スカイツリーの見えるリトルトーキョーにて、鳥を絞めるワークショップをしてきました。
昨日はスカイツリーの見える都内で、鳥を絞めるワークショップでした。
会場はリトルトーキョー。前回のしごとバーが好評だったため、そのご縁でついに開催が実現することに。もろもろの難題を乗り越え、開催までサポートしてくださった今井さん、ありがとうございました!めっちゃタフだなー!
実は今まで、鳥を絞めるワークショップをこんなに街中でやったことはありませんでした。
鳥を手に入れるのが難しかったり、実際に絞められる場所がなかなかない、ということもあるのだけれど、自然や動物に触れ合う機会の少ない街の人たちがどう感じるか、受け入れてもらえるのかというところが心配な点の一つでもありました。
でも、街のあちこちでは今日もお肉料理がたくさん食べられています。動物の命と私たちの食事が切り離されてしまった場所だからこそ、もう一度そのつながりを感じてもらえるような場を作りたいと思い、このワークショップを開催することに決めました。
//////////////////////////////////// 鶏の生々しい写真があるので、苦手な方はご注意ください。 ////////////////////////////////////
当日は私たちの伝えたいことが上手く伝えられるかどきどきしましたが、終始穏やかに、とても良い場となりました。私たちのワークショップでは、普段食べている鶏肉や卵がどうやって育てられて手元にやってくるかなどの座学や、自己紹介のコミュニケーションの時間などを事前にしっかり取ってから、解体に進みます。
鶏は千葉県の自然栽培農家さんより、限りなく野生に近い鶏を譲っていただきました。彼は餌も地産地消、地元産のいりこや自然栽培の野菜、ぬかなどを使いながら、自然養鶏を営まれています。 今回はその鶏と、その鶏たちが生んだ卵で料理を作りました。一羽は焼き鳥に、一羽は鳥のサラダに、一羽は丸焼きに。骨や頭はスープにして最後まで美味しくいただきます。
こうやって並べてみると、一羽の鳥からどれだけのお肉が取れるのかがよく分かります。 ”鳥を絞める”と言うと首を落とすところがクライマックスのように感じる方が多いと思うのですが、大変なのはそのあと。血抜きをしたり、内臓を取り出したり、洗ったり、食べれるように処理して初めて、お肉が食べられるのです。その時間の長いこと。疲れること! お肉を食べるって本当に大変だなと、毎回感じます。(だから普段はゆるベジ暮らしなのです。笑) 最後まで集中力を落とさずやりきったみなさん、本当にお疲れ様でした。
『解体に興味があり、一度クマの解体をお手伝いしたことがあったのだけど、取り乱して泣いてしまった』 という方が参加されていました。
今回のワークショップも大丈夫かなと心配していたのですが、彼女も最後まで落ち着いて参加してくれて、お肉も美味しい!と食べてもらえました。鶏とクマ、ということで体の大きさや感じる部分が違うことももちろんあるのだと思いますが、私は昔、自分がただ見ているだけしかできなかったことを辛く感じていた時期があります。
自分で手を下すことができれば、自分自身が責任が負うことができる、納得ができる、そして動物と自分の関係性を自分で作ることができる。全員がこういうタイプに当てはまるわけではないと思いますが、ただ見ているだけの時は、それがどうしてもやりきれなくて、気持ちのやり場がなく辛かった気持ちがあります。
見ている、のと、自分でやる、と言うのは似て非なるもの。このワークショップでは、できる限り多くの参加者さんに鶏と触れ合ってもらい、動物と自分の関係性を自分で持てるように、『自分で行う』を体験ができるように組み立てています。
解体後のワールドカフェでは、『写真や映像で見る方が残酷なように感じました』という意見もチラホラ。
街では沢山のお肉が消費されているはずなのに、ここで鳥を絞めようとするとなんだかそこだけ別の空間みたいになってしまう不思議。食べることと、動物をさばくことは、本当はひとつながりのはずなのだけど。食べ物と動物の命と、それから自分が生きている世界が、途切れてしまっている場所なのかもしれないなと感じました。
このワークショップで鳥を絞めたことで、いきなりモヤモヤが晴れる、ということはもしかしたらないかもしれないけれど、日々のなかで何か1つ、手に取ったものの先を想像してもらえるきっかけになれたら嬉しいです。
またやりたいな。
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さて、というわけで東京でのトークはあと2つ!
参加費はキャッシュor物々交換、スキル交換でもOK!
▶︎”暮らしをつくる” 猟と暮らしのゆるトーク@渋谷
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