里山で猟をして感じること。
猟期も終盤に差し掛かり、別の猟師さんに未だに山入ってますというと「まだやってるの!?もう獲れんやろう」と驚かれる。 そうですねえ、猟の一番いいシーズンは12月に入るまでという感じなので、私たちはだいぶスタートが遅いのかなと思います。(時期が遅くなると猟期スタート時よりもイノシシの数自体も減るし、罠に対して警戒心が生まれるのでかかりにくくなります。)
しかし、猟が始まる10月11月(都道府県/捕獲する動物によって時期が違います)はお米収穫から乾燥の時期でもあり、田んぼから手が離せずなかなか猟を始める余裕がない。我が家、12月までお米天日干ししてたし、、 罠はかけたら毎朝見回り、獲物がとれれば半日以上は時間が必要です。始まったらもうノンストップなので、「よしやるぞ!」と気合を入れ、しっかり時間を作らないと始められないのです。 田んぼをやりながら猟をする方ももちろんいらっしゃるけれど、ペーペーの私たちにはそんな器用なことはまだできず。。。><
新しい狩場を探すときは、だいたいご近所さんと一緒。 たとえ山の中でも、土地の持ち主さんは必ずいます。誰も入っていないような山でも管理のために人が入ることもあるので、罠をかけるときは土地の持ち主さんへの確認を行っています。 特に私の罠は人間には分かりにくくて危ないから、かけたらどこにかけたかしっかり伝えています。 まず「イノシシが出て困っているところありませんか」って聞くと喜んで教えてくれるし、罠を掛けてもいいですかって聞くと快く承諾してくれる。イノシシをとることで、何より集落の人たちに恩返しできるのが嬉しい。
連れて行ってもらったところは、元みかん畑と思えないほど竹が生い茂っていて昼間でも暗い山の中。 道の左側、ボコボコと掘り返されたのは全部イノシシの仕業です。イノシシは道のキワ掘るの大好きだからね。ずーーーーーーーっと向こうまで続いています。
私たちの集落は谷にある山間集落なのだけど、猟をするとき軽トラでどんなに山の中に入っても、昔の人たちの暮らしたあとがあちこちにあって驚かされる。昔の人はここまでどうやって来ていたんだろう。 そして、ここがもう人の営みが行われる場所じゃなくなってしまっているのが、切ない。きっと昔の人たちは少しでもいい土地を次の世代に繋いで行こうと、考えていたんじゃないかな。そんな気持ちが伝わってきてしまう場所だからこそ、悲しい。
最近一緒に山をまわってる彼女は農家の兼業猟師。
彼女は農家だし、荒れ果てた畑や田んぼを見て思うところがあるんだろうな。私もささやかながら畑や田んぼをやっている身としてこういう景色は切ない。
私たちが住む山間集落は、人間の暮らしと動物の暮らしの境界線のような場所だ。 過疎化が進むと山に入る人が減り、人間活動が失われたエリアにはどんどん動物たちが降りてきている。畑や田んぼの被害は深刻で、今や美しい棚田もほとんどがイノシシ対策の柵で覆われるようになってしまった。
田舎に住むまで考えたこともなかったけど、ここでは自分たちの生きていく場所は自分たちで守らないといけない。動物とのやり取りもそうだし、ぼうぼう生えてくる植物に関しても同じことがいえると思う。
美しかった棚田を容赦なく竹林にしてしまう竹もそうだし、雑草をそのままにしておくとコンクリがはがれて道がなくなったり、家が壊れたり…。
守る、というより自然の中に自分たちの場所を作る、作り続ける?というイメージかも。
自分たちの住処を作るということは、必然的に何か他の生きものの居場所を奪ってしまうことにも繋がるかもしれない。でも私たちの祖先は、ずっとそうして命をつないで来たのだとも思う。
動物と自然と人間と、良い関係を作っていくにはどうしたらいいのかな、と山の中で荒れた田畑と出会うたびに考えてしまいます。 そんな真面目なことを考えつつも、女の子と一緒に山を回るのは新鮮で楽しい。
来年の米の品種早いのにして12月くらいからは山入れたらいいなあ、とか、市役所で教えてもらった販売してる罠のネーミングセンスがダジャレばっかりでこれ絶対おっさんが考えてるよね、とか(ちなみに農機具のネーミングもダジャレばっかりだそう。でも嫌いじゃない、このセンス。笑)、なぜか恋バナに発展したり。笑
彼女がいるから、最近は頑張れています。 今日は風が強くてちょっと風邪ひいた感じ。
—————————————————————————————————- 私が新米猟師になるまでのエッセイ(ブログに書ききれなかったいろんなこと)や、動物別の解体方法、ジビエのレシピ集など、イラストを交えて紹介しています。 —————————————————————————————————-
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