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「今年は屠殺ワークショップする」ということを2012年の豊富にしていましたが、なんと1ヶ月もたたないうちに講師デビューすることとなりました!
このスピード感、すごいです。
ほんとにほんとに、ありがたいです。
私に講師のチャンスを与えてくれた方々、
場所を提供してくれた方々、
参加者の皆さん、すべてに感謝です!
わたし、恵まれてるなあ。。
おかげさまですくすく成長しております。
見守って下さってるみなさん、ほんとにありがとうございます。
というわけで、私の講師デビュー戦は私が企画に参加している green drinks BOSO (#gdBOSO) 。
#gdBOSOでは、毎月グリーンやエコ、サステナビリティをテーマに地域でイベントを行っています。
「屠殺」はだいぶ強烈な響きではありますが
「食卓に並ぶ食べ物がどうやって作られているのか」をテーマに、
大人から子どもまでそれぞれの過程を実際に体験してもらいました。
まずは流れを説明し、見本として私が1羽目を絞めます。
手順は前回の鴨と同じです。
※詳しい手順は「普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたお話。」でどうぞ。
<解体までの手順>
(1)鍋にお湯をわかす
(2)お湯をわかす間、鳥さんと触れ合う
(3)お湯が湧いたら、鶏を捕まえる
(4)鶏を殴って気絶させる
(5)首を落とす
(6)米袋に入れて、血抜きする
(7)お湯に入れる
(8)ビニール袋に入れて蒸す
(9)羽をむしる
(10)産毛をあぶる
(11)解体
まず、にわとりの痛みを減らすために棒で殴って気絶させます。
意識があるうちに切ってしまうと暴れたりして一度に首を切り落とすことが出来ず、苦しめてしまいます。
※これは台所の包丁でも出来るようにと考えた方法ですが、もっとにわとりが苦しまない方法もあるのだと思います。どうやら首を折って締める方法や、にわとりが気づかないうちに締める方法もあるらしく、現在調べ中。まだまだ勉強中の身ですので、身近な道具でできる良い方法を知ってたらぜひ教えて下さいね。
首を落とした後は、お湯につけて毛穴を開かせます。このときしっかりとお湯につけると、羽がむしりやすくなります。
羽をむしって丸裸に。
ちびっこもビクビクしながらもしっかり見てたよ。
そして、2羽・3羽目からは
参加者の中から希望する人に実際に絞めてもらうことになりました。
希望者の人たちに2グループに分かれてもらい、役割別にわかれてもらいます。
・鶏を捕まえてくる人
・鶏を押さえる人(暴れるので結構大変)
・鶏を殴る人
・鶏の首を切る人
・血抜きする人
・鶏をお湯につける人
鶏を絞めるのが初めてどころか、鶏を触るのも初めての方が多かったので
鶏を捕まえるだけでもてんやわんや。
無事、鶏を抱き上げると「やった!」と拍手が起こるくらいです。
でも、殴ってから首を切るまではすぐに行わないといけないので
リハーサルして、立ち居地を確認しながら念入りに行います。
緊張しながらも、殴る練習をする友達。
徐々に緊張感が高まり、実際に殴るとき、首を切るときは
みんなとても緊張していました…。
参加者には私の友達も多かったのですが
みんな見たことのない真剣な表情をしていました。
そりゃそうだよね。
鶏にも個体差があり、すぐに気絶する子、暴れる子などそれぞれ。
何度もにわとりを絞めていると、それぞれのにわとりに個性があり、
その度に「鳥を食べているんじゃなくて、ひとつのいのちを食べてるんだ」とひしひしと感じます。
今回も、あまり血をまきちらさないで済みました。
首を落とした後は、羽をむしっていきます。
このあたりからだいぶ「お肉感」が出るようで、参加者のみなさんの表情にも余裕が出てきました。
みんなの中でも「どこからが鶏で、どこからが肉か」という話題が出てたみたいだけど、
やっぱり羽をむしるとお肉という感覚を持つ人が多いみたい。
ちなみに、私は産毛をバーナーであぶるときの香ばしい香りで「あ、お肉だ」という感覚が生まれます。
その後は解体が始まります。
やっぱり子どもは興味津々。
内臓を実際に出してみたり、部位を切り取ってみたり。
絞めたばかりの鶏の内蔵はまだあったかいのです。
こうやって着々とお肉になっていくんですよー。
取り出した内蔵たちです。
砂肝、きんかん、ぼんじり、レバー、はつ。
解体したお肉は、敏腕シェフ(@koo1sさん、@cosmushさん)のおかげで美味しいお料理になりました。
胸肉は、四川料理のヨダレ鶏に。
もも肉はから揚げにして、刻んだ長ネギをたっぷり入れた酢と醤油のタレをかけた油淋鶏(ユーリンチー)に。
内蔵は焼き鳥に。
鶏ガラはポトフに。
鶏の首&手羽&足はオイスターソース煮込みに。
すべて無駄なく頂きます。
このインパクト大の鶏の手は、うろこ(?)みたいのを
一枚一枚はがすのにすごい手間がかかったよ。。
コラーゲンをしゃぶるようにして食べます。
みんなで、ありがたいねー。と話しながら食べました。
ちなみに、むしったにわとりの羽も無駄にせず
洗って干してアクセサリーに!
こうしてみると、私たちの暮らしの中には
いろんな生きもののいのちが隠れているんだなあと改めて感じます。
今回のワークショップは、にわとりを殴ったときの声や、
お湯につけた後のにわとりの臭い、変化する体の温度まで、
持っている感覚全部でこれから食べる「いのち」を感じてもらうことが狙いでした。
にわとりを食べることが「良い」とか「悪い」ではなく
「かわいそう」「おいしそう」「こわい」「かわいい」全部混ざった、
ありのままの気持ちを感じて欲しいと思ったから。
食べることや生きるということは、その複雑な気持ちの上にあるような気がしています。
それと、前回のブログで色んな意見を頂きましたが
私は、肉を食べるならみんな鶏を絞めるべき、とまでは思わないです。
(もちろん、お肉になるまでの過程をちゃんと想像できる人が増えたらいいなあとは思いますが)
私が一番伝えたかったのは、
(お肉に限らず)食べ物の「いのち」を感じることで
自分の「いのち」をより強く感じられるんじゃない?ということ。
自分が、何によって生かされていて、「いのち」がどうやってつながっているのか。
お肉を「ありがたい」と思うと同時に、
そのありがたい「いのち」で自分の「いのち」が作られていくんだな、
自分もありがたいんだ、と感じられること。
それが生きることの「しあわせ」につながるといいな、と思うのです。
食べ物が簡単に手に入るようになったのは便利だけれど、
その過程が見えなくなってしまったことで、自分と周りとのつながりが実感できない人、
宙ぶらりんな人が増えているんじゃないかと思います。
そんな中で、自然やいのちのつながりをダイレクトに感じられる
手段の1つが「にわとりを絞める」ことなのかなあ、とも感じています。
今回のワークショップでも、
こういういのちのつながりを感じてもらえたみたいですごく嬉しい。
それと、新しい発見がひとつ。
こういう感情を私の友達やご近所さんたちとシェアできるってすごく幸せなことだということ。
「にわとりを絞めて一緒にご飯を食べる」と
なんともいえない連帯感というか、一体感が生まれるんだよね。
さっきまで走り回っていたにわとりがみんなのおなかの中に入る
「ひとつのいのちをみんなで分け合う」感覚。
ご飯を一緒に食べる、同じ食卓を囲むってことには、
こんなに大切な意味があったのか!と今更ながら気がついたり。
一緒にご飯食べると、周りの人たちがもっともっと好きになってしまうんだよね。
むふふ。
ご飯って大事だね。
うーん。
回数を重ねるごとに、いろんな気付きがあるよ。
また3月25日に千葉で屠殺ワークショップを企画してるので、
興味があったらぜひ参加して下さいねー。
詳細決まったら更新します。
とりあえずFacebookのお申し込みはこちらからどうぞ。
今週末は、鴨を棒で殴らずに首を折る方法にチャレンジしてみようと思います。
これをマスター出来たらいいな。
そちらも、のちのちシェアしますね。
ではでは、またー!
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★屠殺ワークショップの記事をgreenz.jpに書いたよ!(内容はほぼ同じ)
▼食卓に並ぶ食べ物はどうやって作られているのだろう?green drinks 房総「いのちを感じる屠殺ワークショップ」レポート
http://greenz.jp/2012/02/28/gdboso_tosatsu/
★この記事を読んでも大丈夫な方は、昔の記事もぜひ合わせてどうぞ。
・普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたお話。
・イノシシの解体してきたよ。
・鹿の解体してきました。
・生まれて初めて、鶏を絞めた日。
★今回私が屠殺ワークショップをしたのはご近所さんの「ファームキャンパス」さんです。
自分の農園を持つ、育てる、食べる。会員制農園「FARM CAMPUS」
ウェブサイト:http://farmcampus.jp/
★写真は@suzukinaoさんとcaztonyさん(webサイトこちら)から頂きました。ありがとうございます!
★この日のことをブログに書いていただきました!
・普通の女子の屠殺ワークショップ(アシタバ)
・鶏を絞める(想像力より高く飛ぶ)
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驚き!
そうですねぇ、今の時代は自分では殺しません。
で、簡単なのは首を折る!のではなく、ひねるのです。
両手で首を掴み、タオルを絞る要領で、グリッと思い切りひねります。
そうすれば苦しむこともあばれることも鳴くことも無く、簡単に
屠殺できます。そのあと足を持って逆さにし、血抜きをします。
これは私が子供の頃に教わった方法です。
教えてくれたのは親戚の鶏肉やさんでした。
では突然の書き込みしつれいしましたー。
Pingback: 「かわいー」と「おいしー」の脳死を超えて
自分で殺せないのに動物を食べるとか、どうやって殺されたかを知らずに食べているよりはずっといいですが、人間は動物を食べなくても生きていけるのに(むしろその方が健康にいい)動物を殺す必要はないと思います。と殺を広めるより、菜食を広めてもらいたいです。
肉食を良しとする考えが結局畜産を産業化させ、命を命として扱わない行為を蔓延させてると思います。実際のと殺はこんな笑顔でほのぼのした世界ではないのですから(笑顔なのは人間だけ)実際のと殺場を見学するワークショップをやってもらいたいです。
*私はつい最近ヴィーガンを目指そうと決心した者で、私にも「食べる」ことについて何が正しいのか、そもそも正しいとか正しくないは主観でしかないのか、、、いろいろ考えたり勉強中でこのコメントも今の気持ちだけで書いてしまったのですが。しかし産業化されたと殺だけは間違っていると確信しています。そういう意味ではちはるさんのと殺は間違ってはいないのかもしれません。でもやはり動物を食べなくても生きていけるなら「生きるために命を頂く」とは言えないと思います。嗜好品として楽しむために殺してるだけかと。
とりとめもなく失礼しました。
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