一羽のニワトリからはじまる、いろんなこと。

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遅れ遅れになってしまいましたが、
この間の3/25に、屠殺WSしてきました!

会場は築100年の古民家、FARMCAMPUS
気持ちいー天気。

今回はより「いのち」を感じてもらうために
ただ絞めるだけではなく、ディスカッションにもかなり力を入れましたよー。

事前に養鶏所に通い、絞めるニワトリに名前をつけてお世話を手伝わせてもらい、
その様子をfacebookのイベントページに載せることで
オンライン上で参加する方にも事前にニワトリについて知ってもらっておきました。

今回絞める子は、この子たち。

この子はシロ。

この子はピーちゃんです。

 

そして、このニワトリちゃんたちがどうやって育てられたかについても、
養鶏所の方にインタビューし、動画にまとめました。

ニワトリについて。
いまの養鶏について。
実際に愛情込めて育てた人からのメッセージ、
しっかり届いたんじゃないかと思います。

 

 
そして、いつものように絞めていきます。
首を切る場所を確かめているところ。

 

 
まだ暖かいピーちゃんの頭をじっと見つめる女の子。
 

 
絞めた後はきちんとシロとピーちゃんのお墓を作り、
みんなで手を合わせます。
 

 
警戒心が強くて
すばしっこいピーちゃんは捕まえるのに苦労したなぁ…。

お昼休憩では、シロとピーちゃんのいた養鶏所の卵も出しました。
もしかしたら、この子達が生んだ卵もあったかも。
 

 
大阪から参加してくださった親子連れの方も「美味しい!」と喜んでくれて、
こっちまで嬉しくなっちゃいました。
 

 

そして、解体したシロとピーちゃん。
バレリーナみたいな、引き締まった足が綺麗だった。
平飼いだから足も鍛えられてるんだろうなあ。

左にあるのは、解体の時に体の中から出てきた殻つき卵。

いつも解体を一緒にやっている敏腕シェフ(@koo1s)の力で、どんどんおいしい料理へと大変身していきます。

この青い印は、ピーちゃんの足ね。

最後に丸鶏を取り出して…

切って、スープとあわせて食べていきます。

普段お肉を食べない方も、
「今日は自分で絞めたから!」とお肉を食べていたのが印象的でした。

そして、食べたあとはディスカッション。
じっくりと時間をとったので
参加者の感想が聞けてとても良かったです!
私自身もとても勉強になりました。

参加者の皆さん、本当にありがとうございました!

 

///////////////////

 

参加者の方のレポートが、とってもとっても素晴らしかったので
ここでいくつかシェアさせてもらいたいと思います。

どのブログも、かなり読み応えありますよー。

 

まずは、以前green drinksでお会いしていた方が書いてくださったブログ。
この感覚、すごーく分かるなあ。。

 

「においがきついわけでも、脂っぽいわけでもないのだけど、少しだけで十分でした。(なにかまるで、すごくあくの強いものでも食べてしまったかのように頭にぐわーんときたのですが、疲れていたのかもしれない。。)(抜粋)」

 

▼「いのち」を感じる屠殺ワークショップに参加してきた。
http://goodconsumerstyle.seesaa.net/article/260584753.html#more
 

 

それから、わざわざ仙台から(!)
このワークショップのために来てくださった方のブログ。
一度記事を削除されてしまったようですが、交渉して公開して下さったようです。
ありがとうございます!
(テーマがきつかったからでしょうか…)
 

食べ物を見つける、つかまえる、殺す、食べるところを分ける、口に入れる、力にする。
ここまで全ての過程が「食べる」ということだと気付けない世界になっています。
(…中略)
今回実際に屠殺、ディスカッションをしてたくさんの人と意見を交換することで
千春さんのブログだけではわからなかったことやもやもやしていたことの答えにつながるものを
多く取り入れることができました。

まだはっきりしない部分もあるのでこれからもこの経験から
遅まきにどんどん気付くいてくるがあると思います。

 

▼屠殺ワークショップ
http://yaplog.jp/beeth/

 

それと、ビーガンで参加してくださった方。

お肉を食べない判断をしている方から見たら、
私の活動はどう映るんだろう…とドキドキしていたのですが

こうして同じ方向を向いているということを感じてもらえて
とても嬉しかったです。

 

「肉食の人が、ある一日、意味深いお肉をいただくなら、それはすばらしいことだ。
同じビーガンとして、私はこのワークショップは、ビーガンにも肉食の方にも、必ず何かのポジティブな気づきになると信じる。
今回はシロちゃん、ピーちゃん、2羽で40人の人間のココロを動かした。
また、ありがたく皆で昼食としていただいて、体の一部になった。一生忘れない。
ありがとう。」(抜粋)

 

▼と殺ワークショップ by ちはるの森 @ Farm Campus
http://ameblo.jp/suitsmen2/entry-11207226368.html

 

 
また、心のこもった「いただきます」を広めるべく命・自然の恵み・人々の営みを伝える絵本を作っている「いただきますプロジェクト」のナオヤさんが素晴らしいイラストを書いて下さいました!

 

「屠殺」というかなりハードなテーマを
ほんわか可愛らしいタッチで書いてくれました。
すてきー!

こういう重く受け取られがちなテーマを
ポップに可愛く(でも、中身はしっかり)伝えるの、私はすごく好き。
私がやりたいのも、こういうことなんだ。
 

せっかくのご縁ということで、私のWS用にも作っていただきました。
これから何か一緒にできたら嬉しいな。

そしてナオヤさんのコメントはこちら。(抜粋)

 

生きてる鶏を抱っこして、その柔らかさと、小型犬のようなぬくもりを感じ、
まだ温かい生首を、ずっと手のひらの上で、ハムスターを愛でるように撫で続け、
内臓の温かさを感じながら引っ張り出して、
これらの体験は全部、愛おしいと感じました。

生も死も、食べるも、あえて変なこと言うとエロも(いや、別に興奮したわけではなく)
なんか漫然としたひとつのもののように感じました。

 

参加者の皆さんの感想で意外にも「愛おしい」というコメントが多く、驚きました。

 

▼ナオヤさんのコメントはこちら
https://www.facebook.com/itadakimasu.pj/posts/376640932356137

▼いただきますプロジェクト
http://www.facebook.com/itadakimasu.pj

 

他にも、頂いた嬉しいコメントをいくつかご紹介。

 

「いただきます」「ごちそうさま」という言葉の意味が
初めてちゃんと肚に入った気がします
そして 料理することは神事に近いなと感じました
せっかく頂いた命を 一番おいしい状態で食べることが
その命への感謝の表れにもなると
料理の腕をしっかり磨かないと と思いました
他にもとてもたくさんのことを思い 考えることができて
本当によい機会を頂きました!
なんだか いっそう日々の生活を豊かにしていける気がします。(感想より抜粋)

 

お子さん連れで参加してくださった方の感想。

 

・食べることは「それでも喜び」
生きる上で日々受け入れなきゃならない業と隣り合わせにある喜び。
(…中略)
「かわいそう、ありがとう、そんでもっておいしい」
そんな複雑な気持ちだけど、それが当然。
それは白黒つける必要ないんだよね。
真っ二つに分類できないそんなグレーな感情だけど
実はその中にたくさんの色が隠されていて
それを輝かすも腐らすも自分次第。

・命が凝縮された瞬間
これは妻の談話。そしてそれに同調。
いざ首を落して目を閉ざして頭部だけの状態を見たとき
そのあまりにもありのままの姿に
不意に去年生まれた長男が取り出された瞬間とリンク。
何らかのいとおしさを感じた、と。
それは生への参入、もしくは生からの離脱で
どちらもそこにある(あった)命を肌が感じたということなのかな。

・負の感情の行方
家族に内容をざっと説明して畠山さんのブログを見せて
それだけの前情報で現地に来たので、もしかしたら事後に
鶏が食べられなくなったりしてもおかしくないし
それはそれで仕方ない、むしろぶつかって欲しい壁だと思っていました。
だけど幸運にも同世代の子供たちがいて
結果小1の娘は最前線で目をそらさず(たぶん)見ることができて
ひとまずよかったなぁと感じています。
このようなイベント形式であったことで、本来漂ってもおかしくない
後ろ暗さみたいなものが全体共有で軽減されたというのもあるのかな。

生きていく限りは数多の命を自分のエネルギーにしていくしかないのだから
悲観的にならず、かといって構えすぎず
誤解を恐れず言うなら「屍を越えていけ」と。

・食べた感想
絞めてすぐの鶏は調理にかなり時間がかかります。
口にしたぴーちゃんとシロの肉はかなり固く
皮もとても弾力がありました。
聞けば彼らは14か月のびのび生きていたとのこと。(違ってたらすみません)
養鶏場にいる鶏は45日で絞められるというので
その肉質の違いにも納得。

狭い部屋で太るだけ太らされた動物と
広々とした野外で筋肉を鍛え上げた動物では、ね。
人間でも同じだよね。そしてどっちのほうが
「生きている」と言える?ということも。

(感想より抜粋)

 

ここでは紹介しきれないのですが、他の方の感想も心に響くものばかりです。

みなさんのコメントや写真は
こちらのイベントページから見れますよー。

▼屠殺ワークショップ
http://www.facebook.com/events/118973821565587/

 

ブログを更新してくださった皆様、
コメントを下さった皆様、ありがとうございました!

 

 

WSの後も、こうしてオンライン上で感想のシェアができるって
すごくいいなーと思います。
私が記事を書くより、実際に参加してくださった方の
意見を見ていただくほうが色々と伝わると思うので、
興味がある方はぜひぜひ見てみて下さいね:)

 

そして、前回ちらっとお話しましたが
このニワトリの羽根を使ったアクセサリーを実験的に販売しています。
羽根はちゃんと洗って干して、アルコール消毒済みですよ。

以前ワークショップに参加していただいた方で、
「あの時絞めたあの子の羽根のアクセサリーがほしい!」と
お声掛けいただければ、作りますので教えて下さいねー:)

▼whitelist
https://whytelist.com/user_data/shop.php?id=1318490303&orderby=date

こうして、またアクセサリーへと姿を変えたピーちゃんとシロ、
また誰かに大切にしてもらえたら嬉しいな。

これからは、食べ物だけじゃなくて
身の回りにあるもののいのちを感じられるワークショップもやってみたい。うんうん。

では。

\またねー!/

 
 

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▼本が出ました!
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私が新米猟師になるまでのエッセイ(ブログに書ききれなかったいろんなこと)や、動物別の解体方法、ジビエのレシピ集など、イラストを交えて紹介しています。

わたし、解体はじめました ─狩猟女子の暮らしづくり─

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about me!!

About chiharuh

twitter: @chiharuh facebook: http://www.facebook.com/chiharuh   ●畠山千春   新米猟師兼ライター   法政大学人間環境学部卒業。カナダ留学後NGO/NPO支援・映画配給会社に就職、3.11をきっかけに「自分の暮らしを作る」活動をスタート。  2011年から動物の解体を学び鳥を絞めて食べるワークショップを開催。2013年狩猟免許取得。  現在は福岡県にて食べもの、エネルギー、仕事を自分たちで作る「いとしまシェアハウス」を運営。第9回ロハスデザイン大賞2014ヒト部門大賞受賞。TEDxTokyoyz、TEDxKagoshimaにて登壇。   ブログ:ちはるの森 http://chiharuh.jp   著書:『わたし、解体はじめました―狩猟女子の暮らしづくり』(木楽舎) http://urx.mobi/B8LE

12 Comments

  1. 通りすがり

    俺も動物かわいいと思うから殴ったり首切ったりできないかも。
    でもお肉は美味しい美味しいと食べる。
    我ながら矛盾だなあ。。本当に感謝しないといけないんだなあ。。

  2. 貴方のブログに命に対する愛のかけらも感じません。貴方もいつか絞め殺され解体される喜びを味わうでしょう。
    頭でっかちのただの猟奇的人間の癖して賢そうな顔をするんじゃない!
    食べ物への感謝はそんな形で表せなくとも、愛と想像力が豊かならできることです。
    命をおもちゃのように・・・胸糞悪い、同じ女としてありえない
    人殺しの理論とどれほど違うと言うの?子供まで巻き込んで非情な
    人間育成などするな!あ~許せない!吐き気がする嫌なやつ!

  3. み〜

    ↑正常。
    例えば、慈しみ、愛情かけて育てた我が子を首はねて、食えるか?って話。美味しくなぁれ、って育てたなら別の話よ。
    その子は初めから食料だからね。愛情も、温かさも、命なんかもない。
    あれ?命を頂くんじゃなかったっけ?

    いやいや食料。。愛着も熱意もない。食料。だから、命を頂くとは口ばかり。

  4. ソイ

    食べ物への感謝は愛と想像力が豊かならできること、とコメントしている方がいますが、経験に勝るものはないのではないでしょうか。
    何においても経験して初めてわかることは必ずあります。
    批判するなら一度体験してみては?と思ってしまいます。全てを感じてから、それでもやはり違うと思ったらそれは考え方の違いです。私はちはるさんの活動が間違っているとは思いません。子どものうちにそういう経験をするのは良いことなのではないかと思います。お肉をいただくときに「あの時みたいにこの子も殺されて、生きていたんだ。いのちをいただくんだ」と学ぶのではないでしょうか。
    命ではなく食料だとコメントされている方もいますが、全ての生き物に命はあります。愛着とか慈しみがある生き物にしか命がないのですか?そうじゃありませんよね。
    様々な考えがあるのは当たり前で、理解できない出来事があるのも当たり前です。しかしそれを批判するのは如何なものかと思います。意見を言うのであれば言葉使いにも気を付けた方がよろしいかと。汚い言葉で言われても説得力の欠片もございません。落書きとしか捉えようがない。
    私はちはるさんの活動に心を動かされました。長文失礼しました。気分を悪くされたら申し訳ありません。

  5. マッシュ

    シュヴァイツァー曰く、「生命を傷つけることは如何なる場合でも悪なのである。だから、人間で有る限り生きるために他の生物を傷つけざるを得ないという必然性と、その生命を助けるべしという倫理との間の葛藤から逃れることはできない。私達はこの葛藤の中から、各人自らの判断を下すのである。」と。
    つまり、通りすがりさんが書き込んだ状況に人間はあらざるを得ない。
    だから「生きるためなんだししょうがないんだから、わざわざそんな生々しい場面を見る必要が無い」とか一方的に割り切ったり、「生き物を殺すのをやめよう」とか安直に考えてはいけない。
    「子どもまで巻き込んで」と仰いますけど、それは貴方の完全な押し付けですよ。子どもは生命倫理に対する判断材料を与えられそれについて自分の判断を下す、そういう権利を持ってると思います。

  6. 00

    マジキチ女の洗脳に子供たちを巻き込むな

  7. ころすけ

    いつものスーパーに並ぶ鶏肉と、愛情をかけて育てられた生き物の鶏。

    その間にあるのは命を奪う瞬間。でも、普段の生活では伏せられている部分ですよね。

    おいしく食事できるのは、その瞬間を見ないで済むからだとも感じていましたが、改めて「食べる」ということを深く考えるきっかけになりました。大変興味深い活動だと思います。

  8. mm

    すべての人が、肉を食べることは「こういうこと」だということを知るべきだと思うよ

    それを知った上でこそ、個人で色々考えられる前提が与えられると思う
    それを知らずに動物愛護も現状肯定もありえないと思う

  9. ままち

    よくしらなかったので図解の鶏の締め方は勉強になりました。スーパーに並ぶ鶏肉だってこういう工程をへて私たちの口にいれるもの。
    その工程を「気持ち悪い」「かわいそう」などの綺麗な言葉で目をつむってはいけないと思います
    コメント欄での不快感をもつかたのブログ主さまへの言葉がとても汚いですね。動物愛護の方がそういう方ばかりだと思いたくないですが残念です。
    私もペットとしてうさぎをかっていますのでお気持ちはわからないでもないですが感情的になコメントが多いと感じました

  10. shimuot

    肉を食べるというプロセスで、普段みえないことを、
    実体験として知ることはたいへん有意義なことと思います。
    動物を殺すことも、肉を食べるプロセスの一つである
    ということですね。

  11. ぞね

    家畜は残酷ではないのだろうか?家畜も泣くのである。
    機械的に処分されて科学薬品で安全に処理されている。

    農作物や魚卵は残酷ではないのだろうか?
    米や卵や根菜は実であり卵の命である。

    食べる事は儀式であり自分の命を繋ぐ喜びである。
    感謝する氏神の祭りがあり八百万は神となり供養する塚がある。

    優れたハンターは美味しいかどうかではなく
    命を繋ぐにはどうしたらいいか間引き方を考える。
    捕り過ぎないように群れが健康でありますように。

    解体しながら健康状態や何を食べているか生活習慣を知る。
    相手の事を真剣に考える。食べて自分自身になるからだ。

    自分で捕っても、お金と交換しても残酷な事に変わりはない。

    ただ、相手を深く知る事、感謝する事に差はできるだろう。

    言葉ではない。皿の上に・・・そして、残飯の量に。

  12. としろー

    はじめまして、非常に有意義な体験をされていてびっくりしました。
    ナルホド、このブログ記事を幾つか読んで理解できた気がします。

    昔は流通などの事情で鶏やウサギ(他の記事ね)を自らの手で解体や食すなんぞ、私の祖父の世代(明治・大正生まれ)なら日常行われていた事です。お袋が子供の頃、確かに見た目は残酷だったけれど有難くいただいたと言っていました。

    ご先祖様の肉食の歴史は数万年。実は菜食の歴史は浅い。
    こうして我々子孫まで命を繋いで来た事実があるのだが、、、

    批判されている方は動物の屠殺ばかり見ていないでまんべんなく記事を拝見してこの方の生き方を文面から理解するといい。
    例えば他の記事にあった生き方に対する意識
    →大量生産大量消費の暮らしに危機感を感じ「自分の暮らしを自分で作る」

    以上を踏まえ! 批判されている方へ言いたいこと。

    自分の生活が経済活動の中にあって完全に消費者であるのなら、尚更この方への批判はお門違いです。
    それと「愛情が無い」「命に対する愛のかけらも感じません」「人殺しの理論とどれほど違うと言うの?」
    これは全く意味不明で考え違いです。
    何故なら、、、
    人間も一種の動物であり、様々な生命と「捕食関係」の中にあります。
    (いわゆる食物連鎖ってやつね。ここでは人間の順位は語る必要はありません。)
    (まあ、最後土葬されず焼かれちゃうとバクテリアさんは食べ損ねちゃいますがw)
    どこから引用したのか「命は平等」「愛情」を唱えるお方が居ますが、そんな訳で捕食関係にある動物同士には適用されません。
    それはご自分の愛玩動物(=ペット)などに対して向けて下さい。
    正しくは、「愛情」「命に対する」「人殺しの論理」などは我々人類同士に使われるべき言葉ですので間違い無いように。

    最後に。
    良いのですが、普通のブログ形式で投稿順に表示するだけだと動物愛誤の方々の標的になっちゃう気がします。
    場面によっては、正直、少々グロいです(笑)
    もう少し見せ方は入り口を分けられれば良いのですが。
    失礼いたしました。

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