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いのちをどこで区切る? へのコメント http://chiharuh.jp/?p=1694 @chiharuh の日々。 Tue, 21 May 2019 07:11:24 +0000 hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.8.25 テラサカ より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-12961 Sun, 26 Jan 2014 23:33:52 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-12961 食べるために殺す。これは摂理というか、何を食べるかはそれぞれの個々の命が決めるべきことと思います。ただ、食べないのに殺すのは不必要な殺生で不必要な自然の搾取だから、殺された命に申し訳ないし、それは人間の生き物としてのマナー違反というか、共生のための他の動物への義務違反というか。それぞれの文化や事情があるとはおもいますが。だから、僕はとにかく殺したからには残さず食べることだと思います。殺されたものへの礼儀として。生き物の義務として。
ちはるさんのアクションは、僕ら人間が毎日食べているのはたくさんの命で、命を食べるとはどうゆうことかを直視することで、人間が己を知り、自然との向き合い方を真剣に考えるきっかけになると思います。殺すことの申し訳なさのようなものが、他の命を大切にすることや、不必要な搾取をやめることにつながると思います。命をゴミのように捨ててる現状はあまりに酷いですから。
がんばってください!ちはるさんの活動を見させてもらって、とてもたくさんのものをもらいました!自分もできることをします。

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ituki より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-11872 Sun, 12 Jan 2014 10:50:35 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-11872 極端かもしれませんが、自分で動物を殺して食べる強さを持たない現代日本人はやはり、謙虚に食を頂くに限ると思います。

キューバに住んでいたので、豚を殺すシーンを見ましたが、なるべく苦しまないように殺していました。(como matar un cerdo) とかで検索すると映像は見れます。殺される豚の鳴き声がなんせ辛かった。
 
キューバから帰国して、パックに入った綺麗なお肉に随分抵抗がありました。
ほんとうは、真実を子供の頃から見せるという教育が必要であると思います。

twitterなどで、バットで殴り殺してやりたいや4ね(死ね)などの書き込みが多い現代の若年層に対して、バーチャルでない現場を見たときにもっと深く考えることができるのではないかと感じるからです。

ちなみに、教員ですが、Twitterにバットで殺すと学生に書き込まれまたのは私です(ひどく傷つきましたが・・・)。本心は、卒業式にはバット持参で書き込んだ学生に頭を潰してもらおうと思っています。できないのなら、書くなと言いたい(余談ですみません)。

同様に、動物を殺して食べる勇気がないのなら、謙虚に頂くことこれに限ります。

重い話になってしまい失礼しました。
自分を含めて日本人は腑抜けになりました。食ごときでと言われるでしようが、関連があると私は思うのです。

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y より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-8511 Mon, 02 Dec 2013 09:17:18 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-8511 個人的な命の価値という観点で見てみると宗教臭くなるのですが;似たような感じのことを悩んだことがありカキコさせて頂きました

色々考えてみた中で生命の戦略と命の存在という意味で割りきってからは案外当たっているんじゃないかと思うようになりました。

命そのものは個体の目的はただひとつ子孫を残すところに収束していくのですが、そこに食われる側食う側という矛盾があり個体観点ではこの矛盾が解決できないのはカンタンな話でした。

生命史的に地球環境と生物存在のリソース?という面で見ると生命誕生以前は無機的環境がただ存在していて、以降は?というと有機物に溢れた生命にとって暮らしやすい環境になっていますね?

岩や砂だけでなく有機物や微生物や酵素に充ちた肥沃な土壌がどれだけ高等な生命にとって重要かは20世紀までの人類の歴史をみても明らかです。
(事によると現代でも地下資源なども含めるとまだこのサイクルにあるとも言えますね)

死した命にも大きな価値があり生きてる命にも目的があると考えれば・・・日本の仏教の一部で言われる西方浄土東方蓬莱(西も東も極楽?)みたいな概念が見えてきたように思いました。

生きる分に生活する分に命を狩るのは当たり前の話ではあるし?食う食われるというのもほぼ種族の在り様に決められているので。

また死だから無になって収奪されるだけな訳でもなく、生命進化の為に物質的には栄養や土に成り代わり、また狩る側にも情報としてより高度な学習機会を与えて自分の種族へも同じく寄与するという構図が見えてきます。

種族あるいは生命の側からみれば、生き残るというのがアクティブな方法論であれば食われるというのはパッシブな方法論であるとも言えて個人的には今のところ納得できております。

過剰な保護論というものがよくネット上に見られますが、例をだすと完全ベジタリアンはもしタンパク合成不良な事になれば自己死覚悟ですし?特定種の保護?野生動物はダメというとかだと包括的な環境視点を見失っているので今日の日本の農家のような食害などの被害を受け入れて幾らかの人々の命を天秤にかけることになります。
(鹿・イノシシ・猿・カラス数十万匹と村落のどっちを取る?という論理ならどうでしょう?)

どちらも生命や種族的には見殺し?あるいは生命放棄とも見れるので上記の論理で言うと不完全燃焼な死?非効率な生き残り?となりナントモ短絡的だと思えます。

(↑それすらも死する側としての価値はあるのでしょうけど生命戦略的には一つの試みなんでしょうが・・少なくとも食う食われるの相互益よりは瑣末な試みでしょうね)

むしろ狩猟を通して被狩猟種族に係るのは生態系や自然環境への気付きを与えてくれますし、現代ではルール以上の狩猟側によるコントロールがされることでその種を保存する結果になりますよね?

抑制できている装備で知恵をもって狩るならばその方法論に叶う獲物のみ狩れることで種族的生命保存の知識が深くなる面もあるので、得られた獲物は得られるべくしてそこにあるのでしょう。

(未だに野生動物に死傷者を出されている環境というのはある意味フェアで正常な関係ですし)

・・・とまあグダグダですが;命は生死を超えて繋がっているので奪っても良い生命は狩れるし(狩りやすいようになる)奪ってはいけない命は無い(1個人でカンタンには絶滅出来ない)のかもしれません、強欲に任せて絶滅させない限りにおいてという感じですが狩猟文化では不文律で存在する論理ですよね?!

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としろー より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-4121 Mon, 21 Oct 2013 11:00:26 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-4121 食べるために動物を殺す。植物の生命を絶つ。
人類の歴史で繰り返してきた捕食行為だし、自分は出されたモノを残さずに食べる事は意識して来ました。肉だろうが野菜だろうが、
そっちの方が大事なんじゃないのかと。
しかし、こうして経済社会のうえで分業してしまうと、我々消費者の中から独りよがりな考えで「かわいそう」「動物(だけ)殺すな!」と思う人が出現してしまうのは仕方の無い事ですね。ご先祖様の生きてきた歴史を切り捨てちゃってるし、間違いです。
で、自分が生産者の側面でもし問題とするなら、必要な分だけ屠殺なり収穫されず、大量消費する事だと思っています。

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pk より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2851 Thu, 08 Aug 2013 18:09:32 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2851 嫌悪感を持ちながら見てしまいました。もう見ません。

殺すのが楽しいのですね。
子供に押さえ付けられたり、抱き抱えられたり、殺される前からどんなに恐かったでしょう。
本当に本当にかわいそうです。

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【頂きますは、命を頂くこと】暮らしかた冒険家ちはるさんのWebマガジンが面白い。 | Buzzable[バザブル]:話題のニュースで人と情報のつながりを提供します。 より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2596 Wed, 24 Jul 2013 16:38:25 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2596 […] いのちをどこで区切る? […]

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え より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2359 Tue, 14 May 2013 14:28:57 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2359 残酷なのはちはるさんが「と殺♡」見たいな表現で書かれているからでは。名前つけて、触れ合って、かわいがってから。。。殺す。。。とか。それはなぶり殺しというのでは。一番残酷なしとめ方をさせて、それで命!って言われてもね。。。何かね。モヤモヤ感MAXです。

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mm より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2334 Wed, 08 May 2013 12:18:12 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-2334 少なくとも、日常の煌びやかな飲食店やコンビニ、ファミレス、スーパーなどで提供されている膨大な飲食物の商品は、動物の膨大な死が
なければ作られない物体ばかりである(野菜にしても、害獣駆除や肥料としての魚介類や動物の屍骸を使っている)事実を、私たちは「知る」べきであると思います。

それを知らずに、うっすら知ってても知らないふりして日常を過ごすことこそ「酷い話」だと私は思います。

それを見てみぬふりしての「動物愛護」とか私は支持しません、少なくとも。

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牛の受精がすごい!牧場行って来たよ。 | ちはるの森 より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-1833 Thu, 07 Feb 2013 13:42:31 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-1833 […] 牛を食べることはめったにないのだけれど 前に書いた「いのちをどこで区切る?」のモヤモヤがあって […]

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11月なので今年も自分の好きなブログを告白します(ver.2012) | クリエイティブメモメモ より http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-1535 Sat, 08 Dec 2012 10:29:56 +0000 http://chiharuh.jp/?p=1694#comment-1535 […] いのちをどこで区切る? […]

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