普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたお話。

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びっくりしております。

前回の記事「イノシシの解体してきたよ。」がなんとはてブの人気エントリーに出て、アクセスが信じられないくらい伸びました。

見てくださった皆さん、どうもありがとうございました。
コメントも読んでます。すごくすごく嬉しいです。
ブログ書いてて良かった…!

イノシシは迫力あるし、見た目もすごいインパクトあるからなあ。

あの記事が沢山の人に読んでもらえたのは嬉しいことだけど、
私が本当に読んでもらいたいのは、これから書く
「普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にして、みんなで美味しく食べた」お話。
もっと身近で、まったく特別じゃない「暮らしの屠殺」のおはなし。

お肉が食卓に並ぶまで、どんなことが行われてるのかを見てもらって
何か感じてもらえたら嬉しいです。

また長い記事になりますが、最後までお付き合い下さいー。

 

 
 
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何年も前のこちらの記事が今でも沢山の方に読まれているようなので、ここでちょっと追記したいと思います。

まず、この記事には生々しい写真が含まれております。苦手な方は、この先はご覧にならないことを強くおすすめいたします。

それから私は今「自分の暮らしを作る」をテーマに、里山の小さな集落でシェアハウスを運営しています。畑、田んぼ、古民家の改修、太陽光パネル発電などに挑戦しながら、猪から自分たちの田畑を守るために狩猟免許を取得し、狩猟活動も行っています。

今、昔の記事を読み返すと、至らない部分があるなあと思う点がいくつもあります。それでも、初めて体験したことを素直に表現すること、それから、これらの経験が今の私を作ってくれたことは大切にしたいと思います。

自然の中にいると、いいことか悪いことかがあやふやで、見る方向が変われば価値観が逆転するような場面にも何回も出会います。草刈りしていて意図せずミミズを殺してしまったときや、台所を荒らすネズミが罠にかかってるのを見たとき、生きている昆虫や魚に針を引っ掛けて海の中をぐるぐる回して釣りをしているとき。

その曖昧な善悪の境目を行ったり来たりしながら、瞬間ごとに色んなことを感じながらそこにある命と向き合っています。だから、私には何が正しいのか、何が答えなのかは分かりません。それはひとりひとり違うものなのかもしれない、とも思っています。

私自身、まだまだ道の途中です。少しでも自分の答えに近づけるように、試行錯誤を重ねながらこれからも日々の暮らしの実践を続けていきたいと思いますので、これを読んだ方と一緒に考えていけたらと思っています。

もし良かったら、今の私の暮らしのこともあわせてご覧頂けたら嬉しいです。
http://chiharuh.jp/?cat=13

ちはる

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大晦日に、鴨の屠殺をしました。
年明けのお雑煮とおせちを作るためです。

経験しているとはいえ、やっぱり前日から緊張する私。
今回は前回の反省点を活かして、やり方を変えてみました。
(鶏を絞めたときの記事はこちら

 

(1)鍋にお湯をわかす

いちから自分でやる、それが今回のテーマ。
なので、木を集めて火を起こすところから始まります。

(2)お湯をわかす間、鳥さんと触れ合う

触れ合おうにも鴨ちゃんはとてもビビリなので、
逃げ回られて触れ合えなかった…。

私の目がギラギラしてたのか、それとも何かを感じてるのか。
茶色いのがメスで、緑のきれいな色合いのがオスです。

(3)お湯が湧いたら、鶏を捕まえる

とにかく、逃げる逃げる!!!

本当は胴体をさっと捕まえられればいいんだけど、難しいので
最初に首を捕まえて、その後羽ごと胴体をつかみます。
(羽を抑えないと暴れてしまうので)

やっと捕まえた。
ふわふわであたたかい。

(4)鶏を殴って気絶させる

一番つらかったのはここ。
首を落とす時よりきつかったし、怖かった。

 

前回の吊るすやり方よりも気絶させたほうが痛みも一瞬だし、
苦しませないですむということでこの方法に決めました。

殴るときは垂直に振り下ろすのではなく、
斜めから思い切り振り抜く。
そうしないと、気絶させるのに十分な力にならないから。

苦しめないためにも一発で気絶させなきゃなんだけど、
躊躇してちゃんと気絶させてあげられず、

2発くらい殴った。

細くてふわふわの鴨の首が
ぐわんぐわんと大きく揺れた。

その瞬間、鴨の口から食べてた餌が全部出た。

うーーーーーん。

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。。。

憎くもないのに殴るって、すごく難しい。
というか、殴るっていう行為自体やったことない。

殴りながら、自分は一体何してるんだろうって思った。
この鴨悪くないのに何で殴るんだろうって。

殴ることも出来ないくせに、お肉食べてたのかーと思ったり。

でも迷ってる暇なんてありません。
意識が戻らないうちに首を落とさないと、鴨を苦しませてしまうので。
動かなくなった鴨を、さっとまな板にのせます。

(5)首を落とす

鴨の首を引っ張って頭の少し後ろにある関節を探し、
その節目に包丁を入れます。

今回は気絶してるので、暴れず1回でいけた…

こんな普通の包丁で切れてしまうものなんだね、首って。
ちょっと骨の多い魚と同じような感触がした。
ゴリゴリっと切っておしまい。

あまりにあっけない。

命を奪う感覚は、殴ったときのほうが強かったなぁ。

その後、首を圧迫して血を出します。
鳥の血って意外と少ないよね。

(6)米袋に入れて、血抜きする

鴨によりけりだけど、首を切ってからも多少暴れます。
袋に入れてしまうので、今回は返り血を浴びることもなかった。
3分から5分あれば血抜き完了です。

最終的に、血が流れたのはこのまな板1枚の上だけ。
前回の反省を活かして、今回は出来る限り血を流さない方法で屠殺できたと思います。

 

(7)お湯に入れる

毛をむしりやすくするため、毛穴を開かせます。
水鳥だと体が浮いてきてしまうので、
棒で押し込みながら体全体をお湯の中に入れます。
お湯に全部つかったら、10秒くらいでお湯から出します。

(8)ビニール袋に入れて蒸らす

お湯から出したら、蒸らします。
この方が羽をむしりやすくなるそう。

(9)羽をむしる

この屠殺の山場。
水鳥なので、羽の量が多いのです。

そしてふっわふわ!

前回鶏の羽をちゃんと活用できなかったから、
今回はむしった羽をちゃんと取っておきます。

きれいな羽はアクセサリーに。
(アクセサリー作りワークショップ、今度やるよ!)

羽毛からはダウンを作ります。
風に飛ばないよう、カゴに入れて干しておきます。

毛をキレイにむしるのにだいたい20−30分かかります。
私、覇気のない顔してる…笑

(10)産毛をあぶる

むしりきれなかった細い毛を、コンロで燃やします。
香ばしい匂い。
私はだいたいこの手順の時に「美味しそう」っていう感覚が芽生えます。

(11)解体

解体に入ります。

※この当たりは順番バラバラでも大丈夫です。

意気込む私。
まずは胸のお肉を切り取ります。

足と手を切り分け、

 

 

おしりを切り落として、手を突っ込み内蔵を取り出します。

その時、レバーについてる緑色の胆嚢は傷つけないように。
ここが破れてしまうと、臭くて食べられなくなってしまいます。
心臓、レバーを取り出して、中をキレイに洗います。

内蔵を出す時、消化の状況によって臭い子と臭くない子がいます。
1羽ものすごい臭い子がいたなぁ…。。

残った胴体はお雑煮のだし汁に活用します。

そして、解体終了!

左上から、鴨ロース、手羽、首&がら。
左下からもも肉、手羽、心臓、レバー、砂肝、ぼんじり。

 

解体して思ったけど、解体したての内蔵めちゃめちゃ美味しいです!!!!

 

 

頑張った…

私頑張った…

前日にイノシシを解体してるので、エネルギーを完全に肉に持ってかれてました。

もう疲れた。

 

 

「もう寝たい」オーラをガンガン出しながらも、おせちの準備。
だって今日は一年の締めくくり、大晦日ですから。

というわけで
鴨のがらで出汁をつくります。

 

 

しあわせ感あふれる、このまぁるい薪ストーブでコトコト煮ます。
(この薪ストーブかわいすぎる!!!オーブンもついてるんだよー)

 

 

そして、

みんなで力を合わせて作ったおせちはこちらっっっ!

 

 

豪華でしょー?
素敵でしょー?

鴨のお肉は、おいしいホロホロ煮になりました。

 

 

そして!
これが鴨の出汁いっぱいのお雑煮。

 

 

お餅もここの農場でとれたお米だし、お野菜もここの有機野菜。
エネルギーいっぱいのお雑煮だよ。

なんだかなんだか、誇らしいよね。

自分でも、ちゃんと出来るじゃん!て。

一年の始まりに自分で絞めた鶏を食べることができて、すごく嬉しかった。
とても自信がついた。

 

おせち食べてみんなでゴロゴロしながら、考えてた。

いつの間に、自分たちの食卓と食べ物がこんなに離れちゃったんだろう。
鶏を殴るときに感じた、食うか食われるかの緊張感。
その感覚と、この平和な食卓がまったく結びつかなかった。

でも、お肉を食べるのであれば必ずこういう行為がどっかで行われてる。
だからこそ、屠殺が「特別なイベント」になってしまうのに
なんだか抵抗があったんだよね。

それで、イノシシの記事よりもこの記事を読んでもらいたいと思った。

うん。

 

私みたいな普通の女子(?)が、元旦のお雑煮のために鶏を絞める。
そんな感覚で、少し前の時代だったらもう少し屠殺は身近なものだったんじゃないのかな。
このブログを読んでる人も、今日のご飯をたべる前に
「この食卓に並ぶ料理は、一体どこからやってきて どういう風にこのお料理になったんだろう。」
って、ぜひぜひ想像してみてもらいたいです。

私のブログが、そういう気付きのきっかけになったら嬉しい。

* * *

 

前回「自分が食べるべきお肉の量がなんとなく分かってきた」と書いたけど
今回でその気持ちがさらに強まったような気がする。

「自分が何を食べるか」もそうだけど、「足るを知る」ことってすごく大切。
何でもあって、すぐ手に入って、欲望ばっかりが先に走っていく暮らしをしてたら
どれだけモノが手に入っても、きっといつまでも満足出来ないんじゃないかなぁ。

特に食べ物なんて、食卓に並ぶまでだいぶすごいことしてるって実践してみてやっとわかったよ。
お肉ってほんとありがたいね。
「足るを知る」には、実践してみることが一番なのかもしれない。

とりあえず、私は元旦に精一杯奮発をして自分で鴨を絞め、
大好きな人たちと一緒に感謝して頂きました。

ありがたやありがたや。

それがすごくすごく幸せだったので、
きっとこれくらいが自分サイズの幸せな暮らしなのかもしれないなって思った。
うーん、伝わったでしょうか。笑

うまくまとまらないので、最後は可愛い和み写真で無理やりまとめようと思います。

↓鴨の羽毛は後日わんちゃんのダウンになりました。
かわいいでしょ。

次回は、私が講師になった屠殺イベントのレポートを書こうと思います。
私、だいぶたくましくなったよ!

お楽しみにー!

 

★この記事を読んでも大丈夫な方は、昔の記事もぜひ合わせてどうぞ。
イノシシの解体してきたよ。
鹿の解体してきました。
生まれて初めて、鶏を絞めた日。

★私がこの鴨をさばいたのは、山梨のぴたらファームというところです:)

about me!!

About chiharuh

twitter: @chiharuh facebook: http://www.facebook.com/chiharuh   ●畠山千春   新米猟師兼ライター   法政大学人間環境学部卒業。カナダ留学後NGO/NPO支援・映画配給会社に就職、3.11をきっかけに「自分の暮らしを作る」活動をスタート。  2011年から動物の解体を学び鳥を絞めて食べるワークショップを開催。2013年狩猟免許取得。  現在は福岡県にて食べもの、エネルギー、仕事を自分たちで作る「いとしまシェアハウス」を運営。第9回ロハスデザイン大賞2014ヒト部門大賞受賞。TEDxTokyoyz、TEDxKagoshimaにて登壇。   ブログ:ちはるの森 http://chiharuh.jp   著書:『わたし、解体はじめました―狩猟女子の暮らしづくり』(木楽舎) http://urx.mobi/B8LE

70 Comments

  1. 初めまして。Twitterでこの記事を知りました。読ませて頂きとても感動しましたのでコメントを残させて頂きました。
    私は2011年4月より、長崎県対馬島に島おこし協働隊として移りすみました。東京うまれ育ちの30代です。
    対馬もまた自給自足の暮らしがあり、イノシシ、鹿、鶏はハンティングかた解体まで島の人は日常の習慣としてこなしています。
    食べ物はスーパーでしか手にいれることがなかったものにとっては衝撃の毎日ですが、よりありがたみを感じ残さず食べよう!という気持ちが自然と湧いてくるのはとってもいいことですね。

  2. TAKEZO

    たくさんのいまの若者たちに読んでもらいたい記事です。

    生きることは食べること、食べることはいのちをいただくこと。そのサイクルを知っているこそ、食べ物の大切さをはじめて知ることができて、いのちの大切さをもおのずと分かってくるのではないでしょうか。

    とてもいいレポートだと思います。ほんとうに。

  3. 生沢 雄一

    読んでて涙が出そうでした。

    人間として、この地球に生きているということの意味をもっと考えなければ。

  4. 中島茂信

    公園の池などにいる鴨を見ると、「ああ、うまそうだなあ。燻製にして食ったら絶対に旨いだろうなあ」とつい指をくわえてしまいます。けれど、その鴨をつかまえて、「食べていいよ」と言われても絶対にできないはずです。それがなぜなのか、よくわかりません。魚なら平気でしめられるのに、足がついているともうダメ。いい子ぶっているわけではないのですが。生きる力がないのかもしれません。

  5. おがわはるや

    大変興味深く拝見しました。また色々載せてください。

  6. 感動しました。素晴らしい。感謝の気持ちを忘れてはいけないですね。気付かせてくれてありがとうございます!

  7. ぬまたろー

    最近、スーパーでお肉を買うときなんかに、この肉はどうやってここに並んでいるのかって考えることが多くなりました。
    一つの命ということには何も変わらないはずなのに、何の因果か、私たちは食べる側に、彼らは食べられる側に生まれてきました。とくに食肉用の家畜というものを考えたとき、彼らは狭い小屋の中でただただ飼料を食べさせられ、太らされ、殺されるのでしょう。彼らが、子孫を残すこともなく、ただ食べられるためだけの存在としてあるということに、そして生まれ落ちたときにはその運命が決定づけられているということに、愕然としてしまいます。
    僕たちはもう少し、自分が食べる命というものに関心を持つべきではないかな。そんな風に思い始めた矢先に、こちらの記事を拝見しました。
    僕よりも若い女の子がこういったことに関心を持って、それを社会に投げかけていることに驚きましたし、とても勉強になりました。これからも勉強させて頂ければと思います。頑張って下さい。

  8. 洋太郎

    昔夢想してたケコン生活。
    農家の庭先を走り回ってる鶏を分けて貰って帰宅して、奥さんに捌いてもらう夕食。
    そんな夢どころかケコンすら侭ならず還暦過ぎお迎えを待つばかりの現実。
    ブログ拝見して、なんかホンワカした気持ちになりました。

  9. Jinie

    昔、子供(40年ぐらい前)の頃、鶏を絞めて料理する叔父の姿を目の前で見てました。頃は年末だったと記憶しています。

    血抜きをして、お湯の中につけて、羽をむしって、火であぶって、身は地鶏だったので薄切りにして刺身で、ガラは煮付けて食いました。砂肝の刺身はなかなかでした。頭とお尻は塩焼きにしてじいさんが食ってました。

    絞めるのは雄でメスはやりませんでした。

    この記事を見て昔を思い出しました。あの頃の経験もうできない、と思っていましたけどやってる人がいるんですね。しかも高校生、女子とは!!

    いろんな意味で貴重な体験ですので必ず伝えて下さいね。

  10. アシモト

    Twitterより記事を知りました。
    なつかしい、屠殺。僕は高校時代に鶏舎の鶏を解体しました。目的は「命のしくみを理解してほしい」という畜産担当の先生の思いからでした。現代の社会は分業化されすぎていて、そのしくみを深く考えることが少ないです。「食べる」という当然の行為がどう成り立っているのかを知れば、もう少し謙虚になれるのかなと感じました。

  11. すばらしいです!現実を知ろうとしない、平和ボケにはなりたくない。

    ずっとそう考えていました、とかいって、カッコイイ事を言っておいて、今まで積極的には見てこなかったという事実もあります。。。

    この話題騒然エントリーは、命の大切さや弱肉強食、地球の循環を知る、とても意味があると思います。ありがとうございました。

  12. けんいち

    TBNから来ました。
    自分が時々思っていることが書かれていてすっきりした。

    こういうことを鉄腕ダッシュのダッシュ村企画でやるべきなんだよなぁ、とずっと思っているのですが、絶対にやらないだろうなぁ。
    アイガモ農法の場合、必ず鴨が大人になったら食べるらしいので、ダッシュ村でもやってほしかったと未だに思ってます。

    これからもがんばって更新してください!

  13. ずみ

    すばらしい記事でした。
    隠すべきことでないことが隠されている(無関心でいる?)
    のが今の日本の良くない点の一つであり、
    大変感銘をうけました。
    だいぶ先になるとは思いますが、子供にも見せたいなと。
    私は魚とカエルくらいしかさばいたことがないので…。

  14. 凄く興味ぶかく読ませていただきました。
    自分はふだん調理の仕事をしていて、鳥などの処理もしているのですが、
    命を宿す動物の仕組みってほんと凄いなぁ、と思ったりもしています。
    ただ、お店にきた段階での動物は前段階で命は無い大人しい状態なので、
    絞める時はさぞかし大変だろうなぁ、と思っていたので、肉に体力を持っていかれるっていうのは、なるほどぉ、と思った次第です。

    知るを足る。

    まったくそのとおりだと思いました。

  15. NAO

    今の時代に一番欠落していることを、若い人があえてやっているところが偉いと思います。僕は戦後生まれですが(サンフランシスコ講和条約の年)生命を感じる行為(生物の命を奪う行為)は子供の頃ごく普通に行われていました。それがいつの間にか、命の原点と隔絶された社会になり、生命に無頓着な人間が生まれ、人の命を平気で奪ってなにも感じないようなモンスターを産んだのです。大地と空と命。これが人間の原点です。命をつなぐための命。人間が動物の種である限り、この輪廻からは逃れられない。ブログに拍手!

  16. ゆてろ

    18歳の学生です。
    色々、本当に色々考えられさせるブログです。
    食べるってそうなんだよなぁ…。って感じました。
    ここで知れて良かった。ありがとうございます。

  17. ふみ

    「いただきます」の意味をこどもに教えるとき、私たちは「動物の命を頂いて、そのお肉を食べさせてもらう、感謝の言葉だよ。」と言います。 だけど、こどもはその現場を知りません。「言わないと叱られるから、言っているだけ」なのかも知れません。 教える立場の私ですらよく分かっていないのだから、当然だな…とわだかまりがありましたが、今回このブログで、「命をいただく」ことが少しでも理解でき、大変良かったと思います。 自分で経験してはじめて、本当に理解ができるものだとは思いますが…。私はちはるさんの様に勇気がなく、情けない限りです。改めて「いただきます」の意味をこどもと共に考えていきたいです。

  18. 初めまして~。
    フェイスブックから来ました。
    久しぶりに出会った素晴らしいブログでした。
    昔(私らの子供時代)は、こんなの普通の事で特別の事ではありませんでした。
    どこかで日本の生活が屈折して行ったのでしょう。
    チョコチョコ覗きに参りますので、よろしくお願い致します。(*´∀`*)

  19. きよのり

    通りすがりですが、このページに出会えたことに感謝します(40代男)。

    >殴ることも出来ないくせに、お肉食べてたのかーと思ったり。
    …という記述に心うたれました。

    アンチなコメントをする人も(必ず)いるでしょうが、
    それ以上にあなたを支持する人がいることをいつまでも忘れないでくださいね。
    この記事を書かれた「行動力」とそれを貫かせた「勇気」に涙がにじみます。ありがとうございました!

  20. 通りすがり

    鶏と鴨の書き間違えが何箇所かあるようです

  21. サイチャン46

    子供に見せます。
    これは教材だ。

  22. MML

    イノシシの解体してたり、アートビレッジに住んでいたり、プロフィールを見ても、まったく「普通の女子」には見えませんが?

    私にとって、ちはるさんは、どこからどう見ても、特別な女子。「かわいい女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたお話。」くらいが妥当なのでは?欺瞞を感じます。

  23. 文字と一緒にたくさん写真があって、まるで自分が体験しているかのように感じることができました。(実際はもっと感じることがあるのでしょうね。)

    生をうけて生を繋いでるんですよね。近くにありすぎて全然知らないこと。

  24. 匿名

    どうなんでしょう。こういうの。

    生命を知るという意味でやっているのかもしれませんが、この世の中、小動物を平気でボーガンで打つ、虐殺する、など簡単に面白半分に命を粗末にする事件も多いですよね。

    その世の中で、命が次世代に続く・・・という教育は、小動物を虐待する人々にとって格好の面白いネタでしかないと思うのですが。(カモの首を切り落とした後の画像は、必要ないですよね。何のため??)

    この命軽視傾向の世の中、命の教育を直接的(殺して食べる)ではなく、その前段階(カモが卵を産みそこから新たな生命が生まれる、、など)に焦点を当てたほうがいいのでは、と感じます。

  25. とてもすばらしいと思いました。
    自分の命がどのようにつなぎ止められているのか。
    みんな、もっと意識するべきだと思います。

  26. 常に感謝の心を忘れないようにしたいものです
    “足るを知る”本当に大切な事ですね

  27. Pingback: 人と生きものたちの話 » その手応えを知るところがスタートラインなのかもしれない。

  28. フェイスブックから来ました。大阪市に住む36歳です。生まれも育ちも大阪市です。今はまだ、なんと言っていいかわかりません。ふだん肉は食べています。でも、このブログさえも直視することが難しかったです。少しずつ考えていきたいです。ありがとうございました。

  29. taku

    大変貴重な御経験だと思います、自分も学生時代に屠殺場へ見学に行きましたが、自分で締めたりはしなかったなぁ、尊敬します。自分達の食べるものがどうやって食卓まで届くのか、食べること、生きること、キレイゴトではない生活の本質を考えさせて頂ける、良い文章と写真だと思いました、笑顔であるところがまた素晴らしい。ところで、屠殺関連のこの映画をご存知ですか。無機質で淡々としていますが、色々と考えさせられる作品でした。

    原題 OUR DAILY BREAD
    邦題 いのちの食べかた
    URL http://bit.ly/xZWUsU

  30. はじめまして。twitterから来ました。
    遠い記憶が蘇りました。
    父が私に食べさせるために鶏を絞めた日のことを。
    とても切なかったけど、
    とても美味しかったこと。
    あの時の鶏の血と匂いは
    鶏が生き物から、食べ物へと変換される一瞬の印。
    当たり前の営みの中には
    大切なことがいっぱい盛り込まれていたんだって。
    あらためて気づかせていただきました。
    ありがとうございました。
    大切なコトを
    忘れたままにしてたこと

  31. 私は食べ物を作ることが好きです。
    それはとても楽しい事だけど、
    動物も植物も殺して命を頂いていると気付きました。
    ありがとうございます。

  32. Pingback: News Update » Blog Archive » 2012/02/03 NEWS

  33. 「たるを知る」
    普段の生活でも意識してるつもりでしたが、
    やはり、すでにできあがっているものを頂いてただけでは、
    やはりその感覚って薄いな。って自分自身で思いました。
    この記事に出会えて良かった!!
    ありがとうございます。

  34. とてもドキドキ、そして心をざわつかせながら読みました。
    ありがとうございます。
    そしてちはるさんのレポートが決して大上段に構えたものでなく、この行動の間、とても素直に、自然体で、ご自分の感情と向き合っていて、素敵だなと思いました。

    知ることって、大切ですね。

    そしてちはるさんのように、自ら行動をおこしていくことも。

    ブログでシェアさせてください。

    また読みに来ます。ありがとうございました♪

  35. RIE

    目を逸らしてきた、今も目を逸らしたがっている。。。
    たくさんの命を頂いて生きてきたのに、それが私の現状。。。
    情けないなあ。。。

    そんな自分に気づかせてくれた。ありがとう♪

  36. スゴブロ2012選出のご挨拶

    『ちはるの森』管理人さま

    突然のご連絡で失礼いたします。

    私、『スゴブロ』というサイトを運営しております岡部と申します。

    本日は「スゴブロ2012選出のご挨拶」でご連絡させていただきました。
    この『スゴブロ』というサイト

    http://www.sugoblog.com/

    は、もとを辿りますと、宝島社から2004年に刊行した『このブログがすごい!』という書籍になります。この本では、実際に読んで面白いブログを紹介するということをやっていたのですが、そのコンテンツをネットに移したのがこの『スゴブロ』になります。

    この『スゴブロ』で、毎年2月6日のブログの日に、面白いと思うブログを僭越ながらランキング形式で発表している「スゴブロベスト20」という企画があるのですが、今年のベスト20にそちら様のブログを選出させていただきました。

    http://www.sugoblog.com/best20/2012/

    突然のご連絡で大変恐縮ですが、お手すきのときにでも、ご笑覧いただけましたら嬉しく思います。

    では、急なご連絡でまことに失礼いたしました。今後のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。

  37. Pingback: 鳥の羽を洗ってみました。 | ちはるの森

  38. Pingback: 食べることは生きること | LOGBOOK

  39. Pingback: Breeze of Kalani » 締めたての鶏が食卓にあるということ。

  40. takuro

    こんにちは。ブログのネタですか、ワークショップのネタですか、と殺してみましたというのは… 生業でもないのに。食わなくても生きていけることもお忘れなく。

  41. Pingback: 食卓に並ぶ食べ物はどうやって作られているのだろう?green drinks 房総「いのちを感じる屠殺ワークショップ」レポート #gdBOSO [ #gdJ] | greenz.jp グリーンズ

  42. Pingback: と殺WSの講師デビューしました。 | ちはるの森

  43. 始めまして。「ちはるの森」の大ファンです。

    私は「伝える事」「声を出す事」をテーマに、<BananaNews>と言うブログを書いてます。いつも、ちはるさんの「伝える力」とその強烈なメッセージに触発され続けています。

  44. tororo

    埼玉の銃砲店・豊和精機製作所の眉唾日記には蝋で鴨の羽を一気に剥く記事がありますよ。鍋で溶かしたパラフィンワックスの中に鴨をつけて、冷まして、あっという間に産毛まで丸裸です。是非みにいってみてください。http://blogs.yahoo.co.jp/howagunex/folder/1037995.html

  45. Pingback: 我が家に鶏がやってきた! | ちはるの森

  46. Pingback: 全てが流されてしまうその前に | Who can read the future ?

  47. みぃ

    鶏ってかわいそうな運命ですね。
    ちはるさん、来世は鶏に生まれてみたら?
    そうしたら、もっと痛みが解ることでしょうね。

  48. はやと

    みぃ さん
    あなたみたいな人の存在は人類の不幸です。

  49. おまえ野蛮人か?原始人か?
    この日記に感心している馬鹿が多いのに驚き。
    結局、食いたかっただけだろ?
    それともぶっ殺してみたかった?
    人は動物を食わなくても幸せに生きていけるんだよ。
    屠殺を体験できるならVEGANもやってみてね。

  50. のあ

    私は動物を育て殺して食べる。ということを否定するわけではありません。
    ですが、
    私は、子供などに伝え残したい感情は、相手を思いやる心です。

    「生きてるね、温かいね、命をいただくってこうゆうことなんだよ」
    ということより
    「生きてるね、温かいね、この命は、私たちと同じ痛みを感じ喜びを感じる心と体を持ってるんだよ、だから大事に一緒に生きて行こうね」
    と伝えたいです。

    相手の気持ちを想像し思いやることができるのは、私たちです。

    私は相手を苦しめ命を奪ってまで自分の欲望を満たすより
    ビーガンを望みます。

  51. ちひろ

    食べないっていう選択肢もあるのにねぇ。
    多くの人が食べないっていうことを選択している。

    この中で足りていないのは、動物の気持ち。恐怖。苦痛。

    仕方ない これが命の摂理 とか、きれいごと。
    結局これは、「動物を傷つけ殺してでも、鴨を食べたい女子のお話」です。

  52. 名無し

    考えさせられる話ですね。ただ、今は全ての動物がこんな風に殺されているわけではないです。工場畜産なんて酷いもんです。そうやって作られた食べ物を食べるのはやはりおかしな事のように感じるので、この記事を読んで自分を正当化してしまう人が居るかもしれないと思うと少し心配です。参考になりました。

  53. ミント

    酷い‼ 最低‼
    この人どういう神経してるかの!
    普通の神経してる?

    当たり前のごく普通の女の子が
    素手で生き物の首切れます?!

    悲し過ぎます
    痛みます…。

  54. 通りすがり

    子供たちにぜひ読んでもらいたい。
    もういう教育はもっともっとするべきだと思います。
    食べ物粗末にするの良くない。

  55. かくがり

    調理師です。
    批判されてる方の感覚がイマイチよく解りません。
    食べる事イコール命を頂いてる事を理解できてないんですかね…

    屠殺する事で自分の食に対する事の考え方を知るのは非常に大切な事と思うのですが…
    『商売以上に常に食材に対する感謝を忘れてはいけない』
    という師匠の言葉を再認識しました。
    食べると言うことは罪深い事、偽善だけでは生きていけません。
    改めて食材に対する感謝が深まりました。
    ありがとうございます。

  56. fumi

    何故、ご飯を食べる前に手を合わせて「いただきます!」と言うのか、本当の意味を教えて頂いたように思います。
    日々のおかずに肉があれば、その前にはこういった作業が必ずあるということを我々は知るべきだと思うし、きれいにラッピングされた肉しか知らないのは不健全だと思いました。
    明日から子供と一緒に手を合わせて「いただきます」をしようと思います。

  57. とある医学者

    生命を殺して美味しくいただくのは、また生物として当然のことです・・・。
    とても良い内容の記事だと思います。

    さて、批判している人々はなにか自分を特別な存在とでもお思いか?
    自分がなにか特定の生命を守る救世主になったとでも?まったく勘違いも甚だしい。
    もしもそうでないのであれば場に相応しくないその口を閉じることです。
    菜食主義、痛い悲しい等々の話題は別の場所でやるがよろしい。
    この場でヒステリックに書き込む内容ではない。

  58. du

    残酷、かわいそうと思いながらも
    じゃあ普段自分が食べているものは何なのか、
    自分が屠殺に目を背けているだけ。
    今は鶏や豚、牛などを殺して食べなくても生きていけるけど
    習慣として根付いているし、ベジタリアンにもなれない。
    やっぱりこれからも食べていく。
    でもどこか後ろめたく思ってしまうこの気持ちは
    不本意ながらも提供することになってしまった命を
    感謝して残さず頂き、自分がこれからも生きていくことで
    昇華したい。

  59. お雑煮検索中

    とても心に響くいい記事だと思いました。

    菜食主義の人は押し付けをしない方が、相手は主張を聞いてくれると思いますよ。動物より同族を尊重するほうが自然なんじゃないかな。

    牛や豚って賢いんだよなー、懐くんだよなー、とか
    中華料理は鳥の足まで食べて無駄が無いなー見習いたい、とか
    おいしいって感じるってことは体が欲してる栄養なんだろうね、とか。
    なんか色々考えちゃいますね。

    勇気あるチャレンジに感謝します。
    また覗かせてください。

  60. Pingback: 今年も普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたよ。 | ちはるの森

  61. つぶあん

    惜しい:w:
    もうちょっと詳しいといいのに:w:
    ああ、捌くにはやはり参加しないといけないですね~

    その前に自己流ではねむしりや内蔵だし・・・胸肉切り取りなどなどやる羽目になるかな@w@:

    羽の利用法、参考になりました。

    ありがとう@w@b

  62. スーパーに並んでいる食肉の出来る過程を知らない人が増えている中、人間が生きていく中で沢山の命を頂いている事を忘れてはいけませんね「いただきます」この言葉の本当の意味を、これから後の世代の子供にもしっかりと受け継いでいきたいですね。

    このご時世、あなたのような若い世代の女性が、身を持ってこの現実を私たちに伝えてくださる事を非常に嬉しく思います。ありがとう。

    「可哀想!酷い!私は肉を食べない!」
    こういった方々は必ず著者の人格否定を展開します(逆に言うとそれしかできない)が、そんなものはお門違いにもほどがあることをいい加減知るべきです。他人から見て異常に見えるのはあなた達です。

    何も生肉だけが食肉の利用方法ではありません。
    スープの材料、肉エキス等の食品添加物。目に分からない様々な形で食肉は利用されています。

    「私は動物愛護者でベジタリアンです」
    こういう人達が、実は肉が利用されている食品を用いた料理を食べて自己満足に浸っている所を私は何回もみてきました。結局は世の中の進化にかまけて現実を知らなすぎるのです。

    あまりにも偏った思想を基にした全く理論性を持たない感情論を武器に著者の人格否定を展開している人達は、恥を知りましょう。それはあなたが自分の中で勝手に実行し、陶酔に浸っていればいいだけの話です。他人にそれを持ち出す事はしないでください。

  63. ももやま

    鴨を検索していたらこのページが一番最初に来たので拝見しました。
    食うか食われるかではなく、人間は鴨に対しては捕食者ですよね。狩猟社会だった昔に比べると、現在の人間と自然をめぐるバランスは圧倒的な力の不均衡があります。殺す事で感じる緊張感を一気に「対等な対峙」へ持っていくことの取り違えがあるような気が少ししました。ただ、ブログ主さまは一定の考えがあり行われていると思いますし尊重します。ギャラリーに関して少し思うのは、この屠畜がバーチャル体験として消費され、ここにコメントを残しているような方々が本当の葛藤を「したつもり」になっているのが気になりました。わたしたちが消費する肉は、年に何回かのイベントではなく、工業生産的に毎日行われています。ここの情報だけでなく、屠畜工場の実態等もみなさん見てみるとより理解が深まるのではないかと思います。

  64. 私はベジタリアンもどきです。

    物心ついた頃から動物と一緒に暮らしており、死に立ち会うことが多かったので、食卓に並んでいる肉と、目の前の動かないペットの違いがわかりませんでした。
    以降、肉や魚は、死骸にしか見えないので、食べられません。
    でも、出汁は飲みますし、薬も飲みます。乳製品も大好きです。

    この記事を読んで、とても複雑です。
    「殴ることも出来ないくせに、お肉食べてたのかーと思ったり」と、感じておられることに、私は感銘を受けました。
    普段の生活では、そういうところを忘れているのか、(私も含め)考えない人が多いように感じます。あるいは目を背けていたり。
    それをあなたは自ら行動して、考えて、批判されながらも記事にしている。素晴らしいと思います。
    もっと多くの方にこの記事を知ってほしいです。

    しかしながら、ベジタリアンの方が動物のことを思って悲しんでいる気持ちもわかります。
    屠殺なんて言葉聞きたくない、動物を殺すなんてなんてひどい奴だ、ってね。
    私も、できるなら皆が動物を食べないで済む方法を考えていた時期がありました。
    でも人間だから、価値観の違いがあって当然だし、自分以外の人の文化を変えようなんて考え自体がおこがましいのですよね。

    「なんで自分たちの食卓と食べ物がこんなに離れちゃったんだろう。」これこそ私たちが考えなければいけないことだと思います。

    そしてほかの方のおっしゃる通り、屠殺現場などの実態を見るべきだと思いました。私も学ぼうと思います。
    多くの方がこのページを見て意見されていることに、大変喜ばしく感じました。記事を書いてくださってありがとうございます。

    余談ですが、中国では犬を食べる文化がありますよね。皮をはぐとき、茹でるとき、ずっと生きたまま殺すそうです。
    生きたまま皮をはぐのは、死後硬直すると剥がしにくくなるから。
    生きたまま茹でるのは、その方がアドレナリンが出るからだそうです。

    ちはるさんは、どう思われますか?

  65. Pingback: 暮らしかた冒険家-ちはるさん-にインタビュー! | 旅する暮らし-Living Journey-

  66. ああ

    >当たり前のごく普通の女の子が
    >素手で生き物の首切れます?!

    とかいうコメント。お前差別主義者だな。
    屠殺の仕事してる人は人間じゃないと言いたげだな。
    お前のような脊髄反応で職業差別をするクソ野郎
    のほうが、余程非人間的だと思うよ。

  67. 平和主義者

    そのワンちゃんも食べてしまうのですか?

  68. serina

    すごく参考になりました。
    自分には出来ないです。
    動物は何のために生きているんでしょうね。

  69. YO-DA

    他の記事も拝見致しました!更新を楽しみにしています。

    動物を殴って気絶させるという行為ですら、想像の中でも恐怖で震えます。生生しい感触を思い起こさせてくれました。

    他の方がコメントなさるように、私自身もこの記事をバーチャル体験として満足してしまいそうです。自分で絞める経験が重要に思えてなりません。

    イベント(という呼び方には語弊があると思いますが)
    でそうした機会の窓口を作っているのが嬉しいです。
    これからの活動を応援しています。

  70. Teruu

    現在、文明が如何にすすみすぎたのか。
    コメントを読んでいると感じられました。
    日本の外では、今なお、このように命を奪って食べるということが
    普通に行われていますしね・・

    (台湾、モンゴル、その他遊牧民の方は、電気もガスもスーパーもないところでは、このように、生き物を殺して食べているのです。

    すべて無駄にせずに。。。

    現代文明は、すべて分業となり見えなくなってしまった。

    「隠された風景」-死の現場を歩く- (南方新社 刊)もお勧めです。

    (飼えなくなったペットを飼い主が責任をもって処分することができず、じゃ、かわいそうと言ったあなたが飼いなさるか、というといやぁ飼えませんと逃げなさる。そして、保健所が殺処分をしている・・・ここまで死が遠い社会になってしまったんですね・・・)

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