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「今日、鶏もらったから絞めよう!今から帰るね。」
ある日の夕方、シェアメイトのシェフからこんな連絡が来た。
まさか。
ワークショップや農場では何度もやっていたけど、
我が家で鶏を絞めて料理ができるようになるとは。
前の記事の「普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたお話。」では
身近な暮らしの中の屠殺について感じてもらいたいと思ったけど、
これは完全に私の暮らしのおはなし。
「自分の食卓のために鶏を絞める」ことが実現できたよ。
また一歩、自立した暮らしに近づけた気がする。
素敵なチャンスに感謝。ありがとー!
というわけで、
ご近所さんと会社の上司も呼んで豪華な夜ご飯をすることに。
もちろん、みんなにも羽をむしってもらいます。
上司は初めての鶏で少々びびっておられました…(笑)

そして、普通に我が家のキッチンでさばかれてきれいなお肉に。

鶏をさばいてごはんを食べる。
昔はもっとドキドキして、大変なイベント事だったけど
だんだんと「日々の暮らし」に近づいてきた。
この日、シェアメイトのひろみさんがこんなことつぶやいてます。

食べ物のありがたみを感じ、命をいただくことは、別に特別なことじゃない。
ほんとそうだなーと思います。
だから、屠殺を何度も経験して作業的になったとしても
それは別に悪いことじゃないんじゃないかと思います。
日常になったというか。
本来は特別じゃなかったのかも、とも思ったりしています。
なんていうか…
なんていうか。
私たちは、いのちを食べることなしには生きていけない。
お肉でも、野菜でも。
その一つひとつを感じながら、感謝してごはんを食べること。
当たり前だけど、なかなかできなくなっていることを
改めて感じられたんじゃないかと思います。
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この日のメニューは、内蔵とジャガイモのグリル、手羽先とモモ肉のハーブグリル。

がぶう!っとかじりつくあっきー。
もう、鶏がさばかれてるのを何度も見ているたくましい4才児。

この鶏は、ご近所で養鶏所をやっている棚原さんのところの鶏。
平飼いで走り回った鶏なので筋肉質。
肉がしまってる!

産みたて卵なんてもう、こっちがとろけそうなほど美味しい!
ありがとう鶏さん。

鶏を食べながら、我が家でも卵用の鶏ちゃんを飼おうかって話もした。
できるなら、チキンドームとか作ってみたいなー。
愛情込めて育てて、最後はもちろん頂きます。
果たして締められるのか、私。
我が家に遊びに来てくれた無農薬農園「FARMCAMPUS」のスタッフ千文さんに教えてもらったんだけど、
普通にゲージ飼いされている鶏は、こんなに広いところじゃなくて
一生をA4サイズのゲージの中だけで過ごすんだそう。
首だけ出して、餌だけ与えられて。
柔らかいお肉にするために、十分な運動もせず、太らせてから機械的に処理される。
「人間だったら、一生座布団の上に立たされて首だけ動かせてご飯食べるだけだよ。」と。
そういう動物たちは、いつ自分が生きてると感じられるんだろう。
ちゃんと、生きものの命を感じるものを食べたいよねえと話してた。
きっと、野菜だっておんなじだ。
見栄えを揃えたり大きくするためにたくさんの薬を使って、太らせて。
ときには遺伝子まで組み替えちゃったりして。
雑草や虫・厳しい自然と触れ合うことなく育った野菜たち。
そういうものを食べて生きるってことは、
その食べ物と同化した自分もそうなってるってことだよなあと感じる。
「おいしい食べ物食べたい。」
これが、今私が「食」や「いのち」と向き合っている一番の理由。
もっともっと現場でいろんなこと勉強して、実践して、
「本当に美味しいもの」いっぱい食べたいなぁ…。
食いしん坊なので。
ほんとにおいしいものは、ほんとにおいしいんだよ!
採れたての野菜も、産みたての卵も、絞めたての鶏もね。
そして、なんだかんだ言いながらも
こうやって普通の夕食の時に「本当に美味しいもの」が食べられて、
「ごはん」について真面目に語れる仲間がいる
そんな我が家が大好きなのでした。
(のろけです!)
では、またねー:)
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