自分じゃどうでもできない感を感じるということ。
これから、「自分じゃどうでもできない感を感じるということ」について話します。 このことを書こうと思ったキッカケは、ブータン初代首相フェロー御手洗さんの記事。 この間、うちの会社で配給している映画「happy しあわせを探すあなたへ」先行上映会と日本の幸福度に関するシンポジウムで、ゲストに来ていただいたのです。
「幸せの国・ブータンの人々は『人間の力ではがんばってみてもどうにもできない』と思っている範囲が日本人よりずっと大きいように感じます。だから、何か失敗をしてしまった時、ブータンの人は自分を責めるのではなく『まぁ、仕方なかった』割り切ることが多いように思います」。
この文章に、なるほどー!と思った。
確かに日本でこれだけ便利な暮らしをしていたら、
私がたびたびブログでいっている「身の丈を知る」ってこういうこともにも共通していて、「どうにもできないことを受け入れる」って案外幸せなことなのかもしれないね。(この日本で、周りの人がどう思うかは分かんないけどw)
でね、ブータンの人がこういう気持ちを持っているのは、
今日の強風&大雨もそうだけど、自然を目の前にしてしまえば
私の森の暮らしだって同じ。
自然と密着するスポーツをやってる人(サーフィンとか登山とか)も同じこと考えてる人が多くて、自然の中では「思い通りに行かないこと」ばっかり。
だからこそ、自分のほんとうの大きさを感じることが出来るんだよね。 なんていうか、便利で何でも快適な世界にいると感覚が麻痺してしまって、ついつい自分の大きさ以上のことを求めてしまう。 食べることも、住むことも、働くことも。
「もっとできる…!もっとやれる!!」っていう果てしない欲望のような気持ちが生まれちゃって、いつまでたっても幸せを感じられない。
だから、何でも自分たちの思い通りにいき過ぎると
自然の中にいると、良い意味でその焦燥感から開放されるような気がする。
こんなことゆっても、自分だけが「自分じゃどうでもできないからしょうがないか★」って割りきっても、周りが理解してくれなきゃあんまり意味ないんだけど。
だから、「どうにも出来ないこともあるのよ」っていう考えがもっと広まればいいのになーと思ってる。
人生、気楽にいきましょ。と、ラダックで教えてもらった。
\ジュレー!/
じゃ、みんな強風気をつけて帰ってね!
\またね!/ |
こんばんは、夜分遅くに失礼致します。
今日の夕方ころからネットサーフィンをしていて、TEDexTodai,Tokyo…ととんでいく中、
つい先ほど畠山様のTED Talksを拝見させていただきました。
昨年からある大学講師の影響で、ベジタリアンになりたい・お肉はできるだけ食べたくない
と考えていました。ただ動物が可哀想だから・・・という理由でです。
しかし畠山様のTED Talksを拝見させていただいてから、
今までの自分の考えはとても短絡的なものであると感じました。
(短絡的、というか単純というか・・・)
実は私はいつの頃からか人間的な/動物としての人間的な 生き方をしたいと考えていました。
将来(老後)は大草原の中に一軒家を建てて、自給自足の生活がしてみたいなあ、とも。
畠山様はその私の考えていたことを体現していると心底思いました。
畠山様が行っていらっしゃる
罪悪感はあるものの、責任を以て自ら生き物の命を絶つこと。
そしてその命が自分に引き継がれていくことを感じること・・・
ただ動物が可哀想と思っていた自分が恥ずかしくなりました。
“今”
の自分はなにができるのか、何をしたいのか
まだはっきりした像が見えていません。
しかし、畠山様のような地に足をつけた生活に
いつかたどり着けるような道を辿っていけたらと思います。
支離滅裂・稚拙な文に目を通していただいてありがとうございます。
これからブログ等拝見させていただきたいと思いますので、
どうぞよろしくお願いいたします。