れて行き、万が一の場合のライフラインや連絡をとりあう術すらもたないという甘い考え方。そして犠牲になった飼い犬。それこそ身勝手だし、ちょっと許せないなと思いました。
長文駄文になりましたが、牛肉も鶏肉も豚肉も大好きでもぐもぐ食べてしまう私は、これからはもっともっともっとありがたみを感じなくては!と強く思った次第です。
もっと古臭いHPビルダーで阿部寛のHP見たくださーく
サイトを作ればここまで炎上しなかったのでは?
全体的に漂うおしゃれ感、リア充感が余計に考えさせられます。
そんな考える必要ある?感じてる?
そう?
ブログ・コメント一通り読ませて頂きました。
だれも言及してませんし、ちはるさんも意識されてないようですが、
要は「若くて可愛い女性が楽しそうな生活をしていること」がそもそも気に食わないんだなあと思いました。
つまり「妬み」。
認めるのは嫌なものですが、このブログ全体を通して「生命の尊さ」とか、「線引き」とかの前に、まず妬みの感情を覚えました。
(大変失礼ですが、このエントリの帽子を被った写真のアヒル口とか妬みの感情を確実に煽っています。)
ちはるさんに否定的な人は、その感情が先に立っているため、
要は「自分可愛いアピールのために動物を殺すな」という結論ありきでコメントをしている印象を受けます。
もしこれが、中年のハゲデブ独身のストイックなオッサン猟師のブログだとしたら、そんなに話題にならなかったでしょう。
というかそういう猟師の方のブログならこれまであったでしょうし、それとの違いは発信者だけです。
もし、本気で「生命の尊さ」とか「線引き」を主張したいのであれば自分の写真や生活は載せないほうがいいと思います。
このブログを「自分可愛いアピール」と受け取る人がいる以上、特に否定派の意見が感情論を超えてこないような気がします。
途中まで同じ意見。
でも最後は求め過ぎ。なんでそこまでしてあげなきゃいけないの?
貴方の根拠のない「気がします」と、ブログへの要求は釣り合いがとれて
いないですよね?サービス業としてやってる訳で無し。
炎上して自分の考えはこうです、とそれで充分でしょう。
それでも本質ではなく表現が問題と考える人にこそ、冷静な議論を(したいなら)呼びかけるべきでは。
いろいろと違う立場の意見が出るのは当然の問題なので少し離れた視線から
ウサギはかわいいから、飼っているからという意見があるがウサギは飼われて幸せなのだろうか
ウサギであれ犬であれ元来は野生動物です
牛や豚もそう野生に生きていた生き物を人間のエゴで愛玩動物としたり家畜としたりして飼育いています
しかも品種改良などをしてより自然に逆らう行為を行ってきています
本当の意味での動物愛護を唱えるのであればすべて自然に帰すべきなのでしょうか
私には動物の気持ちはわからないのでどうとも言えませんが自然に生きてきた命が狩られ食されるというのは自然の営みです
そういう立場から考えるとブログ主の行動はより自然に近いことです
肯定派の方々の発言は大体筋が通っていますが、
否定派の方々の発言はほとんど筋が通っていない。
お前らってマジでどうでもいいことに噛みついて炎上させるよな
炎上させたいなら、もっと面白いネタに噛みつけや
ただ兎狩ってるだけじゃんwwwww
おまえらマジつまらんわw
つまらん奴には構わなくていいぞ、ブログ主
ねえねえこの人叩いてる頭沸いた人達いるけどこの人なんか悪い事してるの?
俺はウサギ、熊、猪、鹿など山にいる動物は可愛いと思うよ。
でも旨くね?
ちょー旨くね?
それの何が悪いの?
家畜の牛や豚、鶏だって可愛いよー
特に子供の頃は
でもお前ら食ってんじゃんwww
この人批判したり叩きたかったら世の中を知ろうとしろよ
自分の世界の価値観のみでこうゆうこと語るんじゃねーよ
そんなんだからしょうもないガキや大人になるんだよ
ブログ良かったです。この批判をしてる人達はコンビニやスーパー、レストランやら何やらで棄てられる命についてはどう思っているんですかね?セブンイレブンだけでも毎日2億円分の食品が廃棄されるとの事。お金が大好きな日本人なら2億円ももったいないと思うでしょうがそもそも命が食べられもせず棄てられる事を周りの人に訴えてもらいたいですね。ちはるさんのブログを批判するくらいだからきっと問題意識を持って動いているんでしょうが。
山の恵みを無駄をなく使っているのであれば ちはるさんは誰からも批判を受ける意味はないでしょう
動物がかわいいと思う反面
海や山から命を頂戴して人類は生活や社会が成り立っている歴史があるのですから自然の摂理だと思います
現在は食料は あるのが当たり前で どこでも売られていますが
食料がないのが当たり前になった緊急時時に
こういった技術を持った人がいるのか いないのかでは生死を分けると思われます
殺生を行い恵みを口にすればこそ命の大事さ大切さが理解できるのであって
兎を殺した料理はかわいそうだから食べれないという感情は その人個人の問題にしか過ぎないのです
こういった記事は先人の知識と文化を広めているのであって生命への冒涜になるのでしょうか?
現代の人は明日口にする食材にどれだけの命が宿っていたのかなんて通常考えずに食事をするでしょう
食べ物や物を粗末にするほうが よほど命に対して失礼なのではないのでしょうか?
このブログの主様の素晴らしいことは
炎上する問題を抱えながらも
まっすぐに 受け止めつつ
ブログを閉鎖しない強さを持っていること。
自給自足とはなにかという原点を
ちゃんと 学んだ上での猟師の道
その覚悟を感じました。
それは素晴らしいことです。
命をいただく、という行為は
植物にも通じること。
問題なのは「必要以上に」命を無駄にする行為だと
やはり ワタシは思います。
無駄に殺生をしないということと
殺生された命をきちんと食として命に繋ぐこと
ワタシの目の前に今差し出されている肉を
食べないで過ごすことは
命を無駄にしてしまってることのようにも思えて
ワタシは「食べずに捨てる」ことの方に抵抗を感じます。
もちろん
それはワタシの感じ方で
肉を食べずにいることが無駄な殺生をやめさせるキッカケになると
考えておられる方々の価値観を否定するのではありません。
食育、という観念で
今、目の前の肉の命を 生命の源として受け入れるのかどうか
それだけのちがいだと思うから。
このテーマに がっちりと決まった答えはないと思う。
それぞれの中に答えを持つこと。そこだけでいいのだと思う。
それを他者に押し付けるモノでもないと思います。
主様は 至極まっとうな人としての生き方
そのひとつのみちを歩んでおられると思います。
初めてコメントさせていただきます。
よろしくお願いします。
ブログ主さんは特別なことは何もしていないと思います。
『命を軽んじる』ことを論点にしている皆様は、何をすれば命が無駄にならないとお考えなのでしょうか?学ぶこと、趣味をもつことにだってコストがかからないことはない思います。
『屠殺場いけ』って皆様、いきなり辛口すぎかと。
私はSEですが『なんでシリコンバレーで働かないの?』とか言われても困ってしまいます。
みんな色んな切り口で、学んでいくんだと思います。
ブログ主さんはソレが『狩猟』であり『ブログ』だっただけではないでしょうか。許すも許さんもないのかと。
ブログ主さん、後ろ指さされてでも、お互いがんばってまいりましょう。偉そうに申し訳ないです。
話はそれますが、所謂『炎上』ブログ等、小学校くらいで取り上げたりとかはしてないのでしょうかね?
内容についての議論はもちろんですし、『炎上』自体がとても面白い議題になりそうですが。もうとっくにやってますかね笑
長文失礼しました。
はじめまして。
fbから来ました。
みなさんのご意見、それぞれにわかるなぁ・・・。
いずれも「論客」。
でも、まずはこんな現状にも思いを馳せてくれる人がいたらば、
とも思います。
飼育するペットと、狩猟される野生動物とは一緒にできないけれど。
小林照幸著:「ボクたちに殺されるいのち」(河出書房新社)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AB%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1-14%E6%AD%B3%E3%81%AE%E4%B8%96%E6%B8%A1%E3%82%8A%E8%A1%93-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E7%85%A7%E5%B9%B8/dp/4309616658
鍋やBBQ美味しそうでしたね。
山賊ダイアリーを以前に読んでいて、狩人に興味がありました。
殺されていった生命が無駄にならないためにも、
ブログを書いて、頑張ってください。
動物の供養の仕方についても知りたいです(´▽`)
問題はあなたじゃなく、最初にでてくるのが問題かと。
うさぎかわいいで検索すると
最初に出てくるんで、おそらく、うさぎかわいい味で検索にひっかかるのかと。
うさぎかわいい味がしたを削除してもらえないか
相談です。2ページ以降ならね。なんで検索すると最初にでてくるんですかね。
こんにちは!
初めてこのブログを拝見して書き込みました。
私はうさぎをペットとして飼っていますし、大好きです。
でもあなたのような生き方はキラキラして見えますし、この記事のような考えに賛同できます。
批判もあるかもしれませんが、応援しています!
狩猟に賛成!
ブック-マークします
地元の山林や田畑は獣害で皆困ってます
今年夏、
ハクビシン、アライグマ等の外来獣が住み着いていて、
夏にスイカを数個食害されました
苦情や反対論を展開し綺麗事何言うのは簡単だが
皆が考えた末に現在のレジャー狩猟と言う形で残っているのだと思うよ
何故反対する人がいるのか理解できないのは仕方いかも
おそらく、文化的に思考が違うのかもしれない。。。
こっちは11月15日早朝から狩猟が解禁になりましたが
日本猿は仕方ないとして四足の獣は、或る程度人間が間引くのが
現代を生きる生活者としての知恵であり勇気ある生業だと尊敬している
もう直ぐ猪鍋の季節、鹿と兎はまだ食していないが
ジビエ料理の美味しい季節に乾杯。
怪我等に気を付けて頑張って下さい。
匿名の有象無象が言葉を垂れ流すネットだからこそ「炎上」なんてものが発生する。
そんな雑音を気にする必要なんかな~んも無いし、多分それほど気にされてないと思いますが。
自然の営みそのものですね。
批判する人の考えが全くわからない。
烏いずれ締めることになる骨鶏を飼うくだりには考えさせられました。
「自然の営み」と書いたが、自身が飼っている生き物を自分が屠ることができるのか。
母方は農家なので祖父母はそういう行為を当然のようにしていたのだろしその方法も知ってはいるが、動物といえばペットしか飼ったことがない自分にはほとんど不可能なほどハードルが高い行為です。
その烏骨鶏を屠った時、きっと新しいものが見えるんでしょう。
日本語の「いただきます」という言葉に等しい言葉は世界中探してもほとんど見つからんらしいですね。
料理を作ってくれた人、そしてそれを贖ってくれた人、更に調理されたその対象が動物であれ植物であれ命に対して、そしてその命を育んでくれた神々にまで至る感謝を表わす言葉。
それを日々体感している素晴らしい生き方だと思います。
ついでに言やぁ、鯨なんかについても欧米の人たちみたいに脂さえ取りゃあ用なしで捨てっちまうんじゃあなくて、日本人は脂はもちろん肉からヒゲから骨から利用してきたし、それら鯨を祀る神社まで建てて供養もしてきた。
要は生き物の命を取るんなら「成仏」させにゃあいけない。
ウサギの毛でピアスまで作ってるのが成仏になってるのかどうかわからんが、どうせなら骨まで愛してやって成仏させてやってくださいよ。
それが日本人の心ってもんです。
ちなみに我が愛するグルメでグルマンの故 開高健 氏は「肉は骨に近いほど美味い」と仰っておりますゾ。
四国の愛媛在住の見習い猟師です。
以前にも台所でウリ坊調理の項目でちはる様のブログ見せていただいています。
明日から地域の猟友会などへ狩猟資格取得のため活動して行こうと思っています。色々な法規、手続きがあるようで戸惑いそうですが
来年辺りには先輩猟師さん達と活動できるように努力して見たいと思います。
これからも情報更新よろしくお願いします。
取得しないといけない項目整頓から始めてみます( •̀ .̫ •́ )✧
こういうことに対して、ひどいとか命云々言ってる方々は、『魚の絵を描いてください』と言われて、スーパーの切り身を描くような平和ボケ()してる人種だと思う。
下水処理やゴミ収集なんかも汚いとか言ってバカにしてるんだろうな。
このご時世、誰もが経験できることではないことを写真や文章で伝えようとしている。とても素晴らしいと思いますし、笑顔で写真を撮っても全く問題ないでしょう。
主のブログの内容は、今のテレビよりも比べものにならないくらい貴重な内容でした。
今回の事は、先日話題になっていた『はだしのゲン』と同じではないかなと。
現実に起こっていること、忘れてはいけない大事な知識を、ただグロテスクだ残酷だと言って蓋をし、子供たちも見せない。
狩猟や食肉に関しても、人間が生きる為に必要な事なのに、その過程を見たくない人が多い。そのくせ、食べるものは食べる。
苦手な方もいるのは理解できますが、批判するのはちょっと違うんじゃないかなぁ。
長文乱文失礼致しました。
狩猟免許取得おめでとうございます。
ちはるさんには、これからも狩りの様子満載のブログを続けていただきたいと思います。
頑張ってください!
炎上記事、身させていただきました。
妬みや嫉みもあるでしょうし、生死に関わるということが薄れてしまっているため批判も致し方ないと思いますよ。
自称ベジタリアンの方も押し付けるなと言いつつも自分の価値感を押し付ける矛盾。
牛や豚は生きるために食べられてるのであって、
それを話題に出すのは屁理屈だと言う方もいますが……。
あなた方がその次に発する言葉も結構酷いものですよね。
なおかつ全員同一人物が書いてるんじゃないかと言うくらい同じことしか言わない。
目には目をとかどこの法典ですか。
それと、ブログ主様の書き込みにも少々疑問を感じました。
わざわざと批判する方々を煽るような文章がちらほら見受けられます。
わざわざ炎上した時の、なんて無くてもただの自分で作った程度でも良かったのではと思いますよ。
せっかくの人間が命を扱うことについて考えさせられる記事なので
もったいないと思います。
それだけの覚悟と信念があってやってるってことでしょう。
芸能人ブログじゃないんだから媚びる必要なし。
一言だけ言いたかったけど
ブログの主がブログ書くために生き物殺してると勘違いしてるやつ多過ぎだろ
別に主は殺すことの素晴らしさを教えるためにブログを書いてるわけでもブログ書くために殺してる訳でもないだろ
自分の都合の悪くて気分を害される物をみてしまったからっめ
批判するのはおかしい話だよ
それにそれがダメだダメだって言うなら
外も歩けないよ
蟻だって踏めないだろう
自分達だって肉を食って生きてるだろう
例え自分は肉を食ってないって言ったって
自分の先祖は食って生きてるんだよ
それが自分らの肉になってるんだから
都合の悪い物は見ないっていうのは勝手だけど批判する権利はないよ
あ、もう一つ
主さんは間違った事はしてないと思う
信念を曲げないでほしい
はじめまして。ツイッターでこのブログのことを知りました。
ちはるさんが「自分で絞めた以外の肉は食べない」ということであれば、それはスーパーでお肉を買って食べている私たちより「奪う生命の総量」は少ないと思うので、意義のあることだとは思います。
(お仕事の関係で、取引先や会社の人たちと外食をされたりはしないのでしょうか?)
それでもあなたのために命を差し出したうさぎに、少しでいいから「敬意」を持ってほしかったと残念に思います。
魚なら笑顔で釣っていいから、うさぎも笑顔で殺していい、という理屈はなんだか小学生みたいです。
釣りでも狩りでも、「あたりまえ」のことをやっていると主張されるのなら、もっと「普通」にすれば良いのではありませんか?
「炎上自体が目的」であり、「ブログのヒット数を増やしたい」、が、あるいはちはるさんの本音であれば、こんなことは書いても仕方がないのですが。
笑顔の写真も、文章にタイミングよくさしはさまれる(笑)も、なんだか過激な動物愛護の人たちをターゲットにした壮大な「釣り」としか思えません。
ハンターをめざされるとのこと、リアルな山野ではウサギやイノシシを、ネットでは「痛い」動物愛護の人たちをこれからも「狩って」楽しまれるのでしょうか? 充実した人生だと思いますが、あなたのことはやっぱり好きになれません。ごめんなさい。
貴方よりは「敬意」あるんでは?小学生みたいな揚げ足とってはずかしくないんでしょうか?
ようはただちはるさんが嫌いなだけ。
「敬意」が無いと思ったのはたとえば
「でも、血がついた毛皮をじゃぶじゃぶ洗っているうちに、
温泉に行く時間が来てしまった…泣!!
これから大事なところなのにいいぃいぃいいぃい!」
のくだりです。
自分で仕留めたうさぎで、その命をリスペクトするのであれば、
うさぎが死ななければならない理由があったのならば、
せめて殺したその「目的」の貫徹を最優先してほしかったです。
なんだ。
殺されたうさぎの命の価値はこの人にとって「温泉」以下だったんだねって。
生き物のたったひとつしかない命と温泉がこうして並べられるってことは、どちらもブログ主さまに「快適さ」を与えるための、要するに「消費アイテム」に過ぎないってことでしょう?
スーパーでお肉を買って食べてる私たちと、どこがちがうのかしらって。
ブログ主は猟師の知恵を身につけて、住む場所を変えてまで実践しようとしている(ように自分は見える)。
なかなか真似しようとしても真似できないことであり、個人的にうらやましくさえ見えるが、スーパーで肉買って貪ってるだけの人間とどの辺が一緒なのか理解に苦しみます。
猟師の知恵にしたって、もともと生活を豊かに、快適にするための知恵じゃないんか。
あと、魚屋で並ぶアジとかサンマに敬意を払ったりするんですかね。
「スーパーで肉買って貪ってるだけの人間」とおっしゃいますが、そんなエラそうなあなたは一体どこで肉をお買い上げなのでしょう?
ブログ主さまは食に執着があり、そのためには労を惜しまないのはわかりますが、それも結局は「好きだから」やってることなのでは?
その意味では「レストランに行くたび出された食事を写真に撮っては時として店に嫌がられたりしているお洒落系食い意地ブロガー」と動機においては同じだと思ってます。つまり「こんな美味しいものをこれだけの労力を払って私は食べている! それを全世界に発信」という本質において。
ところでアジもサンマも食べ物なのに、あなたは敬意を払えないんですか? なんかあなたが食べ終わったお皿の上、まだお魚の身がいっぱいついた骨も皮もぐちゃぐちゃで、さながら三角コーナーの残飯ぶちまけたみたい……な食後の風景が頭に浮かんでしまうんですけど?
>adachi氏
え、俺がスーパーで肉買ってないっていつ言いました?
おっしゃる通り、ブログ主はそういう暮らしをしたいから実践してるわけでしょうが、そこを腐されるいわれはないんでは?
動機はどうあれ、なかなか真似できないことを実践してる人を、口先だけで「本質的には〜」なんてなんでdisれるんかわからん。
魚をきれいに食べる=敬意を払っている
であれば、俺も敬意払ってんな。むしろ年取ってから意地汚く食べ尽くすようになった。
大多数の日本人は魚を殺して食べることを何とも思ってないのに、ウサギや鶏については敬意をなんて話になるのが変なんだよね。
うさぎ かわいいで検索
↓
「うさぎはかわいい味がした。うさぎ狩りと解体してきたよ。 | ちはるの森」と出ます。
もういい加減「間違えて入っちゃった報告」止めません?嘘だってばれてますよ。
動物愛護憎しの人たちには非常にありがちなタイプですね。
つまり
「兎カワイイ殺すなってか?でも牛豚食ってるバカじゃねw」
↓
「見下してよし」
と短絡して食いついてくるハイエナさんたちの一人。
お気の毒にリアルでは見下されてばかりで、よっぽど「他人を見下す機会」に飢えているのかしら、なんてつい想像してしまいます。
ごめんなさいね。ひどいこと書いちゃって(笑)
これだけしっかりした考えてブログを書いてるのに、ただ可哀想だのなんだの、そんな理由だけで叩いてる人は頭おかしいの…?
シーシェパードとかあの辺の支持母体ってこういう人なんだろうなぁと思った。
いちいち話題に出すことじゃないと書かれてる人もいるけど、ブログなんか基本そんなものでしょう。
それこそ、今日友達とご飯いったー程度の内容の方が、よっぽど外部に発信する価値がない。
頭のゆるい子ら程、事の内容は別に叩けそうと思うと噛み付いてくるものだと思います。
今後もブログ頑張ってください。
炎上ブログを読んで、
もっと「生きる」ということを、
シンプルに感じたらいいのでは?!と感じました。
ブログを見て、悲しい、切ない、当たり前のこと、etc・・・
色々感じますが、その感じることが生きることでは。
そして、ネガティブに感じる感情を、誰かのせいにしてぶつけるのは違うのでは?!
何が良いとか悪いとか、そんな問題ではないですよね。
そう議論が始まると終わりはない。
何かを食べなきゃ生きていけない人間・・・。
みんな命があるもので、何を食べて良くて何が駄目なんてあるのかな?!
私は、美味しいものを食べるのが好きです。
それも自分の人生の楽しみだと思っています。
お肉もすきです。
でも最近お肉を食べると体のあちこちで拒否反応が見られます。
お肉を食べた時は、明らかにお腹のなかで、発酵しています。
お肉を食べた後は、消化にエネルギーを使うのか必ず眠気が来ます。
お肉を食べた後は、のどにポリープが出来たように、唾液を飲み込むのに軽く困難さを感じます。
そんな理由でお肉好きですが、段々食べられる量が減って来ています。
そんな感じなので、肉食についてあれこれ感じていたところです。
私の中でひとつ言えるのは、
今までスーパーでお肉を買って調理してました。
子供にも食べるものに感謝して残さず食べることを教えています。
でも、ここのブログを読んで、
私の感謝は建前の形式的なものだった事が自分で認識できました。
「命の頂く」このことをもっとしっかり意識して、
調理したり、食べたいと思いました。
ちはるさん、気付かせてくれてありがとう!!!
とてもいいブログと思います。
今後、また自分の意見などもコメントしてゆきたいと思います。
応援しています。
ちはるさん、頑張って下さい!!
はじめてこのブログを観ました。
ちはるさんの狩猟のあり方やブログ自体の是か非は人それぞれだと思いますが、各々が考えるきっかけとなることは確かだと思います。
私自身、このブログの「狩猟」→「加工」→「食事」の過程を見て、「狩猟」の時点では動物に見ていたはずが、「加工」では食品のように見ていたことに気づきました。この感覚は果たして自分が折り合いをつけたのか、それとも実際に命を奪ったことがないために実感がなく、肉と命が結びついていないだけなのか分かりません。ただ少なくとも日常でお肉を食べる中で、命を実感することはあまりありません。
また一般的な殺生への倫理観だけでなく、愛玩的な考え、愛護的考えなど良くも悪くも生死への様々な意見を見れるこの場はとてもすばらしく思います。
ワークショップ、機会があれば参加させていただきたいと思います。
私が、動物や植物の生命をもらって生かせてもらっている点、
そして、命に対して人の受け取り方が違う点を改めて考えさせてくれるブログでした。
色々な人の意見が見られて良かったです。
ありがとうございます。
人が生きるために何でも殺しても良いということにはならないと思いますが、野菜は食べて良くてうさぎはダメという議論も筋が通らないかなと思いました(命を区別するのに私も反対です)。そういえば、鯨はダメで牛や豚は良いなんて議論してる方々もいて、昔ニュースになってましたね(笑
ブログ応援してます。
「命を区別するのに反対」とおっしゃいますが、本当に「区別がない」のであれば、「野菜収穫ブログ」だってこうして炎上して、
「なんてヒドいことを!キャベツだって生きているのに!」
「いや叩くほうがおかしい!応援してます!!」
になってるはずでしょう?
やっぱり「区別」はあるし、うさぎと野菜は違うんですよ。
キャベツを収穫するよりはるかに(感情的に)ハードルの高いことをブログ主さまがやってのけたからこそ、こうしてみんな賞賛してるわけです。
あなただって、たとえばまったく見知らぬネットの向こうの私と、あなたのご家族の誰かのどっちか殺す、あなたが選べって言われれば、間違いなくご家族を助けるほうを選ぶでしょう?
「感情」の存在と力を無視しちゃいけませんよ。
あと鯨に関しては、苦痛を最少限にして屠殺される牛や豚と違って、鯨を瞬殺することは現在技術的に不可能であり、三十分以上も苦しめて殺さなければならないので、それは動物福祉の観点から認められるべきではない、として反対する人たちもいる、ということを知っていただければうれしいです。
頭がいいから、かわいいから殺すのに反対、という人たちばかりではありません。
感情による区別は確かにあると思います。
でも、感情ってその人が生きる時代、文化や環境で違ってきます。
犬食文化がそうかな。
おそらくここのブログでうさぎを食べることに反対されている方は、犬を食べる文化の人たちにも同じようなことを言うかもしれませんが、彼らはそんなの気にせず食べると思いますよ。
それに、昔は日本人もうさぎ食べてたらしいですよ(徳川の時代とか)。
なので、うさぎだけ特別視されるのもどうかなと思います。
あと、人道的捕殺。
30分以上っていうのは、
どこの情報を持ってきたかわからないのですが、
鯨の平均致死時間は、鯨類研究所の調査によると平均104秒だそうです(確か半分以上はすぐに致死にいたっています)。
これを長いと受け取る人もいるでしょう。
でも、苦しむ時間が短ければ食べても良くて、長ければダメっていうのは、妥当な考え方には見えません。。。殺しているのには変わりないのに。。。
うさぎを今でも一羽二羽と数えることがあるのは、あれは鳥なんだ、耳が羽みたいに見えるし、二本足で立つから……つまり哺乳類ではないと思いたかったから、という説もあります。徳川の時代の人たちだって、(かわいいから、ではなく仏教のタブーに抵触するから、という理由からですが)うさぎを殺すことに後ろめたさを感じてはいたわけです。。
それに「文化」によってうさぎ食を正当化するのはどんなものでしょう?
現代日本に支配的な文化では、うさぎは愛玩動物と見なされているのでは?
うさぎを愛玩動物と見なす「文化」を、食肉とみなす「文化」より下位に置く理由を説明していただけたら、と思います。
うさぎ食べるな、とは言いませんが、できれば愛玩動物と見なしている人たちの気持ちも尊重していただいて、こんな「動物愛護派に対する釣りブログ」と見なされかねない写真の羅列や文章表現には配慮してほしかったな、と今でも思っています。
クジラの人道的捕殺に関しては、
「調査捕鯨を続けるために被災者のお財布にまで手を突っ込んで復興予算23億円をパクった」
鯨研の出してきた資料なんか誰が信じるかよ!とも思いますが、まあ鯨研のデータであれば、反反捕鯨派の皆様も文句ないでしょうから百歩譲って「致死時間104秒」を認めることにします。
でも、でもですよ? 同じデータで「半分以上はすぐに致死にいたって」いるんですよね? だったら「最長」の致死時間はどうなりますか?
サンプル数を仮に鯨10頭として、致死時間の合計が1040秒、「半数」が瞬殺なら5頭で1040秒、すると一頭あたりの平均は208秒、つまり三分ちょっとです。これは十分長いですよ。三分かけてじわじわ殺されたいって、あなた自身なら思いますか? 私はイヤです。
それと「苦しむ時間が短ければ食べても良くて、長ければダメっていうのは、妥当な考え方には見えません」とのことですが、このような考え方は「動物福祉」として先進国では採用され、実践されているものですので、あなたにはバカな考え方に思えるかもしれませんが、これも先進国に暮らしてその便利さ快適さを享受する代償だと思っていただかないと困ります。
さらに、「殺しているのには変わりないのに」? これもまあそんなことにならなければいいと願ってはいますが、仮にあなたがガンか何かで余命半年を宣告されたとして、医者が、
「緩和ケアを受けたい? 冗談じゃない、あんたどうせ死ぬのに『変わりはない』んだから、新しい強力な抗ガン剤の治験を受けて医学の進歩に貢献しろ!」
って医者に言われたらどんな気がしますか?
人間だって動物だっていずれ死ぬことに「変わりはない」んだから、世の中から少しでも苦痛の総量を減らしたい、私はそう思っています。
まぁファッション自給自足でもなんでも合法なら文句言われる筋合いはないんでしょうが、ブログに公開するってやっぱりある一定の層を刺激しちゃうのはしょうがないでしょ。
もちろん公開したければすればいいし文句言いたい人は言えばいいし。
ウサギを殺して笑ってるのがいいネタになったとニンマリしてるよう見えちゃう、それがネットで公開することのリスクだと思います。
まぁ結局趣味なわけで、狩りという趣味は命をいただくから高尚な趣味、みたいなのやめましょうよ、やっぱりレジャーでしょ。
もちろん私はそれを悪いとは思いませんよ。
こんにちは。
私も、趣味で魚突きと魚釣りをしていますが、非常に共感する部分が多いです。
また、鳥獣類も、自分で獲るのは難しいですけど、捌く手伝いくらいは経験したいと考えています。
自らの手で命を奪うことで、命の大切さをより深く感じますよね。
これからも期待しています。
ブログのために、快楽のために、目立つために殺していると何度も主張している人がいるけど、それは勝手に思っているだけだよね。彼女自身がそうは言ってないんだから、反証を挙げて証明してください。出来ないなら二度と主張するな。特に著者と同じ名前で繰り返し投稿しているやつ、失礼極まりない。
何も目の前のウサギを殺す必要が無いと言っている人、彼女はウサギを食べたその日は市販のお肉を食べずにすんだわけだろ。その日の動物性タンパク質を自分で調達しただけの話。他人にやってもらうだけの人間より、自分でやっているだけ彼女の方が立派。
こういう屠殺などを表に出すなと言っている人、確かに日本はそういう傾向が強いけど、それは絶対的な真理ではないよね。それを隠しているから業の深さを感じ取れずに上記のような頓珍漢なことをいう人たちが増えてきているわけで。
最後に著者に。一連の記事はショッキングだけど物を考える良いきっかけになりました。自分は命を頂いていると感じるからこそ食物を粗末にしないようにと常に心がけていますが、周囲には「自分の金で買ったものだから、食べようと残して捨てようと自分の勝手」だと思っている人も沢山います。そういう人にも読んでもらってよく考えてもらいたいと思う内容でした。
言い方悪いけど、批判する人たちはバラ売りされてる、スーパーで陳列してる商品しか見たことないからそんな言葉が出てくるんだと思います。
僕も鳥肉屋で働いていたことがありましたが、丸々一羽の鳥をみて「かわいそう」とか言ってく客がいて悲しくなりました。じゃあんたたちが食べてる鳥肉はかわいそうじゃないのか?それよりあんたたちに食べ残された肉の方がよほどかわいそだぞ、と。批判するならその産業の全体像見ろよと思います。鳥が締められてるところはさぞやそういう方にはかわいそうな現場でしょう。でもそれを食べてるんだから、批判するならちゃんと見ろと思う。
そういう全体像を見てない人がピントのズレた正義気取りのコメントするんだと思います。魚であれウサギであれ、もっと無意味な殺生をしている人はたくさんいますよ。ショックを受けたからってそれを感情のままに吐露するのはやめましょうよ。
ちはるさんの肉の食べ方と、僕ら一般人の肉の食べ方は異なります。
僕らは普段下のURLの内容の様な方法で「生産」された肉を食べています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/いのちの食べかた
http://www.youtube.com/watch?v=EmZk-Lwl2Uk
仮に、このブログで肯定的な意見を書き込んだ皆さんがちはるさんと同じ方法で肉を食べていったら、近いうちに日本中の動物がいなくなるんじゃないかなと思います。
人類は誕生以来、自然と闘ってきました。あらゆるものを食べ、天災に耐え、病原菌に打ち勝ち、文明を発達させて、いまの私達の暮らす便利な世の中になりました。
結果、私達はとても強い影響力をもってしまいました。ある生物を絶滅に追いやり、地球規模の気候の変化をつくり出してしまいます。
そろそろ自分たちがどのように生きていくのか、どんな社会を作っていくのか考えなおさなければいけない時期が来ています。
ここでは答えは出ないと思います。
ちはるさんは「嫌なら読まなければいい」と言っているようですが、むしろみんなで読んで、みんなで考えるべきだと私は感じます。
そうでなければ彼女の活動の意味が無いように思います。
マグロの解体ショーはあっても牛や豚の解体ショーはないですよね
世の中に植えつけられてる価値観ってそんな感じです
やってる事は同じなのに・・・
なんにも見えなくなっちゃうよ~
賛否の差は想像力の差なのでしょう。
「かわいいペット」=「人間に都合の良い動物」
いろんな種類に改造され続けた犬達を見ても、それが虐待では?
とも想像できず、
ただ「かわいい」としか思えない人が、この方のブログに
不快感を持つのは仕方ないことなのでしょう。
ただ思うに、死んだ動物と一緒にお顔を撮影されなければこんなに
騒がれることはないと思います。
表情があるとそこにストーリーが生まれてしまうのでしょう。
スーパーに並んでいる肉を見ても何も思わないけど、こういったブログで公開されているのは気分を害する人間が多いので公開する必要はないと思うのですが。
「公開する/しない」よりむしろ、「読む/読まない」の問題じゃないかと思います。著しい反社会性を帯びているものでもない限り、表現するのは個人の自由ではないですか。堅いこと言うようですけど他者の言論を封殺するような言動には注意すべきです。
「気分を害する人が多い」について。読者のうちどれくらいの人が気分を害したら「多い」なのでしょう。最近の社会は、ごく少数であってもクレームが入ったら自粛する、そんな感じになってしまっているようで心配です。こういう場ではどうしても、肯定的にしても否定的にしてもコメントに現れる部分が目立ちますが、実はコメントしない人が多数派だったりしますよね。おそらく今回もそうなんじゃないかと思います。
ネットって自分の意思でみるものでしょ?
あなたは誰かに強制されてここにいるの?
ネットはパブリックに公開された食館だよ。
自分の意思でみたくなくてもネットサーフィンしてたら飛び込んでくるんだよ。
現実だってそうだろうが。
目をつぶって生きてろっていうのか。糞が。
私、ゴキブリが大好きで家で何匹も飼ってるんです。
だから一部の人が平気でゴキちゃんをと殺するのが許せません。あんなにかわいいゴキちゃんがあなたに何をしたって言うんですか? 部屋の隅でしおらしく黒光りしてるだけじゃないですか! いったい命をなんだと思ってるんですか? ゴキちゃんは頭と腹部に2つも脳がある、理性的な昆虫綱ですよ。ゴキちゃんを殺さなくたって人間は生きていけるはずです!
ただ女子っぽさをアピールしたいっていう理由だけのためにワーだのキャーだの騒いだうえに、生きたまま残虐極まりない毒薬を浴びせられるなんて! 氷殺ジェットですか? ゴキジェットですか? それともゴキジェットプロですか! フマキラーダブルジェットってなんですか! シングルでは気が済まないんですか! 自分の女子力アップの為に罪の無い動物の命を落とすことは間違っています!
こんなことだから日本は後進国だっていわれるんだと思います。
先進国のヨーロッパのように動物愛護の精神を見習って欲しいです。このナチュラルオーガニックの時代、先進国のヨーロッパではゴキちゃんをと殺するセレブなんて人っ子ひとり居ません。ゴキちゃんをと殺する人ははっきり言って時代遅れです! フマキラーさんはもっとゴキちゃんが喜ぶような、例えば生ゴミの匂いがするスプレーとかを開発するべきじゃないですか? 先進国のヨーロッパではそんなの常識ですよ。
でも一番腹が立つことは、こちらのブログが盛り上がっていることです。同じ女性として、私の身体中をめぐる10万キロに及ぶ血管がはち切れんばかりに悔しいです。私のブログ「女子的焼肉屋探訪 〜最高の生レバ刺しを求めて〜」はこんなに盛り上がっていませんし、誰も注目してくれません。生レバ刺しがいったい何をしたって言うんですか? 食品衛生法は間違っています!
とにかく私はゴキちゃんが苦しまないようにスリッパで瞬殺して(動体視力と手首のスナップがポイントです)、命の尊さに感謝しながらおいしくいただいています。
ロンドン在住です。イギリスでは日本以上に肉食文化。精肉屋さんもまだまだ沢山ありますし、スーパーでもお肉は簡単に手に入ります。
私はこの世の中に自分たちが何のお陰で生きているのか知らずにいる人が多すぎると思っています。「いただきます」と言って感謝できる人が少なすぎると思います。
私は消費者ですが、消費者には消費者の義務があると信じ、鳥は一羽を買って、週末にロースト、次の日に余ったお肉でサンドイッチ、翌日には骨でスープを作ります。これは命を頂いた最低限の果たせる義務だと思っています。
イギリスでは子供にフィッシュフィンガー(チキンナゲットの魚バージョン)を見せても原型の魚とリンクできないんですよ。名前に「フィッシュ」と入っているのに。
色々な人の意見にも真っすぐ立ち向かえる、ちはるさんのような人がもっと増えればきっと世界の食も変わるんでしょうね。これこそが真の食育だと思います。
もう銃砲所持許可は取得済みですか?
わな猟であっても、止め刺しの段階で必要になると思います。
棒で殴って失神させ、ナイフで…という手段もありますが、捕獲した動物に無用の苦痛を与えないためには、銃がベストです。
銃砲所持許可を持っている他人に撃ってもらう、というやり方もありますが、これは他力本願なので避けたいところです。
ただ心配なのは、あなたは本名で、居住地も明らかにしたブログ上で「炎上」という事態に遭遇しています。コメントの中には、明らかにあなたに害意を表明しているものもあります。
銃砲所持許可の取得においては、所轄の警察署生活安全課による身辺調査が行われますので、その際に、このブログにおける「揉め事」が所持を許可するか否かの判断に影響を与える懸念があります。
警察としては、何らかのトラブルに巻き込まれる可能性のある人には、所持許可を出したくないでしょう。
想像されることとしては、あなたに害意を持つ匿名の第三者が、あなたの居住地の所轄警察署にこのブログおよび騒動の件を、悪意たっぷりに伝える、といったケースが挙げられます。
警察がどこまで身辺調査をするかは、署ごとに違いがあるので一概には言えませんが、もし銃砲所持を考えているのであれば、そのことはブログには書かない方が良いと思います。
既に所持許可を得ているのであれば、上記の内容な杞憂となります。
野生の命を奪って食べる人、スーパーで買い物する人、自給自足のベジタリアン、生き方はいろいろあれど、誰だってほかの何者かの命の上に生かされているんじゃないですかね。
程度の問題。
線引きの問題。
命を奪う現場に立ち会っているか、いないのか。
各々を誰かが批難するってのは何も生み出さない。それぞれの生き方を肯定して認め合えばいいじゃない。
ついでにもう一つ皆さんに問いたい。
「レジャーとしての狩猟について。」
楽しみの為に他の生き物を殺してはいけない理由がありますか?
楽しみの為なら他の生き物を殺してもいい理由がありますか?
僕は魚を釣ります。殆どは持ち帰って食べます。
が、そこには単純に獲物を捕る喜びが存在しています。
生きる為ではありません。
では魚が兎に変わったらどう思うか?
魚が山菜に変わったらどう思うか?
個人的な興味です。答えていただけたら嬉しいです。
ベジダリアン、医師、自衛隊、猟師、、、多くのコメントによりそれぞれがそれぞれの考えをめぐらしてますね。
それぞれがそれぞれのコメントに対して自己判断をして考えを深める。これこそ、今の時代でこそ出来る事、意味のあることだと思います。
コメントを見ても、単純に正か非かの判断は、私は今の段階で出来ませんが、一連の炎上を放置しておくこと自体、意味のあることだと思います。
ちはるさん自体も、みなさんの意見を否定せず、受入れ勉強しているはず。すごいです。様々な意見を受け入れ、素晴らしい今後がありますよう、応援しております。
わざとらしいグロ画像とか狙いすぎてて気分悪い。どーせスーパーで肉買ってる人たちは〜とか言う人何様?スーパーで肉かってほしくなかったら、精肉業者批判すれば。売ってるから買うんでしょ。売られてなかったら買わないって。
自分でしとめたお肉の方が価値あるとか、偉いとか。あなたたはスーパーで楽してお肉かってる〜みたいな上から目線やめて。これが現代の庶民の暮らしなんだよ!これも生の一部なの!現代社会で必死に生きてる庶民批判すんな。
感情論ばかりだし、精肉業者をピンポイント批判とする辺りも、あなたのスタンスがより不明ですね。
”ちはるさんのブログ”でご自身の活動の流れで貼られている真実の映像は、狙うも何も逆に正直過ぎるではないでしょうか? 正直すぎて知らない人が見慣れていないものを見ればビックリはしますし私もコメントはした。が、それだけの事。
自給自足を追求する流れで狩猟をして無駄なく消費するならば価値は有るのでは?
そして、我々庶民の暮らしとやらは経済活動でしょう。
経済活動で食肉の需要と供給がある裏では、競争原理の結果、過剰供給で無駄も生じますし、工業的生産方式では家畜が過密に飼われている故に問題を孕んでいます。
過去あなたが何か発言をされたのか、批判されたのか分かりませんが、
そういう背景とか正面から受けて理解していれば、上から目線だとか、必死で生きている庶民とか、そんな論点にはならないと思います。
私も庶民ですし、そんな経済活動の中で働いてスーパーでお肉を買いますが、それに言及して批判をされているとは思っていません。
逆に命の大切さを学んだ。
人間、こっからはいけないと思ってる部分があるが、
自分が牛をさばいてない事を良い事に食する。
だけど殺す事に対しては批判する。
牛もウサギも同じこと。
人間の矛盾ですね。頑張ってください応援してます!
ぬくぬく温室育ちの人々にはわからないことなのでしょう。
山の生き物、よく食べますよ(・∀・)ノ♡
都会では何でも売ってると思うけど、田舎には売ってないよ。
生き物を狩って食べる、野菜を採って食べる、生命活動だよね?
獲物獲れたら嬉しいよ!写真撮ったりしたくなるよ。
文句を言う人々、肉類食べなくていいですよ(笑)
評論家気取りの人々、わざわざ醜態晒して滑稽です(´∇`)
初めまして。
北海道で趣味でハンティングと、行政に頼まれて駆除を行っている、
37歳男です。
現在の日本では、
「自分で生き物を食べるために殺す事は珍しいこと」
になりました。
しかしながら、
「人間は食べなければ生きていけないのは昔から、この先も不変なもの」
です。
この事実を忘れてはならないということは、とても重要であると考えます。
さて、前置きが長くなりましたが、
「人間が生きていくため、食べるためには必ず命のやり取りがある事は忘れてはならないが、
食べ物を買うことができる世の中では、余裕があるので、感情を優先させて、食べるものを選べる。」
というのが実情です。(それがこれだけ批判につながる)
だから私は、
「食べ物を獲る行為に対して批判がある(できる)世の中が、とても幸せであることを忘れてはならない」
と常日頃から思っています。
批判の内容もさらっと読ませてもらいましたが、日頃からの考えがあったうえでの批判コメントを書いている人より、このブログを見て、自分の感情をそのままぶつけていく人が多いようにも感じます。
この先、ちはるさんが考えている事がうまく伝わることと、
このブログを読まれている人(もちろん私も含め)が、深く考えるきっかけとなり、
批判も賛同も、両方が良い意味で盛り上がっていけばいいなと思います。
長文失礼いたしました。
これからもたまに拝読させていただきます。
炎上結構!
話しても理解できない連中はスルーするしかありません。
The Women in Nature-shoot&eat-
http://thewomeninnature.wordpress.com/
在北海道女性ハンターのNPO=愛称がTWINが札幌で開催したセミナーに参加してみました。
ちはるさんのブログでグダグダ言っている似非動物愛護派の連中にこそもはや絶滅危惧種となった「ハンター(猟師)」の現状をきちんと知って欲しいです。(メンタルが低すぎてムリだろうなぁ)
猪鹿庁 http://www.musublog.jp/blog/metamori/?entry_id=18284
の活動のこともこのセミナーで知りました。
『ぼくは猟師になった』の著者 千松信也さんのことも紹介されています。
北海道に住んでいるなら、エゾシカのこと(食害など)をちゃんと学習した方がいいですよ。
(内地のニホンジカの食害も相当ひどいらしいですね)
http://www.env.go.jp/council/12nature/y124-02/mat01.pdf
エゾシカの生息数は60万頭を超えていると推定され、適正な生息数の数倍に増加しているのが現状です。北海道もハンターの現象で計画的「駆除」が達成できず、自衛隊のヘリを浸かったハンティングを試みたりしていますが、功を奏しません。(それより自衛隊による駆除作戦は「殺す」事を目的としているので、ヘリで群れを追いかけて殺し、放置します。やはり野生動物でも、きちんと仕留めて解体し、食べる、毛皮や角などを利用して初めて命を全うして揚げることになるのではないかと思います。)
エゾシカ、美味しいから戴く…….というと周囲の大半の人は、「可哀想」「気持ち悪くて食べられない」という反応です。肉食のために飼育された鶏豚牛なら何の抵抗もなく美味しく食べているのに…..まぁ世の中には「屠殺」という行為も非人道的だから肉食はすべきではないという視野狭窄なヒトもいますけどね………蝦夷鹿が解禁になりましたね。近所にオヤジがハンターで釣り師の居酒屋があるので、また近々鹿を食いに訪れてみようと思います。
なんか、すごいですね。このブログに対してのコメントが大体誰かとぶつかり合って凄い爆発がおこってますね。
もう少しみんなが、僕も含め、反発じゃなく同じ渦の中で話せるときもちいいですよね。
いただきます。ごちそうさま。
それでええねん。
そんな感謝の言葉すら、
言えない人たちの方が多いと思うんやけど。
世の中のジャンクフードの為にどれだけの
無駄な命が裁かれてる?
自分らの都合のためだけに、どれだけのペットが
保健所とかで毒殺されてると思てる?
それよりも
ちはるさんの方が、命に対して真剣に
向き合ってると私は思うわ。
おっちゃんは、うらやましい。
おっちゃんも、子供のころ、
田舎に帰るとねぇ、おじいちゃんが
鶏を絞めてくれてねぇ。
その時、色々とおそわったなぁ
ほんま。
うらやましいと感じます。
まぁ~
今の人たちは、あんまり
食べることと、命がつながってないからなぁ
しかたがないのかなぁ
でも、自然と共に生きるっとことは
命と向き合うことやし、普通と思うんだけどねぇ
僕はある時から、魚とお肉が食べれなくなりました。
食べると死ぬわけじゃないんですけど、気持ち悪くなってしまいます。
お肉は自分で殺せないので食べれません。
魚も殺すときは辛くなっちゃいます。
家の前の川でゴリがいっぱいとれるので、いっぱい殺して食べてました。
でも、段々辛くなって、殺すんやったら大きい魚を一匹にして、そのひとつの命を家族で頂こうとおもいました。
でも、大きい魚、殺せませんでした。
なので、動物と魚、食べれません。
僕の代わりに、誰かに殺してもらってまで食べようとおもいません。
でも、不思議なことに、自分で育てた野菜は超美味しそうに見えて、実際超美味しいんですよね。
このブログを書いている人と同じで、どこで線引きができるかだとおもいます。
僕は野菜を食べても殺すという感覚にはならないので、美味しく地球の恵みをいただいています。
動物はどうしてもつらくなっちゃうんですよね。その子の家族とかも見えちゃうんですよね。
野菜にもその感覚がみえちゃったら、野菜を殺すっていう風になっちゃうんだろうな。辛いな。
でも、自分で殺したものはありがたくいただきます。それで家族が生きていけるから。
野菜おいしいんだよねぇ。
私も狩猟者です。
獲れた獲物に対して笑顔なのとスーパーで肉を手にし今日は肉だと喜ぶ笑顔に果たして差があるのでしょうかね?
今の世の中にとって自分で動物を肉にする行為は不必要なのかもしれませんが
温かい生肉を実体験して命を頂くことを意識するのは不必要であるとは感じませんね
ロケットストーブから拝見させて頂きました。
茨城県在中なんですが、震災を経験してから出来るだけ電気を使わないで生活できるものなど探していて、薪ストーブより手軽なロケットストーブをみて主さんのブログを見ました。
説明もわかりやすくて自分で作ってみようと思います^_^
そこからウサギのブログも拝見させて頂きました。
色んな意見があって大変ですね。
現代は沢山の食材が溢れてどんなふうに加工されて入ってくるかも消費者にはわからないから本当に難しいですよね。
今年、子供を出産して本当に食のことは不安です。
主さんのやってることは間違ってるとは思わないけど、
これだけ沢山の人が見るものだし、
一つの命だから、写真や言葉に気をつけた方がいいと思います。
やはりあの写真はまずかったと思います。
私は魚の丸焼きも美味しそうではなく、
苦しい痛いに見えて食べれないです。
でも焼き魚の写真を出されても体外の人は美味しそうです。
でも、鯨になると話は別になってくる。
本当、難しいですよね。
文もめちゃめちゃですいません。
みんな人生は一度きり。人生を楽しまなきゃですよね。
糸島市内のイベントで何度かお会いしています。あなたのインパクトがとても強くてよーく覚えていましたが、今日の新聞で炎上のこと知りました。
私はすぐにまねできないが、あなたは間違っていない。そう思います。
いつか仲間にくわわりたいです。
動物福祉って興味ないのかな…ちはるさんは。
動物福祉とは人の為に活動してくれた生き物、盲導犬や介助犬、などの福祉のことでしょうか?野生生物にも当てはまる概念なのかな?
命のありがたさを知るために、わざわざ動物を殺さなきゃいけないってのがよくわからない。殺さないとわからないものなんだろうか。それに命に線引きするのが嫌って言うんだったら、その対象が人間でもかまわなってことになる。地球からみれば人間の方が害獣に近い。どうしても農地が荒らされて仕方なく、仕留めるのではなく、純粋に生きのびるためでもなく、命の連鎖を実感するためという、ある意味自己満足のために殺すのと、本人は否定してるけど、楽しみのための動物を殺すことに快楽を感じるハンティングとどう違うんだろうと思ってしまった。どうしてもこのブログの内容は綺麗事に聞こえてしまう。
かわいい烏骨鶏のスヤちゃん締めて食べるレポートとっても楽しみにしてます!*\(^o^)/* どんな味するかな〜愛情かけて育てただけに美味しそうですね。私もたべたい!
正論な意見と炎上の区別もつきませんか?
このコメント欄の上のほうで「スーパーで肉買って貪ってる人間」などと侮辱されたので、「そうおっしゃるエラそうなあなたは一体どこで肉をお買い上げ?」とおたずねしたところ、「え、俺がスーパーで肉買ってないっていつ言いました?」と居直られました(笑)
「『俺たちみたく』スーパーで肉買って貪ってる人間、って書いとけば何の問題もなかったのに。
スーパーやコンビニは大量生産・大量消費・大量廃棄を前提としています。
そこでお肉やお魚を買うことは、そのシステムにしっかり組み込まれている、つまり命の無駄使いに荷担しちゃってるってことですよ。
個人的に毎食、肉ひとかけら残さずに食べていたとしてもね。
私もスーパーで食品を買っていますからそれを責める資格なんかないけれど、大量廃棄のシステムに荷担しつつ、「命を頂く」なんてキレイ事はとても恥ずかしくて言えません。
だいたい日常的にスーパーで買い物をしてる人間が「命を頂く」なんて百万回繰り返そうが、どれだけしおらしい気持ちで繰り返していようが、そんなお題目には現実を変える何の力もない、という点で、まったく意味がないと思います。それで何か言った気になれてるの。へえ? おめでたいねって。
始末書とか反省文みたいなもので、そんなものは「自分が何もしない」ことの言い訳でしかないでしょって。
いや、意味はあるのか。「命を頂く」って書けば、なんか自分が「いいヒト」になったような気がするし、生き物の命を奪って生きている「現実」から、なんか免責されたような気分になれるもんねって。
その意味で、「命を頂く」がスローガン(笑)のブログ主信者さんたちも、「現実を知らない」としてここで叩かれている動物愛護の人たちやベジタリアンの人たちと、同じくらい「偽善的」と言われても仕方ないと思いま〜す。
俺「命をいただく」なんて言葉使う気ないんだけど。兎が旨そうだと思っただけで。
他人に「殺した動物に敬意を持て」と言うのは綺麗事ではないのかな。
上の命の区別をすべきではないのところのレスも首を傾げる。
命の区別をしないってのは、キャベツや魚の命奪って食ってるんであれば、兎だろうが鶏だろうが猫だろうが犬だろうが食用とすることにヒステリックに騒ぎ立てるのはおかしいって主張なわけだ。
キャベツ収穫で炎上しないのは、動物愛誤の人が生命の区別をしまくってるってことの証左。
ニコニコ動画でヘビやカエルをさばいて食べている某氏の動画にはこんなにヒステリックなコメント付いてないもんなあ。
「ニコニコ動画でヘビやカエルをさばいて食べている某氏の動画」が炎上してないとすれば、考えられる理由は、単純に「爬虫類ラブな人たちがそんな動画の存在を知らない」からではないかと思います。
私が初めてここに来たとき、「どうせアンタも『うさぎ/かわいい』で検索してここクリックしたんでしょ? 間違って入ったって認めたら? バレてるしバカじゃないの?(大意)」的な暖か〜いコメントをいただきました。
「は?何言ってんのこのヒト」って思いましたけど、たしかに「うさぎ/かわいい」でここはヒットしますね。でもってうさぎ飼いの人たちが「間違って」引き寄せられた結果大炎上と。
ブログ主さまが何も考えずにこんなタイトルをつけたとしたら、お気の毒としかいいようがありませんが、もしも「狙ってやった」としたら、すごく頭のいい人だと思います。
ご存じかと思いますが炎上マーケティングという手法がありまして、一部の人たちがどれだけ不快になろうが傷つこうが、ネットではとにかくヒット数稼いだ者が勝ち、という遣り方です。原発推進派である池田信夫センセイなどはこの手法でいまや大有名人。
まあ、世の中には動物が苦しんでいると考えるだけで胸が張り裂けそうになる人たちもいるわけで、そういう人たちはこのブログを見てまずショック、そして寄せられたコメントの大多数が「ブログ主さま賞賛」であるのを目の当たりにしてさらに大ショック、という二重のダメージを受けているんだろうと思います。
「もうここには来ません」と書いた人たちの本音はそういうことではないのかなと。
「ニコニコ動画でヘビやカエルをさばいて食べている某氏の動画」が炎上してないとすれば、考えられる理由は、動物愛誤の人にとってヘビやカエルはかわいくないのでどうでもいいというのもありそうですねえ。
道理を説いている人間にダブスタな感情論だけで喚いても理性ある人間は納得しないわけですよ。
逆に道理にヒステリー的な感情論を宥める力はありませんが。
ウサギはかわいいし、食べるために殺す動物に哀れみを感じたりするのは、このブログを肯定的に見る人も同意するいる人もいるだろうし、無益な殺生をするなって話ならまずほぼみんな同意するんではないか。
でもこのブログでのウサギ狩りは肉や毛皮を取るために行っているわけなのでどう見ても無益な殺生ではない。
「理性ある人間」を自認されるあなたのご発言のところどころに
「動物愛 誤 の人」
「ダブスタな感情論だけで 喚い ても」
「ヒ ス テ リー的な感情論」
など特定の誰かを貶める表現がバランスよく配置されているのを拝見して、あなたのなかふつふつとたぎる「感情」をこちらも感知いたしました。
お気の毒に、過去、動物愛護の人たちによっぽどひどいことを言われたのでしょうか?
だったら、その時にきちんと言い返せばよかったのに。
いつまでもいつまでも根に持って、関係ないところでこうして恨み節なんて、私にはとてもできません。みっともないもの。
感情をバカにする人にかぎって感情との付き合い方がヘタだって言いますけど、かなり無理してません?
温かいお風呂に浸かったり、美味しいもの召し上がったりすると良いですよ。
魚なら良くてウサギはダメってダブスタじゃねえの?
「命をいただく」ってのが偽善だとのたまうくせに人に殺した動物に敬意を持てとかいうような話の整合性すら取らない人間に言ってもわかんねえだろうけど。
感情をバカにはしないよ。感情論しかないやつをバカにしてんのよ。
押し付けなければいいと思う
正解はないんだったら
スーパーの肉をたべる人とかと比較しなくていんじゃないかと思う
うまく言えないけど、あんたに言われたくないとか思っちゃうんだと思う
命の大切さは感じるし、
直接てきすぎてこっちも感情的になっちゃうのかな?
命の大切さを確認するために毎回悲しい光景を見なきゃいけないの?
逃げって言うけど傷つきたい人じゃないんです、少なくとも私は
あなたの言うことも事実ではあるんだけど、
認識していなきゃいけないことだけど、
私はあなたのやり方が苦手、嫌い。
色んな人が見るということに対し、もう少し配慮を持ってやってください
もうわたしはここに近付きません
みんなが命ってなにって事に色々意見を述べてるって
第三者から観たら素晴らしいって思います!
命について考えている人たちが
こんなにも沢山いるんだから。
自殺する人も少なくなって欲しいです。
関係ない話でした。
ウサギも人も一つの命
奪うも奪われるも誰にも分からないし
意味なんてない。
生きてる。
しんでる。
それだけの事。
ウサギを飼ってる人は残酷じゃないの?
なんて色々考えてしまいますね。
みんな考えてる事は一緒だから
それこそが良い悪いの
基準値だと思います。
私も必要に迫られ鶏、蛇、カエル等々さばいて食しましたが
自ら命を扱うことによって初めて生命のありがたみ等々思うと
ころに到りました。
世の中、自己の経験を軽視する2チャンネル的脳化社会だなぁ。
と常々感じます。
間違っちゃいませんから応援してます(^-^)
初めまして
友達がFacebookに載せてた所からとんできました。
俺も最近、スーパーに並んでる食べ物
農薬の野菜やこれから入ってくる遺伝子組み換えの野菜
後は、大量に並ぶ”肉”に違和感を感じて
野菜は自家栽培、買うなら有機野菜
肉は食べなくなりました
ちはるさんのBlogを読ましてもらいました
感動しました、それと本当に尊敬します
命をよく理解して感謝を大事にしてる
本当に素晴らしいと思います
賛否あるコメントも読みました
平気な顔で食べ物を捨てる人
お金を出させば食べ物を食べられる
頂きますがただの言葉になってたり
スーパーで買った肉が食卓に並ぶ
それがほとんど当たり前な日本には
理解されにくいかと思います
当たり前を当たり前な事と思ってる人達
当たり前は当たり前な事じゃないのに
みんなに理解されるのは難しいかも
しれませんが
俺は楽しみにしてます^^
また改めて気付き直せました
有難うございます。
初めまして。ここ数年来猟師になることを
考えているヒロと申します。
(年齢的に間に合うか分かりませんが)
現在の猟師の多くは、害獣駆除で生計を立てていると
聞いた事があります。そしてその駆除された動物達を
人間が食べるためのシステムが整っていないので
なかなか市場に出回らない、とも聞きました。
そう言う状態であると知って、猟師になる事に二の足を踏んでしまい
なかなか困っています。実際の現場はどの様な感じで回っているのか
いまとても興味があります。
歴史的背景(肉屋=差別階級)が根強くあるんで他の話題はスルーできてもこの話題は無視できないって人結構いるよ。それだけは理解してあげて。俺も呪われた血の子孫(厨二じゃないよw)なんで
差別されたことあるし小さい頃イジメられた。食肉センター(とさつ場)の職員は皆その末裔だと固く信じてる人がたくさんいるんで
身構えちゃうんよ。しかも過剰に。スイッチはいると何気ない話題でも攻撃されてると錯覚しちゃうんで。生類憐れみ?だっけ自分達は手を汚さずってのはもう数百年以上続いてるんで今更何いっても覆すのは・・・ですが(汗
ちはるさんは、頑固じじいっぽいというか、動物に対して残虐で、非人道的な中国人みたいな考えしか出来ない女性ですね。同じ世代のコとは思えない。
ちはるさんこんにちは。FBのリンクから辿ってきました。
私も意見させてください。
私は猟師という存在、またはその過程で動物を殺すという行為は否定しません。
動物の殺生は恐らく食用の動物を扱う業者や猟師でなければ経験することはないと思います。
だからこそ、それを忌み嫌う人もいれば理解してくれる人もいます。
人間はよほどのベジタリアンでなければ動物の肉を食べたりして生活していることでしょう。
人間が生きるために動物を食べたり利用したりすることは現代社会においてごく自然で一般的なことだとも考えます。
この地球は生命が誕生してから絶えることのない食物連鎖によって成り立っているのでしょうから。
ただ、猟師といっても「殺す」ことを好む志向が絡むことも事実だということです。
他の命を絶つ・殺すという行為自体が嫌いな人に、「自分が生きる為だから」と言ってもかたくなに拒むことでしょう。
加工された生き物の肉がスーパーで手軽に買える世の中だからこそ、命を絶つことに興味や必要性を感じていなければ一般の人は殺生の第一人者にはなり得ないのですから。
>食べものが食卓にやってくる過程が見えなすぎるから、その先が想像できなくて、食事に感謝できなかったり、食糧を無駄にしたりすることが普通になっていて。だからこそ、包み隠さず伝えたいという気持ちが強いのかもしれません。オブラートに包むような表現をするのも、あんまりしたくありません。だってこれが事実だから。 生きることは、もっと生々しいことだと思っています。
買ったものを食べている人の中にも、食事に感謝出来ている人もいるし感謝する意図すらも知らない人がいる
生々しいのが見たい人もいれば、それを見たくない人もいる。
死というブラックな題材を扱う以上、肯定もあれば否定もある。そういうことだと思います。
山賊ダイアリーという漫画で興味をもち
狩猟で検索していてこちらにたどりつきました。
ちはるさんの考えに賛同します。
ですが正直、過去の記事にあるウリ坊を持った笑顔の写真にゾッとしました。
ちはるさんの言うとおり、魚を釣り上げた人の笑顔には何も思わないのに。
人間に近い哺乳類と、魚で無意識に線引きしてるのか
魚は家庭で焼き魚として、そのままの姿で食卓に出ているから耐性がついているのか
私は、可愛いうさぎでも、知能のあるイルカでも
食べるために殺すのは悪いことではない
食べたいから殺して食べる。そういうシンプルさで良いと思っているのですが
実際に動物に手をくだしたことはないので、やはり抵抗が大きいみたいです。
いろいろと考えさせられました。
叩いてる人って、ネットの煽りに乗せられて、あたかも批判するのが正当でマジョリティだと思ってる精神的に子供な方が多いのだと思います。
狩猟がなくなれば、普段私達が口にしているお肉もお魚も食卓には並びません。
いちいち愛着を湧かせていては、牧場もやってはいけません。
短絡で何も考えない人たちが、キレイ事しか見たくない人たちがここに来て批判をして満足して帰っていきます。
どうか、批判には負けないでください。そして怒らないでください。批判している人は考えることが出来ない、ある意味可哀想な人なのですから。
>批判している人は考えることが出来ない、ある意味可哀想な人なのですから。
このようにひとくくりになさる方が多いですね。
ちはるさんが善で、それに批判的な感情を持った人が悪で、議論の必要もなく、嫌な人は見ないで、と言うことなら
コメント欄は閉じられた方がよいのではと思います。
こうしてオープンにされたコメント欄がある以上、否定意見・肯定意見どちらも尊重しあうべきではないですか?
自分がよいと思うこと・信ずることが否定されたら(あるいはそう感じたら)、その否定してきた人のことを顔を真っ赤にして批判してくる。
その対象がちはるさんに対してなのか、ちはるさんに否定的意見を持った人に対してなのかの違いで、ここに過激にあおるような表現で書き込まれる方は肯定派・否定派ともに本質的に同じではありませんか?
このブログが提起する問題は食や、その他生きていくということ全般にあてはまる複雑なものだと私は思います。考える機会をいただけてちはるさんには感謝しています。
この開かれたコメント欄に書き込まれる皆さんもどうか落ち着いてください。
建設的な場にしないともったいないと思います。
私にはちはるさんのような度胸がないので、同じような覚悟を持って動物を殺して食べることはとても無理ですが、ちはるさんの考え方や実践には敬意と羨望を感じます。
昔は皆、自宅で飼っていた鶏を家で絞めて解体して食べてたんですよね。家庭によっては子供達がその担い手であったと聞きます。そういう環境育った子供が命を粗末にする人間になるとは思えません。むしろ、食べ物を大切にし、自分達の食べ物になってくれた動物に感謝するようになるのではないかと思います。というか、親がその環境を生かしてそのように教育していたのではないでしょうか。
自分で鶏を絞める経験をすることが叶わない現代の都会人としては、ちはるさんの実践を我が子らに対する教材として、有難く使わせて頂きます。
狩猟免許取得のために色々調べている時に、こちらのブログを発見致しました。
隅々まで拝見して、凄く真摯で真面目な性格の方なんだろうなと思い、
尊敬しています。
ですが、一連の炎上については否定派の方々の気持ちがとても理解出来ます。
それは貴方の考えがどうであれ、見せ方が一部読者の癪に障る稚拙なものだからだと思います。
例えばうさぎのピアスを撮った写真が有りますが、こんなに貴方自身をフォトジェニックに撮ってしまうと「趣味で毛皮をはいだのか」と一部の読者に捉えられても仕方有りません。
サイトのポップなフォントや配色、うさぎ猟の際に着ているちはるさんの可愛いカラフルな服、これら全ての要素が合わさって遊びと捉えられ、炎上になったのかと思います。
※勿論生き物を殺すな、殺す所を見せるなという意見は馬鹿げておりますが、
屠殺や狩猟行為について扱った書籍やブログは多々あるにも関わらず
炎上せず高い評価を受けているものは沢山有りますから、
それらから人々に受け入れられる書き方や表現方法を学んでいかれるのが良いと思います。
勿論このブログは貴方のものですから、嫌なら見るなで良いと思います。
ですが、多くの人に屠殺や狩猟について理解してもらいたいのであれば、見せ方にもっと工夫出来る点があると思います。
狩猟の先輩に対し、終始上から目線で申し訳ございませんでした。
TEDのプレゼンも見ましたが、とても興味のある取り組みです。
周囲にも関心のある方が多く、フェイスブックでの書き込みにも反応が多くてびっくりしてます。大分ですが、ぜひワークショップをやっていただきたいと感じます。
ところでこの映画はご存知でしたか?
同じタイミングでこの情報も回ってきたので、面白いなと思ってます^^
http://www.seinikuten-eiga.com/%E4%BA%88%E5%91%8A%E7%B7%A8/
動物が大好きなので、大泣きしながら読みました。
弱肉強食ですね。
生きる為とは承知ですが、必要ない苦しみは避けてほしい。
人間が全て決められるのだから、苦しみを与えてまで美味しく食べようなんて考え、辛すぎます。
せめて苦しまずに逝かせてあげたい。
そして命を無駄にしないことを重要視しすぎて、ピアスにまで身体を使われるなんて、人間の欲とは怖いものです。
土に埋めて供養してあげてください。
殺処分で多くの動物の命が無駄に奪われる中、猟をしてまで自分達が生きる為に動物の命を奪う。
動物にとって、やりきれない世の中ですね。
影響力があっていいブログだと思います。
批判があるのはそれだけ影響力があるということ。
おっしゃる通り、魚だってウサギだっておんなじ命。
我々人間が日々、スーパーで並んでいる肉や魚を食べていたり、
沢山の革製品や毛皮を身につけることだって
多くの動物の犠牲が払われている事実を私たちは忘れがちです。
ちはるさんはそんな人々が目を背けがちな一面と
立派に向かい合っている方だと感じました。
おこがましいですが誇りを持って良いと思います^^
わがるその気持ち!!
実際牛を飼ってる人は、いいとこで売る訳でしょ!?
俺的に涙もでるし可哀想と思うが、それで生活してる人もいる
その人達に失礼だし、ましてその人たちはもっと辛いと思う。
魚もそう!熊だって、鹿だって何だって。
そう思えば人が一番怖い。
ブログ拝見しました。
炎上すると言うのは、それなりの理由があるからですよね。
いい面もあり、悪い面もあるかと思います。
しかし、問題提議ができたからよかった、とばかりはいかないこともあるでしょう。
私自身は、魚はもちろん、カエルや蛇くらいまでは自分でしめて食べたことがあります。
生きること、食べることのご意見もまったくもって同感です。
しかし、一つだけやめて頂きたいなと思うことがあります。
どなたか言われておりましたが、写真は加工するか、それともできれば文面だけで済ませることができればなと。
ひどい批判の意見もたくさんありますが、その方たちにとっては当然の反応かと。
真実だからみんなに知ってもらいたい、それは正しい。
しかし、ネットと言うものが誰でも見られてしまう、と言うことをお忘れでないでしょうか。
現に「うさぎ、かわいい」などで検索してこちらに行きついた方もおられる様です。
動物が好き、うさぎが好きと言う方が見たら、どうなるかは分かりますよね。
「見たくなければ見ないで」
と言われても、うさぎが好きな人が誤ってこちらをのぞいた時に、分かっていながらも
「え!?どんなことをされてるのだろうか・・・・」
と気になって見てしまうのではないでしょうか。
私自身も東京に住みながらも、マタギにあこがれる部分もあり、よく関連図書を読むくらいです。
しかし、私の小学生の娘に、こちらにある画像を見て欲しいとは思いません。
しかし、ネットに流れた以上、今どきの小学生でも見てしまう可能性もある訳です。
ある程度の年齢がきて、ある程度の精神的な耐久力がついてからでないと、見せるのを控えた方がいいものもあるはずです。
私も中学の頃に、夏目漱石の「こころ」を読んでしばらく呆然自失になった記憶があります。
年齢的なものだけでなく、個々人の個性や経験などではこちらに掲載されている画像に耐えることのできない方も大勢おられるでしょう。
生き物が殺される過程の画像は、猥褻な画像が規制されるのと似たようなレベルにあるべきと私は考えます。
食は殺すこと。
それはみんな分かっているはずです。
しかし、その詳細を生々しい画像付きで見せてしまう環境に情報を開示しておくのは慎まれるべきかと思うのです。
そういったことを嫌う方たちが、あまりにも残酷な画像を見た心の叫びが、あの様なひどい言葉になってしまったのかと思います。
あの様な画像が残酷でないと理解できるのは、その背景をよく知り、また自分からそれを理解しようと言う精神の方向性を持った方たちだけなのは仕方ないことです。
ブログ内容にどれほど思いがこめられいたとしても、あの画像を見たそういう方たちには、あの画像のことしか考えられないのは至極当然であります。
どの様に優れた意見であっても、ネットで公開すると言うこととなると、自分が公開したいから公開すると言うだけではいけないと思います。
今回の様なケースですと、図らずして不特定多数の人の心を傷付けてしまうことになっていることは現実の様です。
繰り返しますが、ブログの趣旨には同感できますし、私も似たような方向性でありますが、ネットでの公開におけるご自身の責任についてお考え頂ければと思います。
東京人さんのお考えもわかります。
確かに子供達の目に触れる可能性は否定できないですよね…
でもそれを言い出したらこの世の中キリが無い訳で…
それこそ膨大に無限大にそういった画像や情報って出てきますよね。
それを一個人のちはるさんだけにどうこうしろってのも何だか違う気がします。
>食は殺すこと。
それはみんな分かっているはずです。
そうおっしゃいますが、頭で分かっているだけで
本当に沢山の動物たちの命から人間は成り立っている、という実感が多くの人に無いからこそ
ショックが大きく批判を呼ぶのだと思います。
批判するのは簡単ですが、ブログを通して少しでもそういった実感ができるなんて
革新的だと思いませんか?
個人的にはつまんない子育てブログとかガキのブログよりよっぽど意義があると思います。
普通の日常じゃなかなか観られない世界観を観られるすごくいいブログだと思ったのに
むやみに画像を処理されてしまうとそれはそれでブログを楽しみにしてる自分にとったら
何だか残念に感じます。
ここはグロい画像が見たい人の集いですか?失礼しましたw
エロ画像を無修正で垂れ流しといて嫌なら見るな・・・ですね?
わかりました。
私こんなすばらしいことに気づきましただからエロいのよー
わからん人は見なくていいよ?めんどーだからスルーしてよ?
で、なんか知らんが炎上しやがった・・・だと?
命大切ってことを大安売りしすぎバナナのタタキ売りやんw
本当に大事に思ってるのか疑問に思いました。
大事言ってればチヤホヤしてくれる程度の薄い考えなんだローなってことが理解できました。動画見たけど隠しきれてなかったよ。
もう少しがんばりましょう
こんにちは。初めまして。
大人な対応ですね。
色々な考え方をする人がいるから色々な物言いが出てくることは仕方ないことですね。なぜ炎上という事態に至ったかは、多くの人の胸の奥に何らかの響きがあったということだと思います。本質的に重要なことが裏側にあると感じたから色々考えて物言いたくなったんでしょう。
しかし考える過程で自分を含め多くの人が知らないことが多すぎるのだと思います。
>それにしても、隠されすぎてると思うんです。あんまりにも。
まさにその通りだと思います。知らないから(ペットとしてとか、殺生はよくないことだとか)目に見えている範囲でしか考えられないし、想像もできない。
先日フォアグラの作り方が話題になりましたが、普段目にするのは「おいしい完成品」。そういう人にとってフォアグラの価値基準は価格とおいしいかどうかだけでしょう。
針金のゴミが鳥の巣の材料になって、絡まった雛が死んだり、ビニール袋のゴミが海にまで飛ばされて、クラゲと間違えて誤飲したウミガメの胃の中がビニール袋で埋まっていた。
私自身は子供の頃テレビでこんな現場の映像を見て以来、ゴミのポイ捨ては決してしなくなりました。当時そのテレビを見ていなければ今でもポイ捨てしているかもしれません。
たまに工業地帯を通ると大量の煙があちこちの煙突から大気中へ放出されている光景を見ます。普段お店で出来上がった製品を手に取る時、こうしてパソコンに向かっているとき、そうした光景を知らなければ、今こうしている行為、目の前の現実の裏側に思い至ることはないでしょう。環境問題がなくならないのはその問題が起きている現場を見ていないからだと思います。自分の身の回りの環境が用意されるまでの過程と、自分の行動の結果がすっぽりと抜け落ちているんです。過程も結果も知らなければ改善のしようがないというより、改善の必要すら気づかないのは当然です。
もっと多くの人が自分の生活がどのように成り立っているか。その裏側が見える社会にならなければならないと思います。
残酷だから見せない方がいいというのは無責任です。その結果、無意識のうちにより残酷な行動につながるというのに。せめて自分の残酷さを知り懺悔するだけでもいい。何も知らないで自分はまともな人間だと語る方が罪ではないかと私は思います。
あなたがこれまで生きてきた中でいくつの命を奪ってきましたか?この質問に答えられる人はすごい人だと思います。おそらく1つ2つとか0とか言ってしまう人が大勢いるのが今の世の中でしょう。魚がスーパーで売っている開きの状態で泳いでいると思っている子供がいるくらいですから・・・。毛皮をお店で買っている人はどのようにその毛皮が目の前にあるのか知らないのでしょうから。
私は、小学生の道徳で、このブログの内容が授業の題材になってもいいと思います。(ただし画像は見たくない子、気分が悪くなった子には強制はしない)私はまだ子供がいないので、自分の子供ができたらやっぱり逆のことを思ってるかもしれませんね。
子供は正しく受け取る力があると思います。が、それを伝える側の大人が、なんかタブーな感じや、気まずい感じを放っていると、やっぱり子供もそのように受け取ったり、正しく受け取れなかったりする可能性もあるので、まずは大人の私たちが目をそらさず考えられるようになることだと思います。
社会全体の雰囲気として、食の背景に大切に育ててくれた方、代わりに殺して私たちに提供してくれた方たちの存在をきちんと感じられ、当然のことでいう間でもないという風潮になれば、この方のブログは無駄に生々しいブログになるかもしれません。
しかし実際は、知る知らないは自由ですが、知れる場があまりにも少ないため、このブログは私にとってとても貴重です。
ちはるさんにはほぼ賛同ですし応援してます。ひとつだけ、、直した方がアンチさんにも優しいのではと思うのは、ブログタイトルの下あたりに、注意書きをしておけば見たくなかったのに!!見せつけないでよ!!と、感情的になって(傷ついて)しまう人が減るのではないかなーと、、
個人の方に厚かましいですが、ちはるさんのブログで、命について考える機会が少ない現代の人間(私も)が考えるきっかけ、綺麗事じゃない命を食べるということを、知れるといいなーと思います。
上の方が思ってる以上に、現代の若い子は綺麗なことだけ見せられ、生きることに差し迫って苦労することも少なく、頭でしか分かっていないことは本当に多いと思います(私がそうです)
時代は変わるので、必ずしも若さゆえに知らないことが問題ではありませんが、現在、自分の代わりに動物を手にかけて下さる方がいる以上、知った方がいいことなのではないかなーと思います。
また見に来ますm(__)m
拝見させていただきました。確かに、狩猟に対する批判が多々ありますね、もっと理解を深めてほしいと思います。今、私の手元にも兎の毛皮があります。作った理由は、畑や作物を荒らす立場だったのが、今度は人の役に立ち、感謝されるようにと。命を軽んじてると言われても、焼肉を美味しい、美味しいと喜んで食べるのも軽んじてると解釈しています。実際、ウリボーだ♪バンビだ♪と喜び、大きくなったら、街に来てゴミを荒らす。保安林を枯らす。そう言った理由で駆除される鳥獣の頭が吹き飛ばされる前に、一般が最後まで見守れてないのが揺るぎない事実。悪い事だと分かっていても、ゴミを荒らして、保安林を枯らしてまでしないと自分の子供を養っていけないのが今の現状。それを迷惑だと駆除する。立場逆転とまでは言いませんが、そう言った事を考えながら引き金を引く側の事も少しは理解してほしいですね。
食べる狩猟に付いては、生きるために正々堂々と勝負し、逃げられたら、最後まで逃げ切って生き延びろと見送り、勝負に勝てば、山の神様に手を合わせ、命を有りがたくいただく。
はっきり言って狩猟は筋の通ったやり方、食肉にされるだけの牛や豚はまだ悲惨だと言う事です。俺達は何のために生きてるんだ?と言う事になりますからね。私は、必ず獲物の最後を見届けます。そして命を有りがたくいただくのが最良の供養だと思います。
猟師ねえ。山に鉛の玉をまき散らして動物を鉛中毒にさせて、本来山に存在しない罠をそこら中に仕掛けて不必要に動物を傷つけて・・・。それに本来狐やら熊が食べるはずだった小動物を奪って生態系を破壊して、逆に兎が食うはずだった昆虫やら草が増殖してこれまた生態系が狂って・・・。
大人しく家畜を食べていれば自然は破壊されないのにね。
自己満足
猟師をされてるんですね 凄い
自分は釣りをしてますので あなたの言うことが理解できますが
無縁のひとは批判的な意見が多いでしょうね
応援してるひとも多いと思いますのでブログ続けてください
ちなみに猟師の食生活を検索してここに辿り着きました
↑
>ここはグロい画像が見たい人の集いですか?
エロ画像を無修正で垂れ流しといて嫌なら見るな・・・ですね?
動画見たけど・・・
結局、自分も興味あるんやないかーーーい^_^
あと文章が感情の羅列で読んでてかなり稚拙だと感じました。
貴方こそもう少しがんばりましょう!
猪の解体方法を調べていてこのブログを
見つけました。
自分は料理をするのも、食べるのも大好きです。
いままでは、パック詰めされたお肉をただの肉
として見ていました。が、このブログを読んで、
生きていた動物の命を奪って食べている。
ということを改めて考えました。
読みにくい文ですいません。
動物をさばく全てのプロセスにかかわることは、
その動物をおいしくいただくことだけではなく、
命をもらうこと。本当の意味の食育になると僕は
思います。
我々の年代は、当然のライフスタイルで何ら違和感を感じません。
自分も子どもの頃は家で鶏を〆たり、狩猟で父が捕った獲物を裁いたり出来た事を今でも感謝です。
釣った魚も感謝して美味しく頂いています。
現在、殆どの人は食物をお店で買う時代、無理も有りませんが、命を頂く事を感じにくくなっていますよね。
そう言った方がこういう行為をナカナカ受け入れがたいのも理解でします、しかし、発信する事で少しでも気づいてくれるでしょう。
こうやって自分で食べる物を自分で育てたり、捕ったりする生活、幸せな事と思います。
昨今、また食育として実際に鶏を〆たりする体験も行われる様になって来ましたね。
人間本来の生活、応援してます!
お怪我に注意なさって下さいね。
ちはる と同じ考え。
自分の手を汚したことがありますか あなた?
動物殺したことありますか?無いでしょ
牛や豚のとどめを刺して首切って皮はいで。
血抜きして。美味しいお肉にする。
動物を食べものにするには血抜き作業が欠かせないのです。
首切って動脈断ち切って絶命させる。
捕って殺して捌いて食べる。
美味しく頂く。
狩猟者6年目の私ですが。
こんんちわ!以前お世話になっていた会社の方の記事からきました。
ちはるさん、考える機会をいただきありがとうございます。
私は、ちはるさんの記事から生きていく上での覚悟を感じました。
自分で絞めた生き物の肉しか食べないなんて、
普通に見ないふりして生きている人はできない凄いことです。
私は恋愛カウンセリングということをさせていただいていますが、
やはり自分の意見や世界とは違うことを私が発信することで
誤解されることもあります。
勇気を持って発信しているちはるさんを尊敬します。
匿名でコメントをできるというシステムの中では
普段弱気で意見を言えない人が「正義」を振りかざして
過剰な反応をすることもあるかと思います。
負けないでください(勝ち負けではありませんが)!
応援してます。
どれだけ理論武装したところでベジタリアンには勝てないと思うけど。
僕はわがままたりあんです。お肉は食べません。卵は食べます。魚は食べます。もうただのわがままたりあんです。お肉を食べない一つの理由としては、「やり方」を知ってしまったからなんです。工場で狭いとこでお乳を無理やり絞られながら、ベルトコンベアーみたいなとこで流されて、生かされて、殺される牛さん。これでもかっていうぐらい押しこめられた鳥さんたちが機会に吸い込まれて、薬品に付け込まれ、出荷される。でも、魚の養殖だってそうですよね。中絶だってそうですよね。命の価値観なんて時代や地域によっても違いますもんね。でもやっぱり一人一人が考えることが大事ですよね。そこで自分の生き方を見つけ、そして生かされてるっていう感謝の気持ちを忘れないように生きていきたいものです。でも、最近の風潮はなかなかそんな風ではありませんね。でも、いつかこの風潮も流れも宇宙の理の中で変わっていくものかもしれませんね。長々と失礼いたしました。これからも自分を生きて頑張ってください。
命のありがたみを知る?!
それがウサギの毛のピアス?
震災後の当時の心境をお忘れのようですね。
ただの興味本位で動物を犠牲に楽しんでいるようにしか思えない。
ブログで公開する内容ではない。
今の時代、ブログの影響力を軽視した行動ですね。
考えが浅い。
わきまえて頂きたい。
猟師が海に出て綺麗な魚を釣った。
塩焼きにして食べたら美味しかった。
…だったら誰も問題にしないんだろうな~
まぁ、つまりはそれだけのことだよ。
はじめまして
イノシシについてググってみたら、ブログがあり驚きました。
僕は大阪に住む大学生です。
一ヶ月に一回は鹿肉でカレーを食べており、そこから猟に興味を持ちました!
そして、狩猟解禁日の時から、猟師の方に頼んで日曜日だけですがお手伝いさせて頂いています。
今までは、すでに猟師さんがとっていたイノシシわ鹿をさばいていたのですが、遂に自分でイノシシを殺しさばきました。
その時はなんと言うか、不謹慎かもしれないですが、いただきますと思っていました。あとあと、考えるとびびっていたんだと思います。
でも、ちゃんと食べたし、食べれない分は切り分けて売りました!
多くの方はあまり褒められた行為ではないと考えているかもしれませんが、結局は人は誰かが殺した動物を食べています。そして、魚釣りをしている方もたくさんいています。
苦手な方は苦手だからと言って、非難をするのは間違っていると思うし、無理なら非難する前に見ないで目を背ければいいと思います!
ちはるさん、このブログは辞めないで続けて下さい!
あと、イノシシはやっぱり牡丹ですか?僕は焼くのが好きです!
このブログを見て猟師っていいなーって思いました。
生きるために食べる!それでいいと思います!
猟をしても、スーパーで買ってもいいと思います!
幼稚な正義感を振りかざす馬鹿な大人に負けないで下さいね。
あなたは正しい。
烏骨鶏、情が移り過ぎないように気を付けてくださいね
食べれなくなっちゃいますよ
まぁ、それもそれで良いのかもしれないけれど
ペット飼いの人は(自分もですが)
情が移った動物とそうでない食用の動物(パック詰めされてくる肉)
の命が全く違うものに見えちゃうんですよ
本当は同じ1つの命だってわかってても、重みが違って見えちゃう
ペットってそういうものなんです 情が移れば移るほどに
人間の家族と同じぐらいかけがえのない存在になる
だからコメントで狂ったように攻撃する
自分も今足元で寝てる犬に似た犬が死んで吊り下げられた写真を
見たら冷静ではいられないです
ウサギは飼ったことがないんで、ウサギには反応しませんけど
食べる予定なら烏骨鶏がペットにならないように
今のうちに突き放して・・・
でも情が移った動物体験をするのもまたひとつの経験かもですね
烏骨鶏がどうなるのか、そのときちはるさんがどうするのか
また見に来ますね
そういえば、親鳥に情が移っても卵は食べられるってのも
不思議な現象ですよね~ 同じ命なのになぁ
卵にはまだ情がわかないからかなー
なんか、すごいことになってますね!
まあ、色々意見とか、ライフスタイルとかありますよね。
それぞれ、当事者は自分が正義だとして書いてるのでしょうが、
自分の正義を信じてるから、間違ってる人にモノ申す?
ってのは、どうなんですかね?もちろん言論は自由なので、
誹謗中傷でないかぎり、何を発言するのも自由なんですけどね。
僕は、遠い国内の南の島で猟師4年目に突入し、日々鹿と闘ってますが
ベジタリアンの方に、肉を食えとか思いません。
でも、僕は獣肉好きなので食べます。
それと、オマケなんですけど、畜産のお肉ってかなりの抗生物質で、
薬漬けっすよ!だって、畜産者は、飼ってる動物が風邪引いて死んじゃ
ったら、大損だから、かなりの限界量の薬与えて、ギリギリ生かして出
荷するんです。それはもう、ヤバイくらいの量の薬です。
出荷前の動物とか見れない状態になっちゃってるのも多いから、スーパ
ーでは、外見が分からないように、スライスして売られてるんですよね
そんなお肉に、疑問持ちません???
僕は、そんなお肉は、出来れば食べたくないし、鹿のが美味いので
鹿食います!!!
うさぎの記事からきました。
最初見たときはとてもビックリしましたが
すごくお勉強になりました。
そして、批判している方々は何にも理解していないのかな?
…と思いました。
冷静に考えれてないのかなって
少し悲しくなったんですけど、ちはるさんの主張で
「命のことは答えがあるものじゃないので、いろんな考え方があって当然」に
すごく目からウロコ!!ではないですけど、納得しました。
そっか、そうだよねって。
というか、いつも食べているお肉のはこうしてどこかで
解体されて食卓に並んでいるんですね。
そういうことは真剣に深く考えたことなかったです。
考えてもちょっと残酷な気がして怖いので
考えないようにしてました…というのが本音です(´▽`)
いつもスーパーとかで並んであるものを買って、家で料理して
「いただきますっ!美味しいねー♪」って食べてるだけだったなぁなので今までよりももっと感謝しながらご飯食べないとですねっ!
ちはるの森BLOGに出会えてよかったです~。
応援してます☆
自分で殺した動物の肉を食べることで逆に命の大切さを感じる、それはいい。でもこういうブログを発信する目的が分からない。自分で獲った動物を無駄なく頂くライフスタイルを広めたいから?それは実際無理ですよね。現実的に多くの人が実践できて持続可能な方法を提案するとかならいいですけど。肉食とはこうやって動物を犠牲にすることだと教えてあげたいから?それなら殺して解体する写真をたくさん時系列に並べて楽しそうなコメントつけなくたって、数枚の写真とふつうの文章で十分伝わりますよ。
狩猟の正当性を訴える方が多いけど、誰かのコメントにもあったように、そもそも狩猟が趣味だったり、殺すことを好み、そこに狩猟の必要性(駆除とか自給自足とか)を絡めて猟師になっている人もいると思う。そういう方は猟師が世の中に必要ないとしても、何らかの理由をつけて猟師になっていたかもしれない。その部分の違和感とちはるさんが楽しそうに屠殺、狩猟、解体をしている様子が重なってすっきりしない。たとえそれが命と向き合うライフスタイルというまっとうそうな理由だったとしても。まあ、スポーツとしての狩猟が趣味で何が悪いと言われればまた別の話ですが。
また烏骨鶏を育て自分で絞めると言ってますが、烏の気持ちは考えたことありますか?人間のため犠牲になる動物こそせめて良い環境で育てるべきと考えるますが、溺愛しておいて殺したらダメですよ。動物にしたら信頼してた親に殺されるようなもの、それこそ残酷きわまりない。動物は「せめて大好きな人に殺されて嬉しい♪」なんて思わないですよ。「豚のいる教室」という映画で最も違和感を感じたのもこの部分。一生懸命お世話して殺すのと、名前つけて家族のような関係を築いた上で殺すのとは違うのでは?昔はどこの家もそうだった、という意見が出てきそうですが。。。
あなたがおっしゃっていること、
それに関して紹介されている記事などは、
すごく当たり前の事だと思います。
それを見て不快に思う方がいるのも理解できますが、
あなたのことを非難する必要は無いと思います。
応援しています。
どのブログでも書き込みサイト(匿名希望も)誹謗中傷は絶対に起きる。
書いた本人(攻撃する人)がバレなければ、何を書いてもいいから大丈夫って考えの人が殆ど。
人の分だけ考えはそれぞれ。
合わないのは当たり前。
そもそも考え方が全く違うから。
価値観・考え・経験が違えば、自分の中で合わない・可笑しい・こうでなければいけない人に対して罵倒や攻撃する人も必ず出てくる。
否定=理解してくれない
ではなくて
【受け入れたくない・理解したくない】
だから炎上するし、言い合いにもなってズレが生じる。
千春さんが書いたブログは良いって人は気にしたらもっと悪化するし、違うと思った人は書けば書く程反発心が出て余計に暴言を吐き続けるだけ。
人に感情を持っても仕方ない。
炎上するだけで収集つかない。
罵倒や攻撃する人は凄く勘違いして履き違えて、文字にしてはけ口にしてる自覚がない。
面と向かって人には言ってない人が殆ど。
匿名希望じゃなくてFacebookと同じように、書いてる本人が個人情報公表して書けばいい。
【バレなければ何でもいい】が本性だから。
FBにリンクがあったので読ませてもらいました。
様々な考えがあると思いますが・・・
別にベジタリアンでもなんでもいいんですけど、
動物がかわいそう!ってのも、人間の勝手な考えのように思えました。
本当は何とも思ってないかも知れませんよ?
本当は、野菜にも意思があるのかも知れませんよ?
人間がそれを分かるんでしょうか?
動物の気持ちが分かって批判しているなら、代弁すりゃいいでしょうけど。そんなの出来る人誰もいませんよね。笑
何とでも言えますよ、外野は。
人の生き方なんて誰も否定出来ないし。
あと、「いやなら見るな」ですが、
正しい事も正しくない事も色々な事が飛び交うインターネットを使っておいて、「嫌なら見るななんておかしい」と言う人って
まだいるんですね、正直この話題よりそっちに驚きました。
情報を選ぶのは自分ですから。
そこまで自分に自信があって、それを正義と思って自分が主張する事によって、何かが変えられると思っているのなら、
匿名でぶつぶつ言ってないで、正式に抗議したらいいんですよ。
団体でも作って。じゃないと動物殺されちゃいますよ。
様々な生き方があって、良いと思います。
私にはこういう生き方は出来ませんけど、
近くにこういう方は居ないので、
こういう方もいるんだなという事が知れて良かったです。
革職人です。全文読ませていただきました。一カ所も間違っていないと思います。
ただ、ベルトコンベアーのように生産されたハンバーガーを主食にしている方々には理解されないでしょうね。命の意味から遠ざかり過ぎていますから。ファストフードばかり食べる人たちが「いただきます」の意味を知っているのかどうか?匿名で批判するしか出来ない人に振り回されず頑張っていきましょう。
生きること、食べることの意味、本来のあり方・・・
ちはるさんは、勇気があ、強い人だと感じました。
ただ・・ただ・・・お願いです。
感情的に反応している人達の多さ、これもまた現実です。
矛盾に満ちていると思います。 見ないで過ごしたいという身勝手な
意見かもしれません。
でも、弱く、傷つく人もたくさんいると思います。
だったら見に来なきゃいい と言うかもしれません。
私には小学校高学年の娘がいます。
うさぎが大好きな子です。
クラスの子からこのサイトのことを聞き、興味本位で見て
数日、ふさぎこんでいました。
もちろん命をいただくことの尊さを教えることは大切です。
でも、その子その子の性格にあったかたちで進めたい。
子供って、残酷な画像にいい意味でもわるい意味でも
刺激されます。
ちはるさんの生き方は、まっすぐだと思います。
でも、誰もが見れるかたちで公開することは、いろんな
影響があるんじゃないかと考えます。
配慮いただけたら助かりますm(__)m
、こんにちは。
初めてブログをは拝見致しました。
私の実家は動物病院で、小さい頃から動物に囲まれながら生活していました。また私自身も大学の頃、野生動物の生態研究をしていましたので、私の生活には動物がいつも身近に存在していました。
その結果、小さい頃から身体が拒否をしてしまい、肉が食べれず、また毛皮を着る事ができません。
ただ、社会人生活を送っていると、そういった体質は大変不便で、また周りからもおかしがられる事も多々あり、私自身とても悩んでいました
ちはるさんのブログを読んで、私自身、自分の固執した考えや、体質にもう一度向き合って、生きていくことと向き合っていきたいと思いました。
私事ではありますが、とてもちはるさんに感謝しております。
ありがとうございます。
陰ながら、これからもブログを拝見いたしますね。
近頃とても寒くなってきましたから、どうぞお身体ご自愛ください。
愛護団体さんのブログでリンクを見つけました。
「鳥獣の保護及び狩猟の適正化につき講ずべき措置について(答申素案)」パブコメを求める内容でしたが、恐ろしい例としてこちらの
ブログがリンクしてありました。
自給自足生活をしている友人の家に遊びに行きました。
村に友人が来た。という事で卵を産まなくなった鶏を
二羽振舞ってくれる事になりましたが一羽は私が絞める事に。
サイズは飼っている猫に近く体温も温かい。魚とは別物です。
頚動脈をナイフで切り血がボタボタと流れ落ち、
暴れる体を抱え込み
やがて力が抜け体から魂が抜けていくのを手の中でハッキリと感じました。都会育ちの私には物凄い衝撃でした。
いろんな気持が湧き上がりました。可哀想とか、気持悪いとか色々です。
そして感謝せねばいかんと思いました。
私が死肉を食らう際には誰かが血だらけになってこの役をやっている。喰う為に育てられた命にも感謝。私はこれからも肉を食う。
私としては経験してよかった。出てきたからには残さず食べる。
それが喰う為に殺された命への礼義だと思いました。筋ばって硬い肉でしたが、どんな高級な肉よりうまかった。批判する人もそうでない人も機会があれば一度経験するか見学するといいと思う。
その場の動物や人の表情や体温、呼吸から学ぶ事は
画像や文字から感じる物よりストレートでありそれが現実です。
A5ランクの肉を目の前にした時も晩飯の食卓に乗ったタイムセールの豚肉を目の前にした時もきっと頂きますと一礼して食べる事になると思います。だから何?知って感謝して何か変わるの?そうです。何も変わりません。何もかも大量消費のこの時代。衣食住全てに金がまとわり付き大きなシステムとなって長いこと自転しています。世の中は何も変わりません。変わったことと言えば知っている。ということだけです。ブログ主は笑ってウサギをぶら下げています。きっとこのスレでコメントされていることの大半は既に経験し判断し選択して来たことだと思います。生きてるものを捕まえて断末魔の声を上げ死んだ動物の毛をむしり皮を剥ぎ内臓を掻き出し
食べる。
レストランで切られた肉の品評を笑いながらしてる人と
しとめたウサギをもって嬉しそうに笑ってる人。
命を食らうという点で深みがあるのはどちらだろうか。
ウサギの毛玉ピアスいいですね!
イノシシと熊にはきをつけてくださいね。
祖父がまたぎだったのですが祖父の友人が牙で太ももえぐられて
発見が遅れてたら死んでたそうです。
やるかやられるかですね!
がんばってください。また読ませていただきます。
>変わったことと言えば知っている。ということだけです。
「知る=体験する」ということにそこまでの価値を置く生き方は危険だと思います。
それは多くの人が「知らなければいけない=体験しなければいけない」ことでしょうか?
我が手で命を奪ってみないと、命や食べ物の大切さがわからない、っておかしくないですか?
普通の人間なら幼いころアリを踏み殺していてもある時点で気がつきます。このアリさんにだって家族がいるかもしれないよね、かわいそうだ、などと思って、そういうことはしなくなります。また日本のまともな家庭でまともな親に育てられていれば、食べ物を粗末にしてはいけない、という最低限の躾は受けてるはずです。
>命を食らうという点で深みがあるのはどちらだろうか。
失礼ながら「深み」のある人間になるために、死ななくてもよかったかもしれない生き物の命を奪うくらいなら、私は一生浅薄な人間で結構です、とすら思います。
なんだかこの手の発言を読むたびに「生き物の命を自らの手で奪うことによって、自分はある種の高みに達した、ワンランク上の人間になった」という自己陶酔が感じられて、結構な恐怖を感じます。職業としてこのようなお仕事をされている方は、おそらくこういう傲慢な気持ちは持っておられないでしょう。
スティーヴン・キングの『ファイア・スターター』という小説に登場するある人物は、人を殺す時に、殺される相手の瞳の中を覗き込むんです。その断末魔の瞳の中に、いつか必ず「真理」が見えるかもしれないと期待して。
人類は「真理の追究」の果てに原発なんていうものも作っちゃったわけですけどね。
ファウスト伝説の意味するところなども一考していただけると幸いです。
植物よりも、魚類よりも、はるかに人間に近い鳥類や哺乳類の命を奪う、という行為は感情的にハードルの高いものですから、それはやりとげれば達成感があるのは当たり前です。
その達成感を、あたかも自分がレベルアップしたかのように錯覚するのは、繰り返し申し上げますが危険なことだと思います。
なんの疑いもなく、汲み取ったように、そのあなたの狭い観点を惜しげも無く押し付けるあたりは、逆に危険だし、恐怖なんですが。
「押しつける」って感じるのはあなたの被害妄想だと思いますよ〜♪
お大事に。
私は鳥肉が好きなくせにあなたがうさぎの皮を笑顔で広げる写真を見て
遊び半分で殺しているものだと勘違いして非難するところでした。
スーパーやコンビニで売られ残って廃棄されてしまうお肉も、毛皮をとるだけのために飼育して殺される命も
殺す必要がなかった命には変わりないと思いました。
それだけ、動物の死が普遍的なものだという事実を理解するきっかけになりました。
毛皮だけ非難されるのはおかしいです。
考える機会をいただきました。
まぁ人間が他の動物に捕食されないからそういって居られるわけで、感謝されれば自分が食べられてもいいとか思うような動物はいないし、生存本能っていうのはどの動物にもある。
お前らがどれだけ自分を肯定しようともベジタリアンには勝てないわけ。
思想的に負けてるんだよ。ベジタリアンとしてでも生きていけるはずなのに選ばないんだから。
そんな糞みたいな人間がうさぎさんという生粋のベジタリンアンを殺して喰ってるんだからホント終わってるわ。
過去の日本人が仕方なく動物を殺して食事をして毛皮を来て経済や技術を進歩させてきたのはお前らが狩猟生活する為じゃないだろう。今は動物なんか殺さなくたって生きれるんだよ。
先進国らしく高い思想のもとに生きろよ。
ホントにベジタリアンなんですか?
でしたら、もう少し「攻撃的ではない」発言スタイルを試してみられてはいかがでしょう?
ここに書き込んでいる、
動物殺して肉食って何が悪い?「命をいただいてる」アテクシ凄い!俺様カッケー!!
であるところの「本質自己陶酔」wな方々が、一様にていねいな言葉使いをされているのを見ていて私は気持ち悪くて仕方がないんですが、あなたの「無駄に攻撃的な言葉づかい」も殺される動物たちのためにはなっていないと思うので残念です。
ベジタリアン的にはどう言えばいいかわからんが、一番伝わりやすい言葉を選んで書いてる。
結果がそれなんだけど、君どえらい角度から刺してくるね。結構すき。
「ベジタリアンが勝ち」っていうのは正しいけど「それを言っちゃあオシマイよ(動物を守る活動の上では)」という気持ちもありまして。
ベジタリアンの人は少なくとも「行動を変えて」ます。
一方、動物愛護というと必ず湧いて出てくる
「ウサギがかわいそう?だったら牛は豚は鶏は?」
「植物はかわいそうじゃないの?」
な方々は
「屁理屈こねてるだけの中二病」
としか私には思えないんです。
「牛は豚は鶏は植物は?」な人たちって、結局自分では何ひとつ行動を変えずに口先ひとつで世の中どうにかなると思ってる、そのナメた態度が(個人的には)非常にムカつくわけです。
大学の授業にたとえれば、「一度も欠席せずいつも真面目にノートを取る」のがベジタリアン、「そのノートを試験前に奪い取ってコピーする」のが「牛は豚は鶏は植物は?」なヒトって位置づけです、私的には。
私はベジタリアンじゃありませんが、ノートはいつも奪われる側wだったので、そういう人たちに腹が立ってるんでしょうね、きっと。
http://www.ted.com/talks/graham_hill_weekday_vegetarian.html
右下に日本語訳のボタンがあります。 「自己中心的な人間」が少なくなりますように。
初めまして、鳴瀬(なるせ)と申します。
日本に残る数少ない狩猟文化を紹介する貴重なサイトとして、ブックマークさせて頂きました。
自給自足を目指し自ら狩りを行い、糧を得るために奪った命ならば余すことなくいただく。それは自然な営みだと思います。
日本の山林は今、危機に瀕しております。バランスが崩れた生態系を維持する猟師、森林を維持するためのきこりが圧倒的に不足し、それなのにコストを理由に木材や製紙原料を輸入に依存している現状は嘆かわしい限りです。
あなたは若くして猟師となられました。その志を曲げないで欲しいと、切に願います。
私は可愛いとか賢そうだという理由で、命の重さに優劣を付ける思考を持ち合わせておりません。
目の前に獲物が現われればそれは巡り合わせ。取り逃がしたならば、それも巡り合わせ。家畜として飼うことになれば、それも巡り合わせ。
草木もまた言葉を話さないだけで、意思を持つ生命と自分は考えております。植物も話しかけたりクラシックを聴かせたりすると、育成に変化があるって言いますでしょ。
話は変わりますが、猪や鹿だと血抜きはけっこうな量になると思います。
ほら、ヨーロッパには血を材料にしたブラッドソーセージがあるじゃない。
フランスではブーダン・ノワール、
ドイツではブルート・ヴルスト、
スペインではモルシーリャ、
フィンランドではムスタマッカラ。
お国によって味は様々だけど、総じてビールやワインが止まらなくなる(大笑
もし機会があればチャレンジしてみてください。余すことなくいただく原点がここにあると思います。
怪我などされませんよう、お体には気をつけて。
ブログ主のちはるさまに、全ての精霊のご加護がありますように。
2chかよwwwww
人のやる事にいちいちうるさいやつらだな。
うらやましいだけだろ
べジーなヒッピー村出身は蝶々でも食ってろよwwwww
はるなさん 今度狩った肉で燻製とかチャレンジしたら
もっとウヒョー!!になるぞw
はるなって、 ちはるさんやん すまん
ウサギで検索して、ここに辿りつきました。ウサギを8年飼っているもので、飼い主にとっては残虐なシーンにうつり、号泣でしたが、、
よくよく考えたら他の動物たちも屠殺されたり、国や環境によって価値観は違いますし、以前住んでいたイタリアでは毛をむしられたウサギが普通に吊るしてあったりしたのを思い出しました。一方、ベジタリアンやマクロビのカフェも充実していて、選択ができる多様な文化だったように感じます。
ベジタリアンとお肉を食べる人が争うのではなく、選択できる食環境を作るというのも大丈夫かなあと思います
ちはるさんのブログを見て、、小さなころから、お肉がどのように作られるか、知ることができて、ちはるさんが開いていらっしゃるワークショップの内容のものを
小学校ぐらいから、受けられたらいいと感じます
わたし自身は、お肉にアレルギーがでてしまうので、体調のため、強制的にベジタリアンです。でも、考えてみたら、小さいころから、お肉の臭いがダメで、あまり好きではなかったのですが、親から強制的に食べさせられて、いつのまにか、食べられるようになりました。
もし、その時期に屠殺の事を知ったら、間違えなく小さなころから、ベジタリアンを選択できたと感じます。。
子供には、惨酷すぎるという意見もあるかもしれませんが、食べ物やいのちについて、隠さず真剣に向き合う事が大事で、その後個人がどう判断していく
のかが大事なのではないかな?と思います。
最後に、毛皮ですが、、食べられたウサギさんを毛皮にされたのですよね?
怖くて文書を良く読んでいなかったので、書いてあったら、たいへん申し訳ないのですが、もし、書いていなかったら、食べたウサギさんの皮で作りました。と追記していただけたら、読み手も納得できる部分がでてくるのかなあと思います。
長々まとまらない文書で、ごめんなさい。
肉食べなくても生きていける雑食生体の人間についてもっと勉強しろ
いつの時代の人間だ
原始人
衣類も作れる毛皮なんか要らない
逆に、今の時代もそういう文化もあって、そういう人間も居るって事を学びなよ。
売ってるもので満足してるならそれでいいじゃん。
あんたの自己中発言ってだけでしょ??
先日、TVでアマゾンの奥地で暮らす少数民族の狩りの様子を観る機会がありました。
鳥や猿などを吹き矢で仕留めます。
見事なものでした。
彼らは、原始人でしょうか?
人間についてもっと勉強しろと仰るなら、まず自らのもつ差別意識をお考えになってはいかがですか?
そういえばこの前、小学生が罠にかかってケガをしたというニュースが流れてましたが。そういう危険って人間に知らされてるのかな。この時代に罠までかけて動物を捕まえるって。イノシシ、鹿、猿はまだ駆逐する必要があるからいいとしてアナグマやうさぎとかわざわざとる必要あります?ゆるいベジタリアンって何?わざわざ罠までかけて肉食べておいて、それ以外がゆるいベジタリアンって。ベジタリアンという言葉を使わないでほしい。
命の線引きもひとそれぞれ。それが違うからって対立しても何も生まれない。
だとしたら、自分以外なら殺してもいいやと通行人を無差別に刺し殺す通り魔がいても何も言わないんですか?
所詮そんなものですよね、あなたは。
人間が生きていく上最低限の命をいただくならまだしも、あなたの行っていることはそうだとはとても思えません。
命の大切さを知りたいというあなたの考え全てを否定するわけではありまただもっとそれにはもっとマシな方法があるということも考えてください。
残酷な殺され方をした動物たちの悲鳴と姿を思うと、悲しくてなりません。あなたはその声を忘れないでください。
動物たちの命とあなたの学習、どっちが大事ですか?
はじめまして。
職場の先輩からこのブログの存在を教えてもらい
読ませていただきました。
私は牛を屠殺、解体、出荷する施設がある地域に住んでいます。
この大きな施設のおかげで肉の産業が盛んな反面、
一部の地域ですが部落差別に苦しんだ地域でもあります。
中学校時代、部落差別についての授業で牛を屠殺(割るといいます)ビデオを授業の一環としてみんなで観たこともあります。
ときどき、何頭もの牛を乗せた大きなトラックが施設に入って行くのも小さい頃はよく見かけました。
なので、ちはるさんのブログについては納得です。
だってテレビや市場では魚を大々的に捌かれて
イカやタコなんて生きている状態で足切られて食べられる。
なのにウサギの屠殺、解体はブログに載せたら大炎上。
命は命の上で成り立っていることをしっかりと受け止めてほしいです。
屠殺、解体シーンは衝撃的ではありますが、注意書きをあらかじめ書いてくれてありますし、いいと思いますよ。
生々しいからこそ、命のありがたみ、感じてほしいです。
罠もそうだし、鉄砲による誤射もありますよね。薬莢をいちいち拾ってもいないだろうし、森を汚してますよね。仕留め切れなかった動物は長い間鉛中毒で苦しむ。彼らは。矢ガモみたいな状態の動物だっているわけですよ。
自分たちの楽しみのために何かを犠牲にしてる。猟師が偉いなんて価値観は当人たちの自画自賛でしか無い。
もっといえば、自分たちは自給自足してるつもりかもしれないけど、病気になれば都会の人が払った税金で立てられた病院に行き、生活が苦しくなれば生活保護に頼るかもしれない。
一般のサラリーマンより稼いでるとも思えないしみなが猟師になったら国は成り立たない。クルマをつくって売るがいなければ灯油だって輸入できない。
家畜を食って生きてるサラリーマンたちを馬鹿にするのは寄生虫が宿主を批判してるみたいなもんです。
>猟師が偉いなんて価値観は当人たちの自画自賛でしか無い。
猟師が偉いなんて誰が書いてるの?
それと完全自給自足宣言なんかしてないし、みなが猟師になればいいなんて主張もしてない
きりがないけどとにかくあんたのは典型的な藁人形論法だね
通りがかりの者ですが、動物を仕留めて食べることは、人間の喜びです。
毛皮までなめして、大切にされてますね。
本来男が得意な領分ですが。。。
はじめまして。
ブログやコメント欄興味深く拝見させて頂きました。
色んな考え方があるもんだ、と思いました。
考えれば考えるほど、余計わからなくなってしまいますね。
私がちはるさんにちょこっとだけお伝えしたい事があるとすれば、
もし私が獲物だとしたら仕留める時は一瞬で、苦痛の少ないように
して欲しいと思うかな?ということです。捌くのも生きたままは
苦痛が大きそうです。
チャレンジしつづけて上手く仕留められなければ、
立ち止まって少し考えて欲しいかなと思います。
やっぱり転んで膝擦りむいただけでも、痛みって相当つらいですし。
それからちはるさんだったら、猟師以外の現場も体験できる
バイタリティがありそう!とも思いました。屠殺場のお話が
コメ欄にもありましたが、屠殺の現場も色々ありそうです。
お肉の現場ってあんまり表にでないし、知らないことって多そうです。
つらつらと書かせて頂きましたが、私は自分の食事になった
お肉を、残さず食べる努力をくらいしか出来ない立場なので、
こう考える人もいるんだな、と思って頂けましたら幸いです。
寒い季節ですので、お身体ご自愛ください。
失礼しました。
Facebookの友人のシェアから飛んできました。
とてもいいブログですね。
東京の品川には日本最大の屠殺場があり、一日に牛は約600頭、豚は約1,200頭もが屠殺されています。
そして、店頭に並び、どう処理されたかも知らない人たちが購入し、売れ残ると廃棄されます。
その事自体は当然の事です。
ただ、命は命に支えられている事を肌身を持って学ばれている姿はとても尊敬します。
がんばって下さい。
これからも楽しみにしています。
猟師って、究極の男のロマンですが、女性で猟師ってすごいな!と感動しています!ドキュメンタリー映画を作りたいです!(^_^)
菜食だって動物を駆除して収穫できる植物を食べてるから(キリッ!
とかドヤ顔で言ってるのには違和感、偽善臭があるなあ
それは近世以降の農業=大量生産で得られた植物に限った話しだ
これらは自分で食べるためでなく売って金銭を得るための手段
本来は自然界に無い、食用植物の大量生産システムを維持しようとして発生する動物の駆除ってこった
食材ということで殺すことが許容されるなら、人間を食べたいという存在に対しても例外なく美辞麗句を捧げて食われてやるのかね
そしてブログ主は、あんたが食いたくて仕方ないから屠殺しますねってヤツを、生きるために仕方ないって受容するしかないのかな
まあ、要は弱肉強食、そして人間だけは特別扱いっていう、現代では古くさいナチズムの延長だよな、それ
成人病、悪性腫瘍、ブリオン禍等、肉食、それも人間に近い哺乳類の肉が長寿社会の人間へダメージ与えてるリスクの方が大きいんだよ、現代は
植物タンパクだけでは短命になるという説を最近言う輩が増えてるけど、江戸時代以前の日本で90歳越えが多かったのは、精進料理食ってた僧侶たち
結果は出てるんだよな、この件に関しては
「近世以降の農業=大量生産で得られた植物」をあなたは口にせず生きているんですか?
「ブログ主は、あんたが食いたくて仕方ないから屠殺しますねってヤツを、生きるために仕方ないって受容するしかないのかな」
野生動物同様に抵抗するでしょうね。
全体的に無理がある主張ですね。
はじめまして、あるブログから流れて来ました。
私は狩猟はしませんが解体はやります。
最近は交通事故にあった鹿や猪が多いですが。
(猟銃の方は父方の親戚に暴力団関係者がいるために取れませんでした)
少し前ですが、フェイスブックでビーガンの方と議論しました。
「命をいただく、と言うのはただの欺瞞に過ぎない」と言われました。
菜食主義の方々もまた、多くの命をいただいていると言う事に気がついていないのです。そう言う方々と議論するのは時間の無駄と思いました。どういった所で平行線なのですから。
確かに誤射はありますよ。私自身林道を歩いている時に撃たれました。幸いかすっただけで済みました。しかし、それは個々のハンターの配慮や注意が足りなかっただけの事でしょう。鉛の害に付いては最近はスチール製の弾丸もありますしね(まだ少ないかも知れませんが)
全てを責任もって処理し、使える所を最大限に使う、これはとても大切な事です。
兎は一度しか食べた事がありませんが、シチューにしました。ヤマドリは鳥汁、猪や鹿は我が家ではカレーにする事が多いです。新鮮な鹿の心臓を焼き肉にした時は犬まで大騒ぎでした。
我が家では人間達も犬達も山肉は大好きです。
より料理の仕方があれば教えて下さい。
つまり、ここの管理人(殺戮者)は菜食という選択肢がありながらも、動物を数多く殺害し、感謝だとか命を知るとかいう理由を免罪符に、全世界が観覧できるパブリックな場所に殺戮状況を逐一公開している頭のおかしい女って結論ですね。
結局狩猟がアイデンティティになってしまった女の自己満足でしょ。
ただの時代錯誤。
自己満足で何か悪いの??
あんたが言ってるそれも、相手を敬ったり理解ようなんてさらさら思わず、自分の言いたい事だけを並べてる。
あんたはこっち側ではないというだけ。
だったら批判なんでしないで、あんたの信じる道を突き進めばいいよ。
それはあんたの自己満足じゃないの?
あなたの言う自己満足は周りに相当な不快感として迷惑をかけるし、それは動物にとっても同じ。
俺は殺戮者じゃないし、快楽で殺戮をやってる人間を批判するし、そっち側にはなりたくもないし、殺戮者を敬ったりするはずもない。
別々の道で突き進めばいいとおもうよ、意見が合わないんだから。
だから言って自分の家族が殺されているのに黙ってみてろっていうのか?一般常識として批判するだろう。
命をその程度としか捉えてないってことだろ。
「自分で獲った美味しいものが食べられるという喜び」
で、笑顔だとすれば、毛皮をなめす時の笑顔は意味がないですね。
屠殺して食べるのは大いに結構だと思います。
私は、哺乳類は扱いませんが、魚はさばきます。
しかし、魚はおいしいですが、笑顔が出るとすれば、食する時ですね。
調理中には、感謝の気持こそあれ、笑顔はでません。
ちなみに釣りはしません。釣り人の笑顔も私は納得いきません。
肉は普通に食べます。蚊も殺します。
確かに生き物を殺さずに生きるのは無理でしょう。
ですが、私は屠殺を勉強したりはしません。
お経を覚え、毎日読んでいます。
私が殺したすべての生き物と戦争で虐殺された人たちのために祈っています。
命を考えるなら、手塚先生の「ブッダ」を読んでください。
大蛇に自らのまれに行く少年がいます。
あの物語はフィクションでしょうが、
私は、どうしたらあのような勇気を持つことができるのか毎日考えています。
例えがあまり良くありませんが、
例えば、あなたで食欲、あるいは性欲を満たそうとする巨漢の大男があなたを捕らえ、あなたの足を片手で逆さに持って
うれしそうに写真をとっている様子を想像してください。
誰の助けもない中で、あなたは大男に何をされるかわからない恐怖を感じるかもしれません。
それが、自由を奪われる、ということです。
先の課題については、恐らく、一生かかっても答えは出ないでしょう。
しかし、それを考え続けるのが人生だと思います。
だから、あなたのおっしゃる正解がない、というのは正しい事かもしれない。
乱文失礼しました。
ちはるさん
いつも興味深く拝見しています。
僕も今年からハンターデビューしました。
基本的には動物好きで、昔は犬を、現在も家でうさぎを飼っています。
ですが、前回のウサギの記事が炎上した件。
私はなんとも思いませんでしたよ。
むしろ、あのちはるさんの写真を見て、
気持ちがわかる!立派だなと思ってしまいました。
僕も今年初めて自分の手でコガモ、カルガモを殺めました。
生まれて初めて自分で獲物をとった瞬間。今までに無いほどの感動と少しの後ろめたさと感謝。
色んな感情が一気にこみ上げ、きっと僕も笑顔だったと思います。
とった獲物は残すこと無く、合唱しありがたく頂きました。
『ごめんね、ありがとう』と思いながら羽をむしり、さばきました。
それを実践出来たことで、
生き物をいただくということがどれだけ大切な事か、改めて学びました。
狩猟をレジャーだと言い、理解しない人、様々な考えがあって当然だと思います。
ただ、それもひとつの文化であり、趣味嗜好であり、自由なのです。
人として、やりたいと思うことを全力でやっているだけの事。
その形があなたと違うというだけの事なんです。
ちはるさんにあって、あなたに無い。
それだけですよ。
それを批判するのはおかしいんじゃないでしょうか?
猟友会の人たちも、殺す事が楽しくてやっている訳じゃないんです。
私の場合は、カモが食べたいから獲っているのです。
誰かが殺して、誰かが捌いた売り物を、あなたはお金を払って買っている。
ただそれだけですよ。
理解できない、不快だと思うならコメントなどせず、もう来なければいい。
ちはるさん、これからも頑張ってくださいね♪
ブログ楽しみにしています。
Pingback: 2013年総まとめ!&初獲物ご報告 | ちはるの森
なんと言うか、白黒つけたい人がいっぱいいるみたいですね…
世の中には白黒よりもグレーのほうが断然多いと思うのですが。
どっちも正しい、ではダメなんですかね…。
生と死は紙一重と言いますし。
命を大切にする、という結果が同じで
そこに至るプロセス(狩猟・愛護)が違うだけなのでは…。
なんでもやりすぎはダメ
狩猟でも思い込みも擁護も非難も
ちょうどいいとこで納めないとバランスが崩れ大変なことになることもある。
我々はしっかり考える時間と頭をもっているのだからそれだけは心がけていればいいと思う。
それでも線引きが欲しいのなら立場で考えることをお勧めします。
文明人・日本人・生物としてかさらに他国の目線も入れるか。
それがこの議論の根本になると思われ、無視して議論してもお互い立場が違うので話にならず言いたいこと言ってるだけ―になって当然です。
もし言いたいだけでなく相手を説得したい!と思うのであれば互いの条件を同じにし、決して悪口や抽象的な話で進めず明確な事実で話す事が必要となります。
なのでパッとみてフーン(´_ゝ`)
で終わるのではなく納得いくまで話し合うことが非常に有益な時間を過ごせると私は思います。
んなこと聞いてねぇよ?
だってどうせ話し合うなら良質でたとえ喝破されてもスッキリする方がいいじゃない
ばかなの?
何の言い訳にもなってないよ?
あんたは、しなくていい殺しまでしてる。
だから異常者なの。
食べるためだけじゃなくて、
髪飾りとか、
意味わからんことまでしてる。
こんな言い訳、納得するやつなんかいないから。
線引きが人それぞれとかいってるけど、
ある程度の線引きはほとんどの人が一緒。
そこからあんたは大きくずれてるから
異常者って言ってるの。
気分悪いからはよこのブログ畳めやグズ
>ばかなの?
何の言い訳にもなってないよ?
この言い訳ってどの部分を指しているんでしょうか?
>あんたは、しなくていい殺しまでしてる
していい殺し(狩猟、屠殺?)があるって解釈でよろしいですか?
>ある程度の線引きはほとんどの人が一緒。
決めつけはやめましょう。このブログのコメントを読んでいれば様々な考え方があるのは明らかです。
>気分悪いからはよこのブログ畳めやグズ
私は、自分も山歩きをするので楽しく見ています。
まぁ、あなたの言う異常者の一人かもしれませんね(笑)
近所の人に猪肉をもらって、臭みがとれずに途方に暮れていてたどりつきました。(猪の回の方に)
誰かがやってる汚れ役に思いをはせるということ。肉の調達を自分で継続的な営みにしてみようという試み。
そりゃ、今のこの世の中で猟師なんですから気負いもあれば、「聞いてほしい、見てほしい」という気持ちもありますよね。ちはるさんがおっしゃるとおり、命を奪う現場は今の日本では隠されています。
そして、誰もが目をそむけたいきつい、汚い、危険な第一次産業(?狩猟もかな?)も、明るくおしゃれにカジュアルに表現したい気持ちもわかります。
ちはるさんが目指されているのは工場生産的な畜産でなく、自分の食べる分を自分で調達というところが共感できます。
その勉強する姿勢、好奇心、底部を支えている人と共感したいという気持ち(があると思いました)は、決して自分のスキルアップのために他の命を犠牲に・・・などというものではないと思います。
ただ、個人的にはいま、猪肉の獣臭さにげっそりしてまして、誰かが書いていましたが、動物実験現場やと殺現場の方の心労、ストレスが心配になっています。ちはるさんも、つらいときは無理しないでくださいね。
熟練の喜びはあっても、基本的に命を奪うことは、きっとつらいことですから。
動物実験となんか似てる気がしたのでカキコ
なんかかなーり上のほうで命かけたら云々で動物実験辞めるんですかとか書いてる人いるけど
答えはNO ま、市販されてる薬とか商品でしか無いし売れんくなったら発売を辞めるだけの話
そして
新薬開発は無くならないしiPSが開発されてきてるとは言え最終的な副作用の検証は動物実験を行わなければならない
動物実験無しでの治験なんて無理無理w
つーことで新薬の需要及び医療職への需要がある限り動物実験は無くならない
無駄な努力おつかれさん
んで本題
残酷だのとか倫理振りかざしての人格否定の感情論ですか
嫌なら見なけりゃええのにね
嫌なものを積極的に見るってドMな馬鹿なのかね? 自分が崇高な活動してると思うのなら草の根でも動物愛護やベジタリアンの活動してればいいのに
まあ、他者を罵倒して自分は偉いんだぞドヤァって自己満足したいから批判するんだろうねえ
ちはるさんの行う狩猟はきちんとした手順を行ってるし法的にもなんら問題無い
医療者ながら狩猟というものに興味があるので頑張ってください
おっしゃるように「新薬開発は無くならない」でしょう。
製薬会社が「病気に苦しむ人を救う」ために新薬を開発している、なーんて綺麗事をイマドキ信じてる人がいたらおめでたいですね。
バイアグラのようなブロックバスターをふたたび市場に出して株価をつり上げ、利潤を上げること「だけ」……とまでは言いませんが、それこそが製薬会社の最大の目的です。
何度も挫折しては保険なしで禁煙治療しようとする人、腹囲の測定でメタボに分類されて服薬する人、血圧130以上は病気と言われて素直に信じる人……全員製薬会社の「いいカモ」です。
「近年最大のカモ」は、「娘を子宮頸ガンにしないため」のワクチン接種に同意した親御さんたちでしょう。副作用で全身の痛みが取れなくなったり、簡単な計算すらできなくなったりしている女の子がいます。同じ人類、しかも未成年の、何も悪いことをしていない子どもたちさえ株価のためには犠牲にしようというんですから、そんな製薬会社がましてや「人ですらない」動物の痛みになんて配慮するわけありませんよね☆
しかも政府与党にしっかり食い込んでたし(笑)
(検索すればすぐわかるので党名・議員名・企業名は出さないけど)
ということで「新薬の需要及び医療職への需要がある限り動物実験は無くならない 無駄な努力おつかれさん」と勝ち誇ってる医療系大学生さんの言うとおりだと思います。
こんな「上から目線」が医療を志すっておかしくね?などとヌルいことを言う人もいるかもしれませんが、実はこういう人こそ市場化されつつある現在の医療に最適化された人材です。なので医療系大学生さんの未来は明るいです。社会人となられたのちも、製薬会社の収益と株価をつり上げ、火の無いところにも煙を立てて国民健康保険制度に負担をかけるべく頑張ってもらいたいものです。
個人的に医療の現場でこういう「人材」に患者として遭遇してしまった場合は……前世の行いが悪かったとあきらめるしかない……かもね(泣
というか、狩猟→食事というのは人間の原始的な生き方でしょう。
それを完全真っ向否定というのは、人間の根本から否定しているのと同じじゃないですか?
あとベジタリアン()も、野菜の命を屠って生きているという事実から目をそらさないでいただきたい。
それと狩猟をレジャーとか言う人。
魚を釣るのは良くて、兎を狩るのはダメなんですか?どうしてですか?
命に優劣があって魚は圧倒的に低い、兎は高いからダメだとでも言うつもりですか?
所詮自己満足でしょう?
自己満足を他人に押し付けて何が楽しいんですかね。
ファンになりました。
最近のスーパーが綺麗すぎるんですかね?
「お肉はトレイに入ってるものです」って思うその神経を本来は狂ってるって言うべきかもね。
あんたさぁ、自給自足の生活をしてから言えよな!
暖房は槇を取って、冷房は無い生活していからね。
普段はスーパーで買い物して、ネットも使ってテレビも見て、
そんな人間が感謝して命を頂くなんて言う資格はない。
単なる悪趣味でこういうことをやってるだけ。
とても羨ましいことをしてらっしゃると単純に思います。
賛否両論色んなことを言う方がいらっしゃるようですが、
やっていることにそれだけの意味があるということでしょう。
間違ったものを食べないようにする努力も怠らないで下さい。
引き続きブログ見るようにします。
私も福岡なので、いつかなにか教わりたいとも思います。
命をいただかなければイキモノは生きられないんです。
なんで?こんなに炎上(笑)
ざっくり応援しとるよー
何年前か女の子がくっつけてた尻尾だってタヌキや犬やウサギの毛なんだけどね~
やっぱ内容がくだらね。基地外女。
命を軽々に扱っているようなブログかな?
レジャーハンティングの域を出ないと思うがそれを見て「いいね!」も一杯来るんですね??
判りません、猟師なんか今の時代に居るのかヤ?
鉛玉と同じように感情ゼロ?そんな事ないでしょう。
獲物の目見るとき・・・感じませんか?
洗っても落ちない血の匂い!
内臓から出てくる様々な寄生虫!
それでも殺したかったら皆殺しを目論んでる行政の駆除専属で一年中、泡噴くほど食えば良い!
草食動物は厳寒期以外は青臭くて食えないから試してみたら!
猟師では無くただのブロガーさんかな?
必要以外の殺すのは反対です。
先日、鹿の解体に参加してきました。参加者は、皆笑顔でしたよ。嫌がっていた私の娘まで笑顔でした。苦笑い?(笑)
まだよく知りませんが、ちはるさんの生き方は、私が目指すところにあると感じました。
駆除されている鹿の9割近くがゴミになっている(長野県)ことのほうが、よほど残酷だと思います。
私も、狩猟免許取ろうかな・・・
狩猟を始めようかと思っている者です。
このブログには初めてお邪魔しましたが、色んな意見が聞けて勉強になります。
特に、命を奪うということについて。
以前、猟師さんに狩猟に興味が有るのですがとお伺いしたところ、
「興味本位でやるのは間違っとる」と言われたのを思い出しました。
確かに、遊び感覚で動物を狩るという事は気持ちのいいことではありません。
しかし、こうも言われました。
「人間も動物だから、命の上に成り立っている。それを実感することは決して間違いではない」と。
きっとこれは狩猟を体験した人でないとわからない感覚なのでしょう。
狩猟の過程において学ぶことがあるのでしょうね。
ゆえに文明人だからこそ、目を背けがちな人間としての野蛮な部分も受け入れていかなければならないのでは?と思います。
銃猟と罠免許を所持し、猪と鹿の狩猟と駆除をしている三十路ハンター兼農家です。
僕自身、獲物の肉が食べたいから狩猟しています。
獲物を手にするまでの知恵比べ、体力比べも楽しいから。
魚釣りとなんら変わらないのに、猟師だけがこの批判を受けます。
駆除も、池を干して外来魚を駆除するのと、増えすぎて農作物に被害を出す鹿や猪を駆除するのは同じだと思うのですが。
人間は、動植物の命を頂いて生きています。
「あたしはベジタリアン」という方もいるでしょうが植物も生きています。
栽培のうえで殺虫剤や農薬使って虫殺しますよ、農家ですもの。
動植物の命を頂かずに生きているのは、水と石だけを食べている人だけでしょうね。
「植物はいいのよ、魚はいいのよ」って、結局自分の物差しの話です。
世界の民族の中には、犬や虫を食べる人だっている。
イルカ猟をしている方々も必要があって猟をしてる。
「あたしイルカ食べないから。」「賢いイルカを殺すなんて」って、
じゃあ毎日殺される牛や豚や鶏は、アホですか?
自分の物差しにあわないと排除ですか?
価値観押し付けますか?
彼女は自分が食べたいものを自分の力で捕まえただけなのに。
ただね、免疫の無い人にはウサギの死体写真キツかったと思うんです。
ネットの世界に張りだす以上はモザイクをかけたりしても良かったのかなあとは思います。
狩猟の世界が万人に受け入れられるとは思いませんし、必ず中傷する自称動物愛護団体が難癖つけてくるから、ネット等で張り出すのには配慮が必要だと考えています。
しかしながら、普段「狩猟」だの「猟師」のブログを嫌悪して寄り付きもしない人たちが、その死体写真を見たいがため(確認したいがため)に、死体写真があるだろうこと分かっていながらやってきて、これ見よがしに彼女を批判しているのは、気持ちが悪いです。
父のパソコンの履歴で見つけました(笑)
賛否両論あるし、自分も可哀そうだなぁとか、むごいなあと思ってしまいますが、今食材を無駄にすることが多い現代の人々にとって、凄く良い刺激剤になる記事だと思います。
ちはるさんは命に感謝していて、尊敬できますが、この記事や他の記事でも、コメント欄でちはるさんを庇いたいがために動物の命を軽んじたような書き方をしている人や、反対派の方でちはるさんを脅すような言葉を書いている人がいて、ちはるさんの伝えたいこと、この人たちにはちゃんと伝わってるのかな?と思いました。
私の友人にも畜産関係の大学に進む予定の子もいて、是非見てほしいな~と思いました。
>さすがみ様
>しかしながら、普段「狩猟」だの「猟師」のブログを嫌悪して寄り付きもしない人たちが、その死体写真を見たいがため(確認したいがため)に、死体写真があるだろうこと分かっていながらやってきて、これ見よがしに彼女を批判しているのは、気持ちが悪いです。「あたしイルカ食べないから。」「賢いイルカを殺すなんて」って、 じゃあ毎日殺される牛や豚や鶏は、アホですか?
>自分の物差しにあわないと排除ですか? 価値観押し付けますか?
誰もあなたに価値観「押し付けて」いないです。
狩猟を非難されたらやめますか?
やめないでしょう?
狩猟を誰かに妨害されてるわけでもないですよね?
それに、そもそもイルカを殺さないで、と訴えている人たちが「どこから」あなたを「排除」できると言うのでしょう?
狩猟を続ける自由も、ここで発言する自由も、あなたには保証されています。
あなたは「獲物を手にするまでの知恵比べ、体力比べも楽しいから」「肉が食べたいから」狩猟をされているんでしょう?
楽しくて、法にも触れず、また害獣の駆除は(悲しいことではありますが)農業のためには必要でもありますから、淡々と続けられれば良いと思います。
それだけでは不満で、考え方の全く違う人たちからの「承認」まで得ようとするから、「価値観を押し付けられた」と感じてしまうのではないでしょうか。
私から見ればあなたも
「狩猟への批判があるだろうこと分かっていながらやってきて、これ見よがしに『価値観を押し付けられた』『排除された』と主張」
しているようにしか見えません。
まあ、ここに書き込めば、「命をいただく」教の信者さんたちからの承認は得られるので、ストレスの解消にはなると思いますが。
今ここで批判してる人間の大半は
殺された生き物の身を食べ、死んだ野菜の死体を食べ、洋服は死んだ動物の毛から取れた毛や草が分けてくれた物を糸としていきてる
化粧品や食べ物にも草木や虫の死体から取った色や成分を使ってる
可愛いから殺すなと叫ぶ、頭が良いから残酷だと叫ぶ
それで他の生き物バカスカ殺して食べて栄養得てるんだもん、凄い矛盾
もう誰かが狩った、捕った生き物でしか生活できない低能な私達は狩られた、捕られた生き物に感謝しながら食べるしか無いと思うんだよね
文句言ってる人は何の命も奪わないで生活してみれな良いと思う、駄目でも自分たちが命を与える事が出来るから誰も損はしないものね
子供の目に触れるからダイレクトな表現はしないで欲しい、という方へ。
都会にいると、生まれてから大人になるまで、命をいただくことについて考えずに済んでしまいます。
昔のように、子供の近くにも、当たり前に命の営みがあるのが、本来理想的なのかな、と。
自分が親になったら、子供が小さいうちから、命を食べていることに気付かせることが出来るよう、釣りや農業など、経験させてあげたいと思っています。
うーん、読んで考えさせられたのは事実。
貴重な場をありがとうございます。
ブログゆえに仕方ないと思いますが、文調が軽く感じられたのも事実。
会話同様文章も書き方・読み方ひとつで印象も変わりますので、パブリックな場に掲載する時は心持ち文調も注意した方が良いのかもしれませんね。ブログとはいえ見る人がいるのは周知の事。それであるならば、TPOじゃないけれど、気遣いを入れて表現した方が良いと思いますよ。気にする側に合わせたら基本無難ですよ〜。発信して命の連鎖を伝えたいと少しでも思っているなら、なるべく多くの人に素直に読んで貰ったほうが良いに決まってますからね。特にこういった議題は是非なく。
食べる分だけを狩って、処理して食べる。
原始的でそのプロセス自体は否定のしようもありませんが、敢えて言うなら原始的は即ち原始的でしかなく、現代的ではないという点。
忘れてはならない原点ゆえに、是非現代的な観点に立って原点を語ればよかったのでは?とも思いました。まぁ、考えてみたけどなかなか難しいッスね(苦笑
ブログの内容自体は問題ないと思いますよ。むしろ再考すべき大事な議題かと。
私自身、自分で捌くことは魚であっても出来ないので、考えて見付けて実行するという点ではブログ主様を尊敬します。
あなたの考えはあなたの考えなのでそれでいいけど
ひそかに、勝手にそうすればいい。
いちいちブログで発表するな。
前に患者さんの臓器をツイッターに写真載せて、学校退学になった女の子いたじゃない。似たような感じがするんだよね。
しかも、その事を怒られないように「医学の発展には、影でこんなことが日常的に行われる事を知って欲しい。」とか言い訳して、
笑顔で写真撮るな!って言われたら「これは患者さん救える喜びの笑顔です」とか言ってる感じ。
ツイッターのコがそんなこと言ってるかどうかは知らないけど。
ちはるさんは高尚な御託並べてるけど、根本はバカッターと呼ばれる人達と一緒な感じ。
まぁ、その動物への屠殺解体への興味と快楽が、人間に向かなくて良かったです。
先日こんな話を聞きました。サファイヤミンクの毛皮を来たアメリカセレブが毛皮を取るために殺されるアザラシを見て「oh、no!!」って言ってたって、本当悪い冗談ですね。人間は生き物(植物含む)を食べて生きています。だから両手を合わせ「いただきます」と唱え残さずありがたくいただく。日本人なら当然幼少期に親から教えられたはずです。
はてなさんは水だけ飲んで生きてらっしゃるのでしょうか。
生きる事とは食べる事です。あなたは米を収穫して笑顔の農家さんも批判するのでしょうか。牛とうさぎ、一体何が違うのでしょう。その線引こそ個人のエゴではないでしょうか。
獣害で苦しんでいる農家はあなたにとって他人でしょうが獣害は時として治水能力をも奪い自然を壊します。放っておくのが自然ではありません。人の手が入らないと守れない地域が沢山あります。
屠殺の恩恵を存分に享受しているのにもかかわらず批判する。
安全な所から石を投げるような発言は、人里に現れたクマを射撃するなと言う頭がどうがした人の意見と同等だと感じます。
それと医療従事者(学生含む)には守秘義務がありますのでお門違いも甚だしい事です。
猟師不足の昨今、ほとんどボランティアで活動されている猟友会の皆様のご健勝、ご活躍を心よりお祈り申し上げます。